敬意なき人生
おはようございます!
マット・フューリーです。
先日、地元の空手マスターの家で
ランチをよばれる約束を
していた日のことです。
私は約束の時間の11時半きっかりに、
彼の駐車場に車を入れました。
彼は玄関のドアを開けて、
私を招き入れました。
私達は一緒に2時間ほど過ごしました。
そして、また近いうちに会おうと言って、
彼の家を出ました。
さて、上記は特に
大した話には聞こえませんね
(実際に大した話ではありません)
――私達の両者が約束をした、
という事実を除けば。
私達の両者が、「○○をする」と言い、
そして実行しました。
悲しいかな、
多くの人々がこうではありません。
彼らはある事を言って、
また別の事を言います。
彼らは約束するものの、
行動に移しません。
そして、その事を指摘しても、
彼らは謝罪すらしません。
彼らはこう思っているのです。
あなたに会うと約束して、または、
その仕事を期日までに
終わらせると約束して、
その約束を果たさなくても、
完全に許してもらえる、と。
敬意をないがしろにして、
一体どうやって人生を
送る事ができようか?
する気もないのに、
誰かに会うとか、何かを
時間通りに届けるとかを、
一体どうして言えるのか?
さらに悲惨な事に、
約束が守られなかった事に対して
相手が我慢するべきだと、
一体どうして思えるのか?
さて、マットは細かなものも含めて
全てのスケジュールを、
常にパーフェクトにこなしているのか?
――いいえ。
しかし、私は過ちを犯したら、
――約束に遅れたら
(揉め事に巻き込まれたせいで、
行けなくなったり、遅れたりした場合は)――
私は真っ先に相手に電話をかけて謝り、
約束を守るために必要なことをします。
***
約束して中途半端に果たすとか、
まったく果たさないのではなく、
少なめに約束して、多めに果たしましょう。
人々に、彼らが期待する以上のものを
与えるのです。
先週の金曜日の夜、
私は4時間のセミナーを開催しました。
参加費は無料です。
私は早めに会場に入り、
開始時間きっかりに始めました。
そして、終了予定時刻を迎えても、
全ての質問に答えるまでその場を
離れませんでした。
結局、セミナーは予定の時間を
40分も延長して終了しました
――無料のイベントで!
こういうのを、
敬意(リスペクト)と呼ぶのです――
自分自身に対して、
そして、私の話を聞くために、
はるばる足を運んできてくれた人々に対して。
もし私が逆の事をしていたら、
間違いなく、自分自身と自分の人生に
愛想を尽かしているでしょう。
マット・フューリー
PS.
何事も敬意を持って事にあたりましょう。
Drモルツの
自分を変えるイメージプログラムでは
感謝の精神を学ぶことができます。
http://www.0stresslife.com/zrl/
約束は小さめにして、多く果たす。なるほど。。。