そんな資格はない
From:小川忠洋
大阪のオフィスから、、
「そんな資格はない。」
あなたも今までこんな事を
心の中で思った事があるんじゃないだろうか?
自分にはこんな事をやる資格はない。
自分には人にこんな事を教える資格はない。
などなど。
あるクライアントから
相談を受けている時、
こんな会話になった。
「自分にはそんな事を偉そうに
部下に教える資格はないんじゃないか
と思うんです。」
・・・する資格がある
・・・する資格がない。
というのは、極めて日本人的というか、
謙虚で控えめな考え方ではある。
それは、いい方向に出れば、
「もっと成長しなければ・・・」
「もっと学習しなければ・・・」
という成長意欲につながる。
しかし、一方で、それが逆の方に出ると
「自分には資格がない。だからできない。」
「・・・だから、教えるのに躊躇する」
「・・・だから、自信が持てない」
という、良くない結果にもつながる。
どっちが正しいんだろう?
あなたはどう思う?
僕の考えはこうだ。
「資格なんて誰もありゃしない。」
「資格なんて誰も与えてくれない。」
自分が何かを達成したから、
自分が何かで成功したから、、、
だからと言って、誰かがあなたの所に
やってきて、
「おめでとう!君には~~する資格があるよ!」
なんて事を言ってくれる事は絶対にない。
まず、ない。医者や弁護士、公務員などの
国家資格でもない限り、、、
誰か他人があなたに
何かをやる資格を与えてくれる
何て事はないのだ。
これは全てセルフイメージの問題だ。
考えてみよう。
世の中には子供を育てる資格の
ないような親だってたくさんいる。
でも、その人たちが
「自分には子供を育てる資格はない」
なんて言って育児放棄したらどうなるだろう?
大変な事になるんじゃないだろうか。
資格がある。
資格がない。
という話は全て、「他人からの承認」
の話に行き着く。他人が認めてくれたら
できて、認めてくれなかったらできない・・・
なんて事はあってはダメだ。
(何日か前のメールにも書いた
金か名誉か)
よくよく考えてみよう。
このデイリーインスピレーションだって、
書いているのは僕。33歳の若造である。
33歳の若造が、自己啓発的な
事を語る資格があるんだろうか?
客観的に見ると、「ないだろ」って
思うのが普通じゃない?
でも、僕は書いている。
あなたに語りかけている。
何故なら、僕には誰かに
承認してもらう必要がないからだ。
あなたの役に立つような事を
書くのに他人の承認は必要ない。
あなたが気に入れば
読み続けるだろうし、
気に入らなければ解除する。
それだけの話だ。
あなたも、とてもユニークな
経験や知識を持っている人だろう。
その経験や知識を人に承認してもらう必要はない。
自分自身が認めていればいいのだ。
そして、自分のやっている事の
レベルをあげるようにフォーカスすればいい。
(僕のケースではいい情報を伝えれるように
いろんな事を学ぶようにしている)
自分のレベルを高める事に
集中して、他人の目は忘れた方がいい。
-小川忠洋
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いつも参考にさせていただいています。遅れながらコメントさせていただきます。
なんといいますか、現在の私自身がそうなのですが、
・・・まさに資格がないという見限った発言や自分に許可できないという
考え方をお持ちの自信をもてない方の思考の根底には、自分の評価という
ものを世間の”標準”という尺度で捉得がちだと思います。標準を基準・・
と自分で認めている範囲・許容範囲を確認することはできると思います
が、普通だったら~こうあるべき?のような基準で、・・歯止めをかけて
しまう結果、人にも自分にも受身といいますか消極的になってしまいま
す。考え方が狭くなってしまいます。
と、ここで同意を強く求めたがる自分がいるのですが・・・自信がない自
分というのは、人に受け入れてもらいたいと切望してしまい、常にその姿
勢で生きています。ですから人からの同意を得られないと不安になってし
