本当の欲張りとは?
おはようございます!
マット・フューリーです。
どれだけ多くの人が、「欲張り」
呼ばわりされるのを恐れて、
金銭的な制限を自分自身に
課していることか。
そんな人があまりにも多いことに、
びっくりしてしまいます。
私が子供の頃に聞かされた
教訓は単純でした。
「最低限必要なものが揃っている限り、
それ以上のものは何も要らない。
それだけで十分。」
しかし、残念ながら、
それでOKというわけには
いかないのです。
基本をカバーするだけで
十分ということは、
辛うじて生き残っていれば
良いと同じことです。
ギリギリの生活を目標に据えるなんて、
果たして良いことでしょうか?
皆さん、私たちはこの豊かな
宇宙の中で生きています。
どれだけたくさんの空気を
吸ったり吐いたりしようが、
あなたの自由です。
あなたが他の誰よりも
多くの空気を吸ったからと言って、
誰があなたのことを欲張りだと
言うのでしょうか?
同じことが知識についても言えます。
あなたはあることが大好きで、
他の誰よりもたくさん勉強したとします。
あなたの知識の探求は
欲張りなのでしょうか?
武術やスポーツについては
どうでしょうか?
私がトレーニングを
やめようとしないからと言って、
誰も私のことを欲張りだとは言いません。
つまり、あなたの目標が
何であるかを知らない人が、
あなたがやっていることの中で、
何が欲張りで、何が欲張りでないかを
言うことはできないのです。
このことを表している話があります。
あるところに、一人の禅師がいました。
彼は芸術家としても名を馳せていました。
ただし、彼は自分の作品に
他の誰よりも、ずっと高い値段を
つけていました。
周りから、
「貪欲な男」だと中傷されましたが、
彼は気にすることなく作品を制作して、
高額な値段をつけ続けました。
ある日、一人の芸者が
彼のところにやってきました。
「いくらでも払うので、
絵を描いてほしい」と。
禅師は絵を描きました。
しかし、できあがった作品は、
芸者の気に入るものではありませんでした。
それでも彼女は、
言われたままの金額を払い、
さらに、もう1枚描いてほしいと
彼に依頼したのです。
禅師は承諾しましたが、
さらに高額な値段を要求しました。
そして2作目ができあがりました。
芸者はその作品を気に入って、
彼にお金を払いました。
何年もの間、人々は彼のことを
欲張りな男だと、非難し続けました。
しかし後年になって、
その禅師が洪水で流された町を
再建するために、ほとんどのお金を
貯めていたことを人々は知りました。
すると、禅師に対する
彼らの見方が変わりました。
あなたには何か目標があると思います。
子供を大学にやりたいとか、
世界旅行をしたいとか、
興味のあることを追求したいとか、
学校や図書館、教会、病院などを
建てたいといった目標があると思います。
そうなら、一体誰があなたを
欲張りだと正当に非難することが
できるでしょうか?
あなたの目標を知りもせずに。
では、貪欲だと言われるべきものは
あるのでしょうか?
もちろん、貪欲な人はいます。
私の考えでは、
周りの同胞にまったく関心がなく、
自分だけのことしか考えていない人が、
欲張りな人です。
つまり、貪欲は、持っているものが
多かろうが少なかろうが、
量とはまったく関係ありません。
むしろ、貪欲は、その人の考え方に
すべて関係していると、私は思っています。
裕福ではない人が
欲張りになることを恐れているのは、
砂漠に住んでいないのに
サソリを怖がるようなものです。
また、お腹が空いている時に、
暴食を心配するようなものです。
パートナーが誰もいないのに、
色欲を恐れるようなものです。
今日の社会では、
年間100万ドルを稼いでも
決して欲張りではありません。
年間1000万ドル稼いだって、
欲張りではありません。
全米中の億万長者が
多くの慈善事業に携わっています。
そんな彼らを我々は
欲張りだと言えるでしょうか?
私はこう信じています。
神様は、多くのものを
私たちが追求できるように、
豊かな宇宙をお与えになった、と。
しかし、多くの人々が、
ほとんど無きに等しいものしか
求めていません。
そして、それよりも少ないものしか
受け取っていないのです。
賢明な人なら、個人的な目標や
ビジネスに関わる目標を達成するのに
助けてくれるものを求めるでしょう。
賢明な人なら、
大切なのはお金の量ではなく、
セルフイメージと人格を
積み上げていくことだと悟るでしょう。
手にするお金の量に対して恐れず、
心地よく受け取ることの
できる人になるために。
お元気で。
マット・フューリー