共感するよりお勧めです
おはようございます。
スポーツドクターの辻秀一です。
「共感」という言葉が、
流行っているように感じます。
例えばビジネスの現場では
お客さんに共感しなさいとか、
夫婦関係では相手に共感しなさいとか、
コミュニケーションにおいても
相手の話を聞き、共感しましょう
などと言われていないでしょうか?
なるほど、確かに共感が
大事なのかもしれません。
実際に共感しようと
試されてきたかもしれません。
では、実際に共感できたのでしょうか?
例えば、相手の女性から
女の上司の愚痴を聞かされて
いたとしましょう。
あなたが男性だとして、
彼女の愚痴に共感することが
できるでしょうか?
例えばサラリーマンの人が、
従業員を 400 人抱える
会社の経営者の悩みに
共感することはできるでしょうか?
犬のしつけで悩んでいる
お客さんの気持ちを、
犬を飼っていない保険の営業マンが
共感することができるでしょうか?
共感とは共に感じると書きますが、
実際のところ、他人が感じていることを
同じように感じるのは
とても難しいのです。
相手の気持ちを一緒になって感じるには、
自分も同じ体験をするしかありません。
残念ながら、話を聞くだけでは
共感することはできないのです。
ですので、もし相手を気分良くしたい、
相手と良いコミュニケーションを取りたい、
と思っているなら、
わたしは共感するよりも
「分かってあげよう」と
考えることをお勧めします。
不思議と、相手に対して
「この人は分かろうとしてくれている」
という雰囲気は伝わるものです。
分かってあげようと考えて話を聞けば、
聞き方にも変化が現れます。
そして「分かった」と
伝えてあげることで、
相手は満足感を得て、気分が良くなり、
あなたの話や要望を
聞いてくれるようになるでしょう。
別に無理して
共感をする必要はないのです。
ただ、分かってあげると考えて
相手と接してみてください。
P.S.
このような聞き方を心がければ、
相手をフローに、気分良くさせて
相手のパフォーマンスを
高めることもできます。
このような、相手の能力を引き出す
人との接し方について、
もっと詳しくお伝えします。
↓
http://directlink.jp/tracking/af/368691/R8XGo2qD/
>そして「分かった」と
>伝えてあげることで、
先生、これは経験しなくてもわかるものなのですか?
>相手の気持ちを一緒になって感じるには、
>自分も同じ体験をするしかありません。
同じ体験をしないでわかるものなのでしょうか?
非常に矛盾を感じました。
相談支援の仕事をやっております。先生のおっしゃる通りだと思います。昔、指導者からよく、「共感は用いる手段ではありません、至る境地です」と言われたものです。確かに境遇背景が異なる人の間に、簡単には共感は生じません。それよりも分かろうとしてくれている、寄り添ってくれていると思ってもらうことが大事に思います。
「共感」と「同感」は違うのでは。
相手の気持ちに寄り添い、受け止め、分かろうとすることが「共感」であり、同じ体験をするなどして相手と一緒になって同じように感じるのは、「同感」だと捉えています。
つまり、辻さんがおっしゃっている「分かってあげよう」と思いながら聴くことは、まさに「共感」なのではないでしょうか。
わかってあげようとすることが共感の本質だと思っております。同じ体験をするのが共感の近道だとは思いますが、人の想像力とはそれをも凌駕するものと思っております。実際に体験したことしかじぶんの経験として認められないのなら、この世界に、芸術や学問の共有はできないのではないのでしょうか。