コミュニケーションスキル
From:小川忠洋
大阪のスタバより、、、
先週、東京のオフィスに行った時の話。
「コミュニケーションが上手くなるには
どうしたらいいんですか?」
と言うような事を社員の一人に聞かれた。
彼はスキル的にはとても優秀なのだが、
自分の中でコミュニケーションが
一つの課題になっているようだった。
「何かおすすめの本があれば教えて下さい」
と言う事だったので、コミュニケーションに関する
いい本ってあったっけなーとしばらく考えた。
僕自身は元々、スペシャリスト志向なので
コミュニケーションに関する本なんて
あんまり読んだ事がない・・・
と思って考えているうちに
あった。あった。一つ、とても良い本があった。
それは、デールカーネギーの”人を動かす”だ。
そういや、僕自身も、
20歳くらいの頃にこの本を読んで感動して、
手帳にこの本のノートを取ったのを挟んで
ずっと持ち歩いてたっけ。。。
それくらいいい本だ。
コミュニケーションの本かどうかは忘れたけど、
人間関係において必ず役に立つ本。
デイリーインスピレーションの読者のあなたなら、
もう何度も読んでるかもしれないね。
でも、繰り返し読む価値のある数少ない本だ。
ところで、その帰りの新幹線で、
「コミュニケーションが上手くなるにはどうしたらいい?」
という、、なかなか漠然とした究極の質問を考えていた。
そして、一つ感じたのは、
「思いやり」
じゃないかなーと。
つまり、相手に対する、思いやりだとか気遣い。
こういったものがコミュニケーションの基本
じゃないかなーと思った。
例えば、、、
相手がこの情報を知っていたら、
何かの判断を下す時に便利だろうなー と思ったら、
言われなくても自分から情報を提供に行くとか。。。
その時のやり方が上手い下手なんてのは
ほとんど関係ないはず。
逆に、面倒だから言わないとかになると、
相手に対する思いやりや気遣いが
足りないという事になる。
例えば、、、
相手はこういう言い方をされたら、
自分の言ってる事の本質は分からないんじゃないかなー。
だったら、こういう言い方も付け加えておこう。
例えば、、、
相手はこういう言い方をされたら、
怒られてると思うかもしれないなー。
だったら、そうじゃない事を伝えないとなー
例えば、、、
あの人はよくやってくれてるよなー。
だったらそう思われている事を教えて上げよう。
そしたら喜ぶだろう・・・
とかね。
よくNLPとかで
コミュニケーション講座みたいなのがあるけど、
それを学んだ人が必ずしも
コミュニケーションが上手いと感じないのは、
恐らく、気遣いだろう。
それはテクニックうんぬんの話ではない。
相手に対する気遣いこそが
コミュニケーションの基礎になるものだろう。
僕はこの分野では専門家でも何でもないんだが、
僕なりにはこう感じた・・・
相手の立場から、
相手の目線で、
相手の理解に共感して、
何かを伝えるのが、一番重要じゃないか
と、新幹線の中で思った。
あなたはどう思う?
-小川忠洋
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コミュニケーションスキルを上げるには
こちらの無料CDもオススメだ。
http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090729OG
PPS:
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6回読んで62%を初めて知りました(反復の重要性はOK)感謝します。
社内のコミュニケーションを密にして社内の雰囲気を良くしよう。
と考えていますが、性格的にあまり細かいことまで話さなくても、と思ってコミュニケーションがつい疎かになってしまいます。
今回のアドバイスを読んで、相手への気遣いを大切にする事により自然とコミュニケーションが生まれることを感じました。
ありがとうございました。
同感です
最近、身近なところで武道の上段者の方、大学の教授、もちろん素晴らしい方もいらっしゃいますが、「偉くなってもこんな風にはなりたくないなあ」と感じる残念な方も多いと・・・そう感じていました。何かに秀でている人はコミュニケーションがとれなくてもいいと思っているかのような・・・。なぜだろうと考えていました。そうですね、思いやりの心が欠けているのですね。納得。親として、子供にしっかり理解させたいと思います。
ベンジャミンさん
ここで人の批判をすること、自体人間としての枠の狭さを感じますがいかがでしょうか。
ましては自分と比べての批判などと・・・
小川さんが投げかけている話題ではそういうことではありませんよ。
