セミ
From:森兼
近頃、朝起きると
セミの鳴き声が聞こえる。
セミは生まれてから
実に5年以上もの長い間、
地中でその時を過ごす。
長い時間をかけて、
ひたすら栄養をため込んで
ゆっくりゆっくり体を成長させるのだ。
そして、十分に成長したところで
地表へ出て羽化する。
ところが、羽化した彼らに
与えられた時間は極めて短く、
僅か数週間に過ぎない。
死は刻一刻と迫り来るのだ。
その限られた時間の中で
次の世代へ命を繋ぐため
翅を得た彼らは大空を駆る。
鳥やカマキリなどの
自分を狙う天敵の存在に脅え、
逡巡している暇などないのだ。
そしてオスは力の限り鳴き声を出し
メスにその存在を知らせる。
自らが生きた証を残すため、
残り少ない命をその鳴き声に託して。
そう思うとうるさいだけのセミの鳴き声も
種の存続を懸けた命の叫びに聞こえてくる。
もし僕らがセミのように
残り一ヶ月の命なら何をするだろうか。
人によって何をするかは違うだろう。
だが迷いの中、
先送りにする余裕などもはやないはずだ。
限りある時間を無駄に使わないように
決断し迅速に行動しなければならない。
ただ、実際には人の寿命は
セミのそれよりもはるかに長い。
だから実際には簡単に
先送りにすることができる。
しかし、その状況に甘んじていると
僕らはいつまでも行動できない。
うまくいかないこともあるだろう。
恥をかいてしまうこともあるだろう。
挫折に心が折れそうになることもあるだろう。
だが、そんな状況を打破するには
もがき、苦しんででも
決断し前に進む以外にない。
行動すれば道は開ける。
たとえ、うまくいかずに
失敗に終わったとしても。
そして、行動したことによって得られる充実感は
他の何物にも代えがたい自分だけの勲章だ。
今際の際、その勲章は
「よくやった」と自らを褒め称え、
笑顔となって心の中を満たしてくれるだろう。
自らに勲章をもたらすために
今日するべきことはなんだろう。
より良い未来を掴むために。
自らの幸せを見つけるために。
悔いなき人生を送るために。
ーマーケティングディレクター 森兼
PS.
後悔のない人生を送るため、
限りある時間を大切にしましょう。
http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090802MO
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はじめてコメントさせていただきます。
今回の話を読んでひとつ思い出したことがあります。
私も去年、同じようなことを考えていたことを。
成功や幸せ、将来のことなどの人生ついて考え始めたのは去年の初めくらいからだったと思います。
その年の夏、私も蝉が土の中で何年も少しずつ成長し、外に出てからの数週間、何を思い、感じ鳴いているのだろうと。
同じことを言うようですが、私たちと比べ蝉は、すごく僅かな時間でしか外の世界にはいられません。こう考えたときに、蝉に対してすごく、応援したくなる気持ちがうまれ、家のベランダに逆さになってもがいていた蝉を指につかまらせ、蝉が飛び立つまでずっと待ってあげていたことがありました。いままでの私であれば、指につかまらせて飛ばせたりしていただろうと思います。
でもその時は、なぜか待ってあげようという気持ちになりました。
蝉にだって、自分のペースがあるのだろうと思ったからです。
私たちほどに時間がない蝉に対し、自分の感情だけで何かを投げるように、飛ばせることなどできませんでした。
蝉に関して普段抱いてる感情を、少し違う方向から見ることによって、自分自身も少しやさしく、幸せになれた気がしました。
約30分くらい指に止まっていた蝉が、ようやく飛び立ったとき、自然と笑うことができたことを覚えています。
こんな小さな幸せを日々見つけていきたいと思っています。
毎日送られてくるメールを参考に、いろいろな視点から物事を考えられるようになれたらなと思います。
長文失礼しました。
先日、蝉の声を聞いていて思ったこと。
「蝉の声をうるさいと思わずに、自分にとってのやる気に変えれたら、夏は、モチベーションを保つことが楽だろうな」です。
今回の森兼さんの文章も、力作ですね。感動しました。
想像することはタダでできます。
生を見つめるためには、その対極にある死を見つめることが必要な気がします。
とても、小さな小さな行動でも、この法則は当てはまりますよね。
最初は、大きくて重くなくてあまり輝いていなくても、勲章を手に入れることができれば嬉しいものです。
次に、また、今手に入れたものより少しいいものを手に入れればいだけですよね。
ず~~っと、たいへんな思いをするより、ちょこちょこ楽しい思いをしながら前に進んだ方が長続きがするかなぁ・・・と思っています。
行動すれば道は開ける
確かにその通り。そして私はその通りに生きてきたのに。
行動することをやめてしまった自分を責めてしまいます。
せめてもなにもはじまらないのにね。
そして悲劇のヒロインに浸っていたいのかな。
そんなつもりはないけれど、暇だからいろいろ考えちゃうんだね。
自分にとって価値があるなと思うことに行動したい!そんな風に思います
そうですね。
仰るとおりだと思います たしかに……。
命あるもの……つまり我われ生命体というものは
絶えず 《死》 という名の捕食者に狙われている……
そして
一者の例外もなく
最後には必ず食われてしまう……
たとえ周到に立ち回って 多しょう時間を先延ばしすることに成功したとしても
いつかは必ず 言わば絶対的な強者たる狩人の餌食となる運命にあるのです。
誰一人そこから逃れることはできない……。
でも これって 逆に素晴らしいことではないでしょうか……?
