詐欺師症候群
From:小川忠洋
大阪の自宅から、、、
今日は、面白い言葉を発見したので、
それをシェアしたいと思う・・・
「詐欺師症候群」
と言うものがあるらしい。
英語で言うと、
インポスターシンドローム。
これはある程度、
社会的に成功した人に
見られる症状だそうだ。
どんな症状かと言うと、
自分の功績や成功を
自分の実力のものだと、
信じる事ができなくなる状態。
今までの成功はただ単に
運が良かっただけで、
本当は自分には、実力なんか
ないんじゃないか?という、
疑心暗鬼になってしまう症状の事だ。
そして、いつまでたっても
自分に自信が持てない。
あなたも、
今まで見かけた事はないだろうか?
社会的には成功しているのにも関わらず、
何だか自信なさそうに振る舞っている人を・・
日本では、
文化的にというか
習慣的にあまり個人の成功を讃えない。
それよりも、
成功しても、謙虚で、
それを自分の実力だと
言わない人が尊敬される。
「○○さんは、
こんなに業績を上げて
スゴいですね。」
「いやいや、運が良かっただけです」
と言うような会話が、
日本人の典型的な会話だ。
しかし、この詐欺師症候群の
観点を加えてみると、、、
「運が良かっただけです」
と言うふうに言うのは必ずしも
いい影響があるわけでもなさそうだ。
当人が、自分自身に
絶対的な自信があるのなら、
どんな言葉を言っても揺るがないだろう。
しかし、
まだ自信がついていないなら、
「運が良かっただけです」とか言うのは、
変な自己催眠を自分にかける事に
なるかもしれない・・・
あなたはどう思う?
僕は、こう思う。
ほとんどの人は、
必要以上に自分を卑下している。
だから、これ以上自分を下げるような
言葉や考えを使うのはどうか?と思う
日本語には”謙譲語”という丁寧語がある。
これは、自分の行為を下げて
相手を上げるという言葉だ。
そんな言葉の使い方があるなんて、
やっぱり日本人は自分を下げる傾向が
あるんじゃないかな?
それって自分自身に
いい影響を与えるのだろうか?
あなたのコメントを待ってるよ。
-小川忠洋
PS:
どうすれば、揺るぎない絶対的な
自信を得られるだろうか?
僕はこれを聴いたことで、
本当の自信を手に入れることができた。
http://www.0stresslife.com/zrl/
いつも いつも ありがとうございます。
お話を毎日いただき、無料で…感謝しております。
コメントしても、良いのですね。
本日のお話。
私、運が良いのです。とよく 話しています。
本当に、そぅ思うからです。
自分も出来る限りの努力はしますが、
それ以上の 思いがけないことが起こり、
神様に(特に信心している宗教はありません)自分がわからない、守られている。そぅ思うときもあります(^-^)
「みんな」という言葉の功罪を考えよ、そんな風に読み取れました。
是とも非とも言えません。ケースバイケースで考えないと。。
日本語の謙遜語、
これはやはり大切にしないといけないと思う。
しかしこれからは自分をアピールしていく時代。
自信を持って臨むことも重要だと思う。
要は温故知新、バランス感覚ではないでしょうか。
日本には、この話題に関連することわざとして「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのがありますが謙譲の心は、たとえ成功したとしても調子に乗るな。という戒めのような気がします。成功して浮かれてばかりいると、足元をすくわれることもあるということではないでしょうか。あまりにも自信が無さ過ぎるのも問題ですが、調子に乗りすぎるのもどうかと思うわけです。
こんにちは。小川さん!いつも勉強になるメルマガが楽しみです。
自分を下げて話す傾向あると思います!私も実際してる時がありますが、やはり言葉の持つパワーは偉大だと思うので、褒められたりしたら、素直な気持ちでその気持ちを受けとり、ありがとうございます!と言えたら自分も相手も気持ち良いのではないかと思います。
日本の素敵な謙譲語という言葉も大切にしながら、沢山の日本人がもっと自分を受け入れ自信が持てたら日本の未来も変わって行くのではないでしょうか。だから自分を大切にして素敵な言葉を沢山浴びせましょう!と思います。
日本人特有なのかも。
芸人でも科学者でも、たしかに「努力しました」とは口が裂けても言わない。
それどころか日本人は
「とかく日本人は」「どうも日本人は」と
自分・自分たちを卑下するのが好きみな民族だ。
自己犠牲が好きな民族だから自殺を美徳化するし
自らの生命や財産をなげうって○○しました、とかいう話がバカウケする。
自分の命を大事にしよう、自分をかわいがろう
などと公言したら袋叩きに遭いかねない。
でも日本にいようとしたら、そのスタイルで行くしかない。
謙譲語が自分自身にとっていい影響があるのか?
については、個人にとって、正直モルツ先生の話を聞いてるとマイナスの側面も少なからずあるように思います。
ただ、昔沖田総司か誰かが、人の上に立つべきなのは人の下に立てる人、的な言葉を言ってたらしいんですが、日本の文化という集合体で考えたときに謙譲語的なそういう感覚とか教育とか土壌というのは素晴らしいな、と個人的には思います。
日本人は確かに謙遜するのがいい人柄をあらわしているように思うところがあると思います。
素晴らしいですね!
と言われたら
はい!ありがとうございます。がんばりました!
と言うようにします。
運も実力のうちです。
中村
謙譲語はとても素晴らしい日本語の表現だと思います。
謙遜は、自己を卑下するどころか本物の自信のある方がもつ謙虚さだ思います。
全て自分の力でできた、と思う方がむしろ傲慢かと思います。
「運ではなく」
日本人が昔から大切にしてきた言葉「お陰様で」を使えばいいのではないでしょうか^o^
成功というのは自分1人の力では絶対にかないません。本人の努力と様々な見えない「陰」の存在があり、それに「お」と「様」をつけた感謝の言葉は仏教国日本ならではの、とても素晴らしい言葉だと思います。
謙虚に振る舞う根拠は感謝の心をわすれて驕慢になるのを防ぐためでもあり、自信がうぬぼれになり、自己破滅しないための大切な制御装置でもあると思います。
「運がよかったからです」ではなく、「お陰様で、感謝してます」という言葉が詐欺師症候群のよい薬になるのではないでしょうか^o^
そうですね。「ビギナーズラックです」とかよく言ってました。
ほめられたら、「はい、ありがとうございます。頑張ってます」って言えばいいんですよね。
結果を出したのは自分なんだから
成功後、あるいは失敗の後は特に
なぜそういう結果になった、なってしまったかかの検証が大事ですが
意外と日本人はそこのところ不得手なのかもしれません。
ひいては歴史認識の希薄さもそこから来ているように思います。
「過去の事は水に流す」「武士の潔さ」といった美意識もありますし。
そこの振り返りを成功者の方もいまひとつ未検証のままといった要因が
「運がよかっただけ」といった発言をさせてしまう一因ではないでしょうか。
常に「今回自分はどうして成功した」「失敗した」かをあきらめ悪く自問自答を繰り返し
更なる進化を遂げられるようでありたい。
(と書きながら自分自身に言い聞かせています。)