比較
From:小川忠洋
「他人と比較して、他人が自分より
優れていたとしても、それは恥ではない」
誰が言ったかは忘れたが
こんな名言がある。
人は常に、他人と比較をしたがる。
ある研究者によれば、
人は他人と比較する事によって
自分の居場所を確かめるのだと言う。
例えば、
他人より給料が高ければ満足して、
他人より給料が低ければ、、、
年収3000万でも5000万でも満足しない。
人は、自分が本当に求めているもの、
自分が本当に満足できるものを
知らずに比較する事によって平安を得ている。
が、 しかし、
他人との比較には終わりがない。
自分の年収が、
3000万になったら、
5000万円の人が見えて来て、、、
年収が5000万円になったら、
今度は1億円の人が見て来る、、、
そして、永遠に満足できない。
実際問題としては、
3000万円も5000万円も1億円も
生活にはほとんど差が
なかったりするんだけど。
実際、「年収がスゴく高いけれど
全然、今の生活に満足できていない!」
と言う人に僕は会ったことが何度かある。
そういった人たちに共通するのは、
常に、何かに「嫉妬」していると言う事。
常に自分より上の人を見て、
それを見て嫉妬している。
自分と比較をして、嫉妬している。
本当に満足した毎日を
送るためには、この比較を
立ち切る勇気が必要だ。
特に人が比較をするときは、
他人の優れている所と
自分の劣っている所 を比べがちだ。
そして、劣等感を感じる。
これは全くもって必要のない事。
それよりもっと大切な事がある。
それは、冒頭に引用した言葉の
続きに書かれている・・・
「他人と比較して、他人が自分より
優れていたとしてもそれは恥ではない。
しかし、去年の自分より、今年の自分が
優れていないのは、立派な恥だ」
あなたはどう思う?
-小川忠洋
PS.
このプログラムを実践してから、
他人と比較することがなくなり、
ストレスが消えた。
気づけば年収や生活の質は
以前よりも上がっていた・・
http://www.0stresslife.com/zrl/
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デイリーインスピレーションに出会って
あなたに変化はありましたか?
それを僕らと共有しましょう。
あなたの変化を教えてください。
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人間は社会的動物なので、他者に認められることによって、はじめて自分を認められる、という側面がある。しかし、自分の価値の評価を他者に委ねてはならない。それは危険なことである。他者の無責任な意見に惑わされてはならない。他人が自分をどう思うかより、まず、自分が自分をどう思うかのほうが、はるかに重要である。
つまり、周りに認められるかどうかより肝心なのは、自分が自分を認められるかどうかなのである。自分は、自分と一生付き合っていかなければならない。ならば、自分が自分を好きで居られるよう、努力しようではないか。
日本には「嫉妬の文化」があると言われている。自分の家に宝船が来るのは歓迎しても、他人の家に宝船が入るのは我慢がならない、ということである。
まあ、そんな嫉妬深い連中は、ほうっておこう。「嫉妬」という漢字には女偏が使われているが、これは、漢字は男性が作ったものだからである。実は、女性の嫉妬などは可愛らしいもので、男性の嫉妬のほうが、はるかに恐ろしいと言われている。
結論すれば、相対評価よりも、絶対評価を信憑すべし、ということである。過去の自分より、現在の自分のほうが、人間として成長しているかどうか、が問題なのである。
ここまで、チャーリー・パーカーをかけながら書いた。クリント・イーストウッドの映画「バード」はチャーリー・パーカーの伝記映画で、ジャズに対する愛、チャーリー・パーカーに対する敬愛の念が満ち溢れている名作である。ジャズに興味のある方には、一見の価値あり、とオススメする。
ここまで読んでくださって、有り難うございました!
気温の寒暖の差が激しい昨今、小川様もどうかご自愛くださいませ。
いや~~今日もしびれた!!
自分にもあるであろう良さを信じて、ユニークさに磨きを掛けて、去年の自分より素敵に。
こころの豊かさも大切にして。
現実的にもやるぞ~。
良い意味でも悪い意味でも、私は他人と比較しながら生きて来ておらず、
「今、やっていることがそもそも正しいかどうか」(勿論、そもそも論を言う
場合にもある枠組みの中で言っているだけですが)
を判断基準にすることが多いです。そして、このような判断基準で生きて
行くのに適した社会とそうではない社会がある、ここがポイントだろうと
考えている次第。宗教家になるつもりは、薄くなり始めた髪の毛に誓って
毛頭ありません(^^;)