「子供とデート」
from杉本
「お手てつないで行こ!」と、
6才になった愛が言います。
今日は、娘たちとデートの日です。
長女のあいはお母さんに、
よそ行きのドレスを着せてもらって
私と一緒に、近くの喫茶店に行って、
二人でチョコレート・パフェを食べながら、
おしゃべりします。
それから、家へ帰って、
今度は、次女の望とデートです。
さっきの喫茶店に行って、
のぞみはチョコレート・パフェを、
私は、今度はフルーツ・パフェを食べます。
のぞみは、目をキラキラ輝かせながら、
お姫様になった気分です。
でも口の周りは、チョコレートで真っ黒です。
最後に3女のあゆみの番です。
4女のさちは、
まだ赤ちゃんなので、デートできません。
あゆみちゃんもやっぱり、チョコレート・パフェです。
私は、2つもパフェを食べたので、もう食べられません。
で・・・・・、プリン・アラモードにします。
もう随分前のことですが、
今でも娘たちと、楽しく過ごした時間を思い出します。
私は、「子供のあるがままを受け入れる」ということを、
子育ての原則の一つにしてきました。
誤解を受けそうな表現ですが、
「あるがままを受け入れる」とは、
例えば、
子供は、一人でトイレに行くのが恐いときには、
恐いと言ってもいいということです。
これを言ったら、
怒られるとか、惨めな気持ちになるとか
そんな気持ちを持たないで、
のびのびと過ごせる家庭を作りたかったのです。
いつも、自分の弱点を指摘されて、
子供は、こうあるべきだという子供像を、
親から押し付けられて生きると、
子供は自分が好きになれないと思うのです。
逆に、子供は実際の自分を受け入れてもらって、
生きることが出来れば、
自分に弱点があっても、
人々は自分を愛してくれると感じ始めるのです
それを端的に示す言葉として、
「愛の関係を一番良く経験できるのは、
人々の欠点や弱みをあたたかく眺められる人である」と、
マックギニスが言っています。
子供たちの欠点や弱みを、
暖かく眺められるような父親になることを理想として、
頑張りました。
しかしそのような父親になるには、
まず自分の弱点を受け入れられるように、
ならなければならないことが、
サイコ・サイバネティクスを学ぶに連れて、
分かってきました。
つまり、自分に優しくできればできるほど、
他人にも、どんどん優しくなれるということです。
他人の欠点や弱みに厳しいのは、
自分の弱点を受け入れられないからだと思います。
繰り返しますが、
人は自分を受け入れられる程度にしか
他人を受け入れられないものなのです。
ですからまず、
自分を優しい目で見つめるようになりましょう。
私は、朝一番で、鏡に向かって微笑んでみます。
そしてこう言います。
「あなたは今日も良い父親、良い夫、良い働き手ですよ」
そうすると、元気で優しい気持ちで、
1日を始めることができます。
あなたはどんな方法で、
自分に優しくしていますか?
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS:
自分を許すことで、生きる事が本当に楽になりました。
そして、周りの人たちとの人間関係もよくなります。
あなたも一度試してみませんか?
ドクターモルツの愛に溢れた「サイコサイバネティクス」を。
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『私は、「子供のあるがままを受け入れる」ということを、子育ての原則の一つにしてきました。』
そう書ける杉本さんは素晴らしいお父さんだったのだろうなぁ、と思います。私の父は100%のモーレツ仕事マンで、私は高校3年になるまで、父と言葉も交わしたことがない程でした(ひとつ屋根の下に住んでいながら、です)。子どもには関わらないと決めていたのでしょうか? 思い返すと、家庭の中はいつもギスギスしていた気がします。母は毎日機嫌が悪く(子どもの目から見ると)、「~しなさい」という命令形の言葉しか言わなくなり、普通の会話は成り立たない家庭でした。家族の思い出は、つらいものばかり。優しい思い出がある方が正直羨ましいです。
7年前に父は他界しましたが、ビックリしたのは父の葬儀の際、お通夜、告別式の両日とも、2000人もの方が父との別れを惜しんで来訪されたのです。私以上に泣いている方もいました。父に命を救われた(ような)と仰る方もいました。
どう考えても、私の父は冷血漢であったとは思えないし、悪人でもなかったのです。なのに、どうして…自分の家庭を崩壊させてしまったのか。 自分に厳しい人だったので、他人にも(家族にも)厳しかったのでしょうか。優しくしないことが厳しさの表現だったのでしょうか、今は問う事はできません。
私自身は、人と付き合う際に、「人に合わせている部分の自分」がとても気になって、その違和感に苦しくなって、自分自身がどこにあるのか分からない気がしたり、自分が「その場限りの良い顔」を作ろうとしている二重人格のピエロのような気がしたり…。社会人経験が長くなる程に、自分という核がなくなっていくような気がして悩んで(落ち込む感じです)いました。
ここには書ききれませんが、最近ようやく「自分を理解して、自分に優しくする」ことが自然にできるようになりました。少しずつですが。優しい気持ちになれると、人にも優しくなれるし、日常も楽しく感じられますね。最近「人のあるがままを受け入れればいいんだ」という気付きがあって、それを大切にしていたので、一言書かせていただきました。(私は「他人のあるがままを受け入れよう」と思いながら、多分「自分のあるがまま」に自然に向き合っていたのだと思います。今、気付きました)
いつも ありがとうございます。
若い頃から妻と貧乏店舗経営。一向に生活が楽にならず、妻に対しこんなことも出来ないのかと苛立ちの日々だったが、歳をとった今妻を非常に尊敬できる。別に妻のやっていることは前と変わらない。
これが言うところの「他人を許す」ということなんだろうか?そしてそれは「自分を許す」ことが出来るようになった結果なのだろうか?
子供には、自分が自分の事を好きでいられるようになってほしい、と私も思っています。
自分自身が、自分の事が嫌で嫌いで最低だと思っていて苦しかったので。
ダイレクト出版さんのおかげで、ずいぶん自分のことを受け入れられるようになりました。
ありがとうございます。毎日メッセージを楽しみにしています。
娘さんたちとの素敵なデート、ほほえましいですね。。。
自分に弱点があっても、できないことがあっても、人々から愛してもらえる。そう思えなかったから、これまでずいぶん苦しかったです。”完璧にならなければ””うまくやらなければ”という焦り。それは、今の私には、もう要らない。
自分に優しくするには、「もう、充分よく頑張ってるよ」と声をかけます。