本にたよること自体がコミュニケーションについてかなり絶望的に低いレベルにあると断定できる。まじめだが不器用なのか欠陥があるように思えてならない。
教育システムがおかしいからそういう人が増えるのだろう。如何に偏差値が高くとも人間的に欠陥があるかわいそうな人だ。この分野に関してはハーバードのPHDを持つIMFの幹部からから土建屋、解体屋のあんちゃんまで自分は合わせられるし、フレンチのフルコース、懐石料理のお食事から飯場の飯を食うのもどちらも合わせられる。人間としても枠の狭さを感じさせるがサラリーマンには多いタイプだ。
ど真ん中を突いてますね。
まいりました。
私も全くその通りだと思います。 袖擦りあうも多少の縁、という言葉がありますが、私は常日頃、少しでも私と関わりあった人たちが、何か私と会ったことでうれしい気持ちになった、とかいい気持ちになったとか、そう思ってもらえることができたらいいなぁ、と思っています。 (例えば重い荷物を持っている人を助けてあげられたり、雨に濡れている人に傘をかかげてあげたり、とか) コミュニケーションも同じだと思います。相手を思いやる気持ちが、テクニックより何より最上のものを相手に提供するのだとおもいます。
ある本に書いてありましたが、「社内営業よりも社内営業」
これが大切ではないでしょうか。
外で仕事が進まないのは当たり前。
それだったら会社の中で自由に仕事が進められるようにするのが手っ取り早いかと。
あと、挨拶も大切かと思います。
上役の人にすれ違った時に一礼をしたり、
何かをしてもらった時に「ありがとうございます」の一言。
結構効くんですよね。この一言が。
後々に無理を言っても結構聞いてもらえたりするんです。
家が自営業のため、小さい頃からこれ以外にも様々なことを教えてもらいました(間接的にですが。)
近くに自営業の方がいらっしゃれば是非話しかけてみて下さい。
思わぬことを教えてもらえる可能性が、あると思います。
(天津 木村じゃあないですよ。)
相手がそうしてもらいたいと思っていることをする――
これって本当に難しいですよね。
だって 人の欲求 って千差万別だし
多くの場合 底ナシですから こちらのほうが つぶされてしまう……・
じゃあ
自分がこうしてもらいたいということをしてあげる――
というのは どうでしょうか……?
いやいや 少なくとも 私の場合
これも全ぜん指針にはなり得ません。
何故って 私がしてもらいたい……というか
人からこのように扱ってもらいたいという待遇は 正直なところ……
只ただ ほっといてもらいたい
――っていうことだけですから……。
でも これじゃあ 社会人として単独生活できませんから
本性は本性として大切にとっておきつつ
外交的な人格を表に立たせてコミュニケートさせるわけです。
それも1種類だけではなくて
純粋な営業用……挨拶のみの儀礼用……突っ込んだ話にも堪える社交用……
などといった 複数の人格を使い分けるんですね。
(ここで とうぜん返ってきそうな反論に前もって答えておきますと――
一体どうして 本心を表わさなければならないんです?
そう教え込まれているだけじゃありませんか?
邪まな部分がカケラもない人なんか 絶対にいませんよね。
だったら その闇を秘めつつも 互いに傷つけあわないように
節度を保って他人と接するというのが
真の意味での大人というものではないでしょうか……)
人間嫌い や 自閉圏居住者……あるいは現にいま通院されている方など
まあ どちらかといったら 私と心根が似通ってる人たちにとって
この使い分けというテクニックは有効なので オススメです。
こうしておけば 《独りっきりでいるときの自分》 を傷つけずにすみますからね。
というわけで
もしかしたら少しは人様のお役に立てたかな?
――級のコメントでした。
――――追記――――
申し訳ありませんが自分を支えるだけで精一杯なので個人相談には応じかねます。
(あっは!……なんとも用心深いヤロウだぜ おまえは……!)
あれっ? だからこそ生き延びてこられた っていうこと ご存じないはずはないでしょ?
本当にそうですね。完璧にみえるより実質が相手に伝わるか、ということ、本当に大事なことだと思います。
仕事に限らず、個人的な人間関係の中においても、そういう繰り返しで心を通い合わせることが大事なことで、これをしなければ、せっかく生まれてきたのにもったいないなあと思います。
考え方、価値観は人それぞれ違っても、わかりあえる部分での共感、思いやりは日々大切にしていきたいなと思います。
「相手とも、自分とも、向き合う」
ってことじゃないかなぁと思います。
それには小川さんや皆さんがおっしゃるように、思いやりが大事ですよね!
