ユダヤ人大富豪のウソ?
From:小川忠洋
大阪のスタバより、、、
あなたは本田健さんの「ユダヤ人大富豪の教え」
を読んだ事があるだろうか?
確か、何百万部か売れたベストセラーである。
本の中では、ユダヤ人のメンターが
主人公を導いて行く話が展開されている。
とても優しいユダヤ人のメンターの話だ。
だが、、、、
あの本では語られていない真実を話そう・・・
、、、
あれはウソである。
と言うのも、今、僕は
あるユダヤ人のビジネスマンと交渉をしている。
それが、ユダヤ人大富豪の教えに登場するような
やさしい人格とは、か・け・離・れ・た、
めちゃめちゃ厳しい交渉相手だ。
こないだ相手方から送られてきた
契約書のブリーフィングの中には、
あ・り・え・な・い数字が記載されていた。
なめてんか!
これじゃあ、どうやって
こっち側が利益をあげればいいんだ!
が僕の第一印象だった。
優しいメンターの影も形もない(笑)
実は前から、まわりのアメリカ人から
「あいつはユダヤ人だからやりにくいぞ」
みたいな話を聞いていた。
そうか。コレか。
こういう事か・・・
と思ったが、、、
オーバージェネラリゼーション
過度の一般化
これはとても危険な考えだ。
というのも、
僕が接した人間はたった一人しかいない。
彼だけだ。
そして、たまたま彼がユダヤ人だったからって
ユダヤ人は交渉がやりにくい。
というラベルをつけるのは、「過度の一般化」と言って、
よくよく考えてみるととても愚かな考えではある。
例えば、たまたま食べたチーズケーキが腐っていたから、
チーズケーキ=まずい
というように考えるのはおかしい事は誰でも分かる。
そして、その後、そのラベルを元に
美味しいチーズケーキを何度も食べ逃す事になる。
これはとても大きな損失だ。
例えば、たまたま飲んだコーヒーが
冷めてて、まずかったから
コーヒー=苦くてまずい黒い液体
と考えることは、
人生において大きな損をしている事になる(笑)
人はなにかと簡単にラベルを貼りたがる。
関西人は声がでかくてケチだとか。
東京の人は冷たいとか。
A型は細かいとか。
何故、ラベルを貼りたがるかと言えば、
ラベルを貼れば考えるのが楽になるからだ。
※血液型占いなんかがメジャーな理由はここにあると思う
カテゴリー分けする事で
判断や考えるのが楽になる。
しかし、相手を単純にカテゴリー分けしてしまったら、
本当のその相手の姿が見えなくなってしまう。
あなたのラベルの眼鏡を通してしか見えなくなってしまう。
そうなったらあなたは本当の姿が見えていない。
本当に相手を知る前に
コイツはこういうタイプだ!
と決めつけたら、そこから先はない。
その壁は相手の中にあるのではなく、
自分の中に、自分のはったラベルの中にある。
「過度の一般化」
あなたはやってないだろうか?
-小川忠洋
PS.
これで判断力を磨いて真実を見る目を養おう。
http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090803OG
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人の評価や評判って怖いですよね・・・汗。
ユダヤ系の友人、居ますが優しい人ですよ。
ビジネスが絡むとどうかわかりませんが・・・(^_^;)
ユダヤ人は、仲間意識が強くて、彼らのサークルに入りにくい。
また、商売に関しては、厳しい事を言ってくる。
オーバージェネラリゼーションの要求も日常茶飯事だろう。
しかし、彼らの良いところは必ず約束を守ってくれる事だ。
一般化について、過度な一般化。
ラベルを貼ることで安心し、思考停止状態に自ら陥る、、。
逆に ラベルを貼らなければ新しい視点を自ら探すことになると思うのです。
不安定かもしれないけれど 自分の尺度が出来ていくのかな、、と。
その自分の尺度が 刷り込みによるものだとしたら、、と考えると恐ろしい、、。
自分の判断とは、何なのでしょう、、?
でも今の時代に生き、時代の流れを傍で見ながら、見方自体も 知識が増える事により 変化するのでしょうね。
人間は 考える葦である、、。 考えなくなったら人間ではない、、・
考えすぎも ほどほどに、、。
こんばんは、松下です。
いつもお世話になります。
今回の話は大変為になりました。
と、いうのも僕はもうすぐ50歳になるのですが、
年を取るに従って、だんだんとフィルターをかけて
みることが当たり前になってきているのを感じます。
なにぶん、年齢を重ねた分、たくさんの経験や体験
などから得た知識が”邪魔”をしてしまうからです。
確かに、「楽をしたい」というのが本音だと思います。
ビジネスにおいても、自分なりのフィルターで見てしまうので
本当に大切な情報であっても、いとも簡単に自分の中で
必要のないことだと判断して、見逃してしまっているものが
たくさんあるのではないかと思います。
本当に恐ろしいことですね。
小さな子供のように、純真な心に戻りたいと
時々思います。
何でも、そのようにフィルターをかけないで
見ることの出来る”見識”を作らなければと思いました。
ありがとうございました。
過度の一般化であるかどうかは1例だけではわからないのでは?