そう……タイムリミットがあるからこそ
それまでの時間を……何者かに授けられた あまりにも短い試合時間を
能う限り最高のものにしようと努めることができる……。
生は 死が存在するからこそ 輝くことができる!
たしかに 生は
最後には 決まって 死に 食われる……
でも これは 果たして敗北なのでしょうか……?
私たちは いつでも完敗を喫しているのでしょうか……?
否! 断じて 否! (ナウシカ 乗り移り)
私たちは 如何に闘い 何を手に入れたかによって
笑いながら死ぬことができるんです。
それこそが
間違いなく
勝利なのです。
……って けっきょく森兼さんが仰ってることと同じになっちゃいましたね。
どうも 誠に失礼いたしました。
(すごすごと退場の図……)
セミの世界の時間軸からいくと地中の5年間は生き様で
最後に地表に出る時が死に様なのかもしれませんね。
地中の5年間の過ごし方が地表での結果となって現われる。
宇宙から見ると、我々人間人生80年も地中であって
この世に別れを告げる時、どのような美しい死に様をするのかが
その後の魂の進化に通じるのかもしれませんね。
セミの一生から教えられますね。いつも楽しいメルマがありがとうございます。
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正に、
一生虚しく過ごして万歳悔ゆることなかれ!
ですね。
「私はやり切った」と言える人生にしたいですね。
説得力のあるいい話です。そして多くの人がそうであるように自分も夢は実現できずに今日に至る。セミの話から同じように感じたことは過去にもあったけれどもあまり成長せずにいる自分。過去失敗したことを次にはやり方や考え方を変えていくけれどもそれも同じ人がいることだろう。意外と何時までも変えずに押し通すことも必要なのかもしれない。大人になって若い頃ほど潰れるまでやらなくて計算高くなっていく自分がいる。新しいことや変化にはこれからも対応して
行きたい。勤務会社を定年して暇を持て余しているOBのようにはならない自信は100%ある。その人たちは変化さえ見ようと生きてこなかったから。
まさにセミのような生活をしています。
そのヒグラシ
です。
セミ・・・短い命。
私ごとですが 今 娘(35歳)が 子宮頸がんからの転移。 リンパ腫でアメリカで闘病中です。 癌治療では 日本より10年進歩しているといわれているアメリカでも 医療の力では なすすべがないという診断で余命2・3ヶ月と診断されてから 1ヶ月がたちました。
癌に関する情報を集めるなかで無料メルマガ サイコ・サイネティクスに出会い毎日 読ませて頂いております。 身の置き場の無い悲しみが心を覆いつくし押しつぶされそうになりながら・・・。 事実を受け入れて前に進むことでしか この悲しみを 乗り越える方法はないんですね。 母親の私よりも本人の心境は・・・。 愛する彼を残しては逝けないと・・・。 まだ やりたいこともあると・・・。 余命を燃焼しています。
目の前の目標を一つひとつ やりとげて。 悔いのない終わりの時を迎えたいものです。
誰の言葉か忘れましたが、行動して後悔するよりも、行動しなかったことに
対する後悔の方が大きい・・・ということを聞いたことがあります。
たとえば恋愛。自分なんか相手にされないだろうと、じっと黙って見ていた。
でも、ずいぶんあとになって、あの子はあんたのことを好きだったんだよ!
なんて聞いたことはないでしょうか?
悶々と苦しんでいるよりも、思い切ってことにあたれば、案外道が開ける
こともあるし、逆にあたって砕けてしまうこともある。
でも、確実にどちらかの結果が出るワケで、それによって自分の方向性とか
改善点とかが見えてくる。
やっぱり、やらないで後悔するより、やって後悔した方が自分はいいなぁと
改めて思いました。まして、今日森兼さんが、お話してくださっているように
もう明日がないっ!!となれば、なおさらですよね~(すみません、話が
かなりズレました…汗)
僕が、余命一ヶ月と宣告されたら
それをいまここで想像したところで
何になるのかな。
その恐怖のあまり
死を受け入れられず、
悲しみと怒りで周りに
当たり散らしているかもしれない
余命をのばすために
いろんなところへ受診するかもしれない。
自分の死を
美談にしようと
最後の最後まで
嘘の人生を生きることはないと
そのとき感じたままに
正直にいきることさ^^