それにもう1つ、
「興味を持つ」というのも大事かなぁと思います。
相手にも、自分に対しても。
相手(外)に対しては、知りたい、伝えたい、想いを聞かせてほしいと思う気持ち。
自分(内)に対しては、どう思っているのか、なぜ伝えたいのかという気持ち。
これらの気持ちがはっきりしていないと、行動に結びつきにくいような気がします。
また、この気持ちが揺らぐと、うまくいかないと感じるのではないでしょうか。
伝えたい!ばかりでは、知らず知らず自分の気持ちを押し付けてしまっていて
相手が望んでいる情報ではないことに気付かなかったり
逆に自分の気持ちが曖昧なままなら、相手にわかってもらうことは難しい。
でも、たとえ相手が否定的な意見でも、相手に対して興味があれば
それを話してくれたことに対する喜びや、考えに発見や驚きを感じられる。
どう思われようと、相手のためになると信じて伝える勇気があれば
きっと伝わる。
話しながら「自分ってこう思ってたんだ」って思うこと、たまにありますよねw
コミュニケーションしながらお互いの気持ちがクリアになっていく。
それってすばらしいことですね☆
コミュニケーションが上手くなるにはどうしたらいい?
↓
素直になればいいんだよ。
ってことでしょうか^^ それがなかなかできないんですが…
「気遣い」というテクニックを鍛えるためには、生活全てにおいて自分を見つめ、人間研究をすること。
これができれば、自然と、コミュニケーションをしているときに相手の気持ちを想像できるようになる。
たくさんの経験をすればするほど、そして、その時々で納得のいくまで自分を見つめられた人ほど、相手への気遣いができるのではないか。
そう、私は思っています。
その通りだと思います。
思いやり、、どうやって培っていったら良いのでしょうかね、、。
相手の感情を共有することも限界があります。
特に年代が違うとかなり考え方、感じ方が違います。
そこへ自分の経験則が加わると結構 コミュニケーション障害が出てくると思います。
最後は パワーゲームになってしまします、、。
夫婦関係、、恋人関係、、職場上の関係、、もろもろ、、。
例えば ”納得できないと、進めない!”と言うメンタルの土台の上に成り立っているのであれば すごく脆い関係の上に成り立っていると思います。
考え方の違いで 今まで上手く行っていた関係(たとえば夫婦関係など)を崩すことは 勿体ない、、と感じます。
ではどうしたら、、良いのでしょう、、
コミュニケーションはスキルでは無いと思います。
でも相手に伝えた方が良い情報は 伝える時に心がけたことがよいと思われることがあるとも思います。
それは、想像力ですかね、、。
想像するにも ネタがなければ想像できません。
想像する上でのネタはどんな媒体でも良いです。
自分の世界に関係の無い(と思われる)分野の世界を知ることは 想像力を広げてくれるように感じます。
例えば、極端ですが、男性なら女性紙を読んみる。 女性ならば 男性紙を読んでみる、、等ですかね。
それをそのまま鵜呑みにはしない。
いろんな視点で 考えてみる、、。
ひとつの枠にはめ込んで定義してしまうことほど 怖いものはないと感じるからです。
”何でだろう、、”そんな気持ちを生みだすことかな、、なんて思います。
時代の流れ、、等も含めて考えると結構 納得はできなくとも理解出来る事が多いように思われます。
情報と言うよりも、、自分の視点を変えることが相手にとっても、自分へも一番のプレゼントなのかもしれません。
”普通は、、”と考えることが必要な時もありますが、それが邪魔になる時もあるかと思います。
視点を変える、、その力を引き出したり 引き出されたりする事が、、思いやりにつながるかな、、と感じております。
漠然とした文章になってしまいました、、。 まとめきれないや、、
失礼な文章でしたら ごめんなさいね。
小川さんや皆さんのおっしゃる通りだと思います。
相手に対する気遣い、自分でしてもらいたいと思っていることを相手にもしてあげる。その優しさがコミニュケーションを良くしていくのだと思います。
今まで結構人間関係では悩むことの多かった私でしたが最近少しづつですが人とのかかわりがあまり気にならなくなってきました。
きっとこのプログラムに出会えたからだと思っています。わがままな自分を変えて相手を思いやれる人に変わりたいと思っています。
いつもメールをありがとうございます。今日は何が書いてあるかな?・・といつも楽しみにしているんですよ。
まさしくその通りだと思います。
テクニックと言うものは土台の上に立てて
初めて使えるものだと感じます。
デールカーネギーの人を動かすは確かに名著ですね。
これでもかと言うほど土台を叩き込まれました。
メルマガを2パターンになりましたね^^
リンク先が続きの文章まで直に飛ばして下さったので
読みやすく、他の方のコメントも引き続き読めるので、よかったです。