今は1例しか情報がないので、そ1例から判断するしかないと思う。
この貴重な1例は大切なデータであるから、次に2例目にであうまで
大切にするべきです。
他の人のケースも調べて、それを2例目とすることもゆるされるのではないだろうか?
おな、過度に一般化して「ユダヤ人を偏見で見てはいけない。」という考え方について「役に立つ愚か者」と考える人たちもいるようです。
ユダヤ人をしるには、彼らの経典である、タルムードが参考になる。
タルムードには、異教徒はゴイム(動物)と同じという選民思想が書かれているそうです。
私は、直接タルムードの内容を見たことはないが、長崎、広島に原爆を落とした人たちがほぼ全員ユダヤ人であることとあわせて考えれば、タルムードにかかれているとされる選民思想はほんとうであろうと思う。
だからこそ、原爆のような非人道的なものを計画し、迷うことなく製造、投下できるのでなないだろうか。
小川さんへ彼が突きつけた条件は、彼が小川さんを対等にみていない思想の現れと考えることはできませんか?
このラベルは、大人の人だけでなく、「子供」にも貼る癖がついている大人がたくさんいますよね。
子供に「子供」というラベルを張らなければ、自分の不得意分野の「師」として見ることもできます。
そのくらい、子供というものは、発想のおもしろい生き物です。
どんな人間にも、ラベルを張ってしまっては、その人の本質が見えにくくなってしまうから、自分にとっても損なことです。
・・・言うのは簡単ですが、癖になってしまったことをしないようにすることは難しいですがね。
私も、気をつけていないとすぐラベルを貼ってしまいます。
いい話ですね。自分に言い聞かせたい言葉です。
非常に為になりました。
今朝、たまたま手にした【ゴルゴ13(124)】の中で、
ゴルゴが全く同じ指摘をしていました。 http://bit.ly/Zwy7Q
なので、この記事を見てドキッとしてしまいました(汗)
記事、ありがとうございます。
韓国人はとても親切です。ただし、親しくなると(それほど親しくなくてもなくても)他人を利用して楽して儲けようとします。韓国人の特性は「韓国はならぜ反日のか」(彩図社)に、著者の実体験をもとに詳しく書かれています。
種や類の一般的性向の存在は否定しきれないにせよ
なんといっても この世界は 多様性のもとに展開してますからね。
まさしく仰るとおりだと思います。
とはいえ……
実体験としての刷り込みの力は相当なものなので
うかうかしてると 自分の眼にフィルターが
いつの間にか掛かっていることにさえ気づかない有様……。
絶えず まっさらな判断力を途切らせないように
そしてまた 直感を稼動させ続けられるように
意識を研ぎ澄ませておく必要があるでしょうね。
ただし
身体のほうは あくまでもリラックスさせたまま……。
ところで
少しょう本題から逸れてしまいますが
東京人は冷たい
というジェネラリゼーションについて一言……。
これって実は 間違っていないと思いますよ。
ただし 現ざい東京に住んでいる人口の おそらく7割近くが
他道府県生まれ もしくは親の実家が地方にある
という人たちでしょう。
……で なぜ首都居住者が “冷たい” のかというと
あまりにも人口密度が高いが故に
見ず知らずの人々に対してまで心を開いてしまうと
ほとんど決壊を起こし兼ねない (つまり キレてしまう) ということを
潜在意識レヴェルで悟っているからなんです。
いってみれば この対人感情抑制態勢……
過度に傷つけ合わないようにするための知恵なんですね。
というわけで
東京生まれの八王子育ちであるにも拘らず
筑豊弁を完璧に操ることのできる
《3倍返しのペダント》 こと
Minr Kamti でした。
初めまして。
いつもメルマガで勉強させていただいてます。
私はユダヤの商法という本をよんだことがあり、
その本の中ではユダヤ人の人の厳しさ(仕事上)
を学びました。
ユダヤ人と一般化するつもりではないのですが・・・
ありえない数字をだされたというエピソードで
私はなるほどなぁ・・・と思いました。
確かに自分が貼ったラベルで人を意識的にも無意識的にも判断してしまっているのかもしれません。人だけでなく、自分自身についてもラベルを貼って本来の自分でない自分を見てしまっているかもしれません。それを修正するにはセルフイメージを学んでいく必要があるとそう思いました。
高校生の娘をアメリカで寮生活させていますが、お友達のユダヤ人の家族にとてもよくしてもらっています。複数のユダヤ人の友達がいますが、どの子もそのご両親も”ありえなーい!”というくらい親切の塊のような方々です。
