乗り越えろ
おはようございます!
マット・フューリーです。
中国の海南島での滞在中、
かつてないほど激しく雨が降った日がありました。
全部ではありませんが、いくつかの道路は浸水していました。
雨が止んだ後、私と義兄は車を出してもらい、
町の中をドライブしました。
私は、助手席側なら大丈夫だろうと思い、
窓を開けて、外を眺めました。
ふとした瞬間、一台のバンが私達の車の横を突っ走りました。
跳ね上がった泥水が、開けていた窓から
私と義兄にめがけて降ってきました。
「こ、このやろう・・・!」
白状しましょう、それが私の頭に真っ先に浮かんだ言葉です。
そうです、禅マスターだって、
時にはそういう行儀の悪い言葉を使うこともあるのです。
義兄はさらに激しい言葉を発しました
(あなたが17歳以上で、親の許可ももらっているなら、
彼が何を言い放ったのか、お教えできるのですが・・・)。
数秒後、私は自分のはげ頭にかかった汚い水をふき取り、
この災難について、見方を変えて考えました。
私はふざけて言いました。
「悪態をつくなよ。
泥水をかけてくれたんだから、彼を愛さなければ」
「君は正しいよ。
あの野郎は、俺に大声で罵る理由をくれた。
だから、あいつを愛しているよ」
「ああ、時には怒るのも楽しいからね」
「そうさ。
罵る相手が誰もいなかったら、人生はつまらないだろう。
何事にもバランスが大事だからね。
中国には、『愛しているから罵る』ということわざがあるんだ。
まり、罵らないってことは、その人のことを気にもしていない、
ってことになるんだ」
その後、私達は泥水をかぶったまま、30分程ドライブをしました。
快適な状況とは決して言えませんが、
二人とも、シャワーを浴びて着替えれば済むことだ、と思っていました。
だから、私達はその状況を乗り越えることができました。
***
さて、大雨の後に道路に溜まった臭い水を頭からかぶるより
酷い状況とは何だと思いますか?
それは、鏡の中の自分を見て、体形が崩れているのを認めながらも、
それを無視しようと決めて、状況が変わるのをただ願うことです。
変わりませんから!
確かに、不健康を改善するのは、
シャワーを浴びて着替えるのとは訳が違います。
また、窓を閉めて、不快なものをブロックするのと同じくらい
簡単なことでもありません。
しかし、醜い自分に対して罵るのは、
どれほど自分のことを想っているのかの表れではないでしょうか。
そもそも、不健康な状態を問題視せず、
「あなた」が「あなた」自身を全然気にしていなければ、
自分を罵る必要はまったくないでしょう。
ここで、誤解しないで欲しいのですが、
私は、毎日、自分を卑下しろと言っているのではありません。
私が言いたいのは、自分自身を見て、
思いっきり悪態をつくのは全然悪くない、ということです。
ただし、ある段階で――早ければ早いほど良いのですが――
悪態を中断しましょう。
そして乗り越えましょう。
リラックスして、深呼吸して、
自分の体を変える計画を立てましょう。
あなたが見たものに対して怒っているのは、
あなたが関心を寄せているからです。
しかし、その怒りにずっと留まってはいけません。
怒りから喜びに転じましょう。
今、この状況にいることに感謝しましょう。
何故なら、あなたは今、それを克服するための完璧な場所にいるからです。
そして、いつの日か、自分の成功談をノートに綴ったり、
他人に話したりしましょう。
そうすれば、冷たくて、辛くて、変わりやすい現実を浴びたばかりの人に、
ためになる教訓や助言を与えることができるでしょう。
乗り越えた「あなた」なら、それができるはずです。
マット・フューリー
PS.
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成長する人や企業は同じ考え方をしますね。
私は接客業に従事していますが、
お客様からの苦情(時に理不尽と思えることもありますが)を
「アドバイス」や「opportunity」と呼ぶ企業もあります。
まさにその通りで、進歩・改善・成長するとても良い機会なのですね。
本当に素晴らしい話です。
「ああ、時には怒るのも楽しいからね」 目から鱗でした。
こういった解釈にすぐ切り替えるところに、その人の人格が問われているような気がします。
とても参考になる話をありがとうございます!
本日の話には感動しました。
なぜなら、私にとっての脚痩せという課題は、多くの人にとっての仕事や人間関係の問題と同等に悩ましいことで、しかし、自己啓発系のセミナーや本では
「他人と比べない」とか
「自分の痩せたところをイメージして」とか
書いてあります。
が、当の本人にしては、何をやってもなかなか進歩を見せない自分の体・・・、
どうしても綺麗な脚の人を見ると羨ましく思って、それが自分を落ち込ませたり、
いつも気になっているから、細い脚を手に入れた自分を想像しようとしても
全く浮かんでこなかったり・・・。
でも、今回の話で、
悪態をつく=(私にとっては)気にし過ぎること、落ち込むこと
は自分の体のラインをキレイにしたいという、自分への愛から来ているのだと気付けました。
今まで、自分を愛していないんだと思っていました。
いつもがっかりしたり、諦めたりしていたから。
でも、これほど気にしてあげているというのは、自分をとっても愛しているからなんですね。
気にしてない人は、自分の体を手荒に扱っていますもんね。
食べ過ぎ・飲みすぎ・ケア不足・運動不足・・・。
記事にあったように、早く他人への羨望や自分への落胆を乗り越えて
変えていこうと思います。
怒りにとどまらずに、それを喜びに変化させ、同じように悩んでいる他の人々に対して、役に立てるようになればと思います☆
今、この場所にいることに感謝し、こういうことに悩んだからこそ
色んな気付きを学び、成長し、進化したいと思います。
突然自分の身に降りかかったことに対して怒りを発することは、この年になっても起きます。そんなに長くは続きません。大したことではなかったんです。人がいいのかよく騙されたりします。だまされた自分も悪いんです。だますことをさせた人に罪を犯させた自分の方がもっと悪いのでしょう。高校時代、トラックを運転し帰宅を急いでいました。田舎道の雨上がり、脇を自転車で走る女性に私が泥をかけてしまったんです。車を止めて謝りました。よく見ると同じ高校の女生徒です。彼女は笑顔で挨拶をくれました。それ以来雨上がりは注意して走ります。49年も前のことです。
ほんとに、いつも気づきをありがとうございます。
本当に、乗り越えなければ、なにも変わりません、
本気で、歩き出さなければ、こんなことを言っている
内は歩き出していないのかも知れませんが
とにかく、自分のペースで歩きますが、
的はずれの方向に歩いていないかチェックは必要です。
このメールを一つの指針とさせていただいております。
ありがとうございます。