コツコツと、
from 杉本
成功する者は、過ちから学び、違った方法で再び試みる。
デール・カーネギー
始める勇気と喜んでやり続ける根気が、成功の必須条件である。
アロンゾ・N・ベン
夢や目標を達成するには1つしか方法がない。
小さなことを積み重ねること。
イチロー
才能とは、努力を継続できる力
棋士 羽生 善治
寧静致遠(ねいせいちえん)
[誠実でコツコツした努力を続けないと、
遠くにある目的に到達することはできない。]
諸葛孔明が我が子に書き残した言葉
偉人は皆、
やり続けることの大切さを説いています。
私には、「やり続ける」という資質が最も必要です。
それで、
何かをやり続けている人について学ぶことが、
大好きです。
先日、F1チャンピオンの、
ナイジェル・マンセルについて学びました。
ナイジェル・マンセルのキャリアは異例です。
マンセルは、
イギリスのごく一般的な家庭に育ちました。
学校を卒業したマンセルは、
昼は自動車関連部品の会社で働き、
夜は窓拭きのアルバイトをして、
カート・レースのための資金を稼ぎました。
ようやく、資金を作ったマンセルは、
1976年、フォーミュラ・フォードに参戦開始。
11戦5勝の好成績をおさめます。
しかし、この翌年、
ブランズハッチのレースでクラッシュし、
首の骨を折ってしまったのです。
3週間、
まったく意識のなかった状態から目覚めたマンセルを、
医者は非常にラッキーなケースだ、
と言いました。
1978年、
家と家財道具を売り払いF3に参戦。
しかし、1979年、
またもやレース中のアクシデントで、
脊髄を痛め入院。
その病床に、
ロータスF1チームのオーナー、
コーリン・チャップマンから電話が掛かります。
「君にテストに参加してほしいのだが、
事故で負傷したそうだね?」
と訊くチャップマンに、
マンセルは「事故にあったのは別人です」と語り、
痛み止めの注射を人の6倍も打ってテストに参加。
結果は、見事に合格、
ついにF1のシートを獲得したのです。
苦労に苦労を重ねて、ようやくたどり着いたF1。
ところがF1に上ってからも、
マンセルの人生は順調にはいきません。
名門ロータスは、
マンセルがデビューしたこの時期、
かつてない不振にあえいでいたのです。
目立った成績もあげられないまま、
1982の暮れには、
マンセルの才能を高く評価してくれていた、
コーリン・チャップマンが死去。
これにより、ロータス・チーム内でのマンセルは、
微妙な立場にたたされます。
そして、1985年、
搭載するホンダ・エンジンが、
そのパワーを発揮しはじめた、
ウィリアムズに移籍。
シーズン終盤、
因縁のブランズハッチで開催された、
ヨーロッパ・グランプリで、
ついに念願の初優勝。
この初優勝は、デビューから72戦目という、
当時もっとも晩い初優勝でした。
苦労人マンセルを象徴する記録ですが、
つづく73戦目で2勝目を挙げ、
ついにその才能を開花させます。
この後も、F1総合チャンピオンになるまで、
壮絶な試練が彼を襲います。
マンセルが過去、
自分自身に失格の烙印を押さなかったことが、
不思議に思えるほどの、
冷たい現実の連続でした。
彼が経験した数々の困難の、
どれかひとつでさえ、
その道を諦めるのに、
充分な理由となったはずです。
首を骨折した時、
家財道具を全部売り払った時、
彼が夢を諦めていたら、
この成功はありませんでした。
しかし、彼はどんな逆境も、
乗り越えて来たのです。
私は今からF1に参戦しようとは思いませんが、
彼のように、あきらめないでやり続ける努力を、
身につけたいと心から願っています。
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS. あきらめないでコツコツやり続ける資質を身につけることについては、
ここからも学べますよ。
http://www.0stresslife.com/zrl/
私は、人として心を動かし表現することを続けていきたいです。どんなに抵抗を受けても真理に沿う発言をしていきます。
素晴らしいお話です。しかしこんな壮絶で偉大な人
と平凡な一般人とどこかかけ離れている感じがしますが。
私の才能は、諦めないでやり続けることです。成功するまで