プライベートなスポーツクラブにつれていってくれたり、旅行につれていってくれたり、 夜中2時に娘のためだけに遠くまで送迎してくれたり。。 もちろんお礼は受け取ってはもらえません。日本人の友達の親をはるかに超えるレベルです。
イスラム教の男の子もこちらがびっくりするほどジェントルマンだし、中国人も、韓国人も、インド人も本当にいい人がたくさんいます。
OO人だから~というオーバージェネレーションは、このような良い方とのつながりのチャンスを逃すものですね。 ついつい、レッテルを貼りがちですが、気をつけたいと思います。
大変参考になりました。
私は他人の学歴、年齢は訊ねないことにしています。
凡人の私には、東大なら、早稲田はとか偏見がありますから。
最近は、本の著者略歴も見ないように努めていますが、著述内容だけで評価しなければならないので、かなり苦しいです。
ということは、これまで私は、著者の経歴で著述を評価した部分が大きく、楽をしていたのです。
そんな事、新聞やテレビ雑誌ラジオどこも助長させているじゃないですか。
国全体でそういう教育をしてるところもあるじゃないですか。
単に人種だけの問題じゃない。
この地球にいるすべての生きものは、そうやって相手に対して
カテゴリー化させてきたから生き残っているのではないの?
過度の一般化は、どの人間も無意識にやってしまう事で
もしそれをひとりひとりがコントロール出来るようになるんなら、
つまらない争いもなくなるし、実に平和な世の中になるのでしょうね。
オーバージェネラリゼーションか・・・
大いに思い当たる節はある。
とにかくこれは、自分に対して「マイナスの力」が加わった時に
おこるが、まさに良き意味付けに考えを変える事で
次につながるベストな着地点が生まれる。
みたいに思って考えを処理してます。
今日も再確認させてもらったな~。
ありがとう。
お早うございます。 お世話になります。
今、ブログランキング見てきました。3位でした。この調子で一歩ずつ、進むようにしましょう?昨夜一睡もしていません。後程、ゆっくり拝見します。他の深刻なメールを読んでおりました。小川社長と同じくお金持の方なのに・・・悩む事もあるのですね・・・。不思議です。一般人には、分かりかねます。昨夜、一睡もしていませんので、2,3時間寝ます。失礼いたしました。
今日も気づきのメールをいただき、ありがとうございます。
過度の一般化 が、本当のその人に近づけないようにさせている。
気をつけないとすぐに飲み込まれてしまいそうです。
私の上司は時々「○○人は××だからイヤなんだ」というようなことを言います。
良い内容なら良いのですが、過度の一般化って悪いことが多くないですか?
彼の言葉は侮蔑的な内容で、聞いているほうが気分が悪くなります。
自分がその影響を受けないように
焦点を変えたり、アファメーションをしたり、と訓練中です。
学校教育では、先生の指導を優先するタメに
ある一つの見方を押し付けています、、、、。
物事を「球」に例える見方を知るだけで、
その事は物事のごく一部である事が分かるのに、、。
実際にあった話。
同僚からある人のうわさ話を聞いた。ある日その人とふたりきりで、
昼食を摂る機会があって、それとなくその話題を振って見た。
なぁ~んだ、同僚は誤解している・・・そう想った。
話は両道を聞いてみないと分からないものである。
私も血液型占いとか、そういったカテゴリー分けに常々疑問があったし、
人をそういうこと決めつけたりするのは、「偏見」のなにものでもないと
思っています。おおげさかもしれないけど、戦争にもつながると思います。
それに、なにより、過度の一般化に左右されるなら、自分自身を悪い
セルフイメージに他人に形作られてしまう危険性というのを感じて、
こわいなぁ~と思いました。
人に対しても過度の一般化・・・していなかどうか気をつけたいですね。
わたしは考えるために→一種の知的遊びとして
血液型占い、というか分析してみる。
ある人は一連のレッテルはり終わった後、
「まぁ、人それぞれだからね〜」
といってオーバージェネラリゼートをなかったかのようにする。
オーバージェネラリゼーション。
今の自分の問題についての答えをここから学びました。
いつもありがとうございます。
真実を理解する判断力を磨くために、自分にとって大切なことをもっと学んでいきたいです。
めがねをはずしてみてみることのなんと難しいことか。