私は抑うつ神経症という病気と長年付き合っていて
一人で過ごすことに慣れすぎていました。
仕方なしにチャットなどしてやり取りをしていましたが、その中でも思いやりは存在しました。
そのうち週4で4時間のバイトに出られるようになりましたが、コミュニケーションや
現実に人との連携がとれない状態になり、自分で自分の首をしめてしまいました。
病気になる前は思いやりや気遣いは出来ていたじゃないかと
自分を励ましている最中です。
下のコメントにも書かれているように、して欲しいことをする・・・は、本当にそうだと想います。
今まだ、人にどうして欲しいのかを考えた時、自分には随分と望みが少なく、低いと気づきました。
あまりに人に絶望していました。つまり自分にもそうだという事ですよね。
少しでもそうなりにくい環境に身を移すことを9月に計画しています。
自分を思いやるってどうしたら・・・ 私はここからが始まりです。
負荷のかかった状態に慣れすぎていて、自分が拡大する方角が鈍っています。
コミュニケーションの素敵さをもう一度味わいたいです。
コミュニケーション、私もテクニックではないと思っています。
相手の状況、望むことを考え、そんな時自分だったらどうしてもらいたいのか。
でも基本は自分がどうしたいかだと思います。相手の方によくなってもらいたい、幸せになってもらいたい・・・いろいろあると思いますが相手の方への気持ちがなかったらコミュニケーションなんてとろうと思わないのでしょうか。
私は古い人間でしょうか、小中学校で道徳の時間が有りました。
また、鹿児島県人なのですが、小学校低学年までは郷で年中者が色々な場面でどうしたらよいかと尋ねて、それに答えると、注釈を付けてくれるような勉強をしていた。
今、世の中に足らないのは、昔の日本人にあって現代で失われた物だと思う。
それが思いやり、相手への気遣いだと思う。
これが復活すると、住みよい世の中になると思う。
一人の力は小さいが、波紋となるように実践します。
朝に良い話を有難うございます。
by koji
まさに、その通りだろうと思います。
しかし、これっていきなり本を読んだからとか
人付き合いの和数を増やしたからって
つくもんじゃないと思います。
なぜなら、僕たちは、学校というカリキュラムを
最低でも9年・・・12年・・・
行っているにもかかわらず、
「思いやり」
「気遣い」
することが出来ない人が多いから。
やはり、近道はこの思いやりを自分が沢山
受けることから始まると思います。
まぁー受けてもダメな人もいると思いますが。。。
これも、「まず意識する」が大切という結果で自分自身
着地です。
いつもありがとうございます。
本当に同感です。
NLPとかのスキルに頼っている人って
うさんくさかったりする。
口下手でもいい。
不器用でもいい。
とにかく「相手にとって最善なこと」を
相手よりも考えること!
人間それぞれ。良かれと思って言った事でもありがた迷惑に思われる。価値観の違いで・・・そんな人には何も言わないのか?
私も小川さんの考えに同意します。
愛想が悪くてぶっきらぼうな人が
時にとても慕われていることがあります。
それって、まさに小川さんがおっしゃっている「思いやり」が
根っこにあるからじゃないですかね。
一つ思い出しました。
仕事の面接をしたときに(私はする側でした)
ある希望者が「僕は人間関係は得意です。」と言いました。
この一言がすごく引っかかって
私はこの人を採用することに反対しました。
今思えば、人との付き合いを心じゃなくスキルとして
考えているように感じたから―だったのでしょうね。
(ちなみにその仕事は国際協力関係だったので
「思いやり」「相手を理解しようとする気持ち」は必須です)
もう一段階上がるために
今日、このことを頭において、上司・同僚に接してみます!
聖書の中にこんな言葉があります。(いつも聖書のことですみません^^;)
「自分にして欲しいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません。」
(マタイ福音書7:12)
これは「黄金律」と呼ばれているのですが、世界中の誰もが、この法則を
当てはめれば、人間関係はうまくいく、幸福になれる・・・というものです。
でも、多くの人は、「他の人に迷惑がかかるから、これをしてはダメ」という
ふうに親に教えられてきたことが多いと思います。(自分もそうですが・・・)
でも、それでは良いことをするための行動にはつながりませんよね。
今日、小川さんがお話してくださったように、「あの人がどう想うか?」
それを考えて、より積極的な行動をするなら、自分がどれほど相手のことを
考えているか、確実に(?)伝わって人間関係は良くなると思いました。
「自分にして欲しくないことはしない」ではなくて、「自分にして欲しいことを
してあげる」ことの大切さを、改めて思い起こさせて頂きました。
今日もありがとうございましたっ!!