まいますし、現実生活では行動の幅・考え方がかなり制限されていきま
す。そのうち、私は本当の自分がしたいことさえも見えなくなってしまい
ました。しかしその為、自己改善ために根気よくセルフイメージの構築に
取り組もうというきっかけや原動力になりました。これは、まわりから批
判されてもやれそうです。なぜなら、やらなければ苦しいからです。また
誰かにコントロールされていると感じることも居心地がよくありません。
~する資格がないと自分で決め込んでいても、まわりが少数でも賛同
してくれる方々がいらっしゃれば行動しやすくなる事もあると思います。
自分の中の肯定する力が強くなっていけば、自由を手に入れた!と実感で
きることと私にとっては同等です。周りから批判されようとも自分の行動
が制限されないという実感と、羽が伸ばせるような自由を感じたい。そ
こに到達できるかどうかは今後の努力次第ですが、それを望む資格がいる
かどうか・・本心が望むことに資格を得る必要はないとわかる気がしま
す。自分が~する資格がないと否定してしまうということは、本心からま
だそれを望んでいないとも言えることなのかもしれません。
自分に信じるままに行動することが大切ですね。
そして小さくても良いので、少しずつ自分で成功体験を積んでゆくと自信が沸いてきて確信に繋がってくるのではないでしょうか。
私は、そうやって生きてきましたし、今後もそうやって生きて行きたいと思います。
外国人の彼女がいました、他人の目がきになって私から別れを告げました大好きな彼女をきずつけてしまってもう死んでしまいたいくらい自分が嫌いでしょうがないです。昔から他人の目ばかり気にしてしまって本当に自分にとって大切なものが見えない不幸な盲目男です。
あらゆる“資格”を片っ端から取得するが、
仕事にも実生活にも全く活かしてない、という人が以外に多いです。
資格コレクターという趣味もアリだろうと思っていましたが…
これを読んで、そういう人のセルフイメージは
惨憺たる状態なんだと気づいてしまい、
驚愕すると同時に、その人の葛藤を想像してしまい
何だか息苦しさに襲われました。
資格がある。
資格がない。
今日のメールはすごい。生きる確信をついていると思いました。
「劣等感」から自分を低く見ていたのだから。
自分を「尊重する」そして「尊敬する」
そう思うことで「資格がある」と認め、
なによりも「自信」を得るのだから。
似たような言葉として……
何々の権利があるか否か
……っていうのがありますよね。
まったく同じことになりますが
権利は与えられるものではあらずして
自らの力で獲得するものなんです。
……ということは
ふつう 「権利」 と言われているものの実質は
権力に他ならないんです。
権力ですよ 権力……
……ね。
もっと踏み込んで言うならば
運・不運なんてものも 結局のところ
潜在意識の感応力と牽引力の顕れ
でしかないわけなんです。
それゆえに
己自身を鍛え上げて
権力=資格を勝ち取りましょう!
というわけで
「四面楚歌」 の戦場が即ちこの存在世界なんだよ
っていうことを 口が酸っぱくなるほど唱え続けている……
Minr Kamti,the Trinity こと
亀谷 稔でした。
他人に認められる、ほめられる、、とてもうれしい
でも、一番最初に、自分が自分をほめてあげたしほめたい
ほめられれば、もっとと、努力をするだろうし、これが
良い面かもしれない、私は、学校での勉強は現在の仕事と
まったく、関係ないものを専門に勉強してきた、
現在は、専門外のこ事を教えたりもしている、教えて欲しい
と言われたとき、自分には、教えるだけの知識は有ると思ったし
また、教える事が自分の勉強だとも思って教えている、
でも、日々教えられる事の方が多いですけどね、
資格、格付け何なんでしょう?そんなに、他人のつけた
何かが欲しいのでしょうかね、とにかく、結果は自分で受け止めなければ
ならないし、自分で道を決めなければならない、
その時に他人の目で(世間一般的には)はなく、自分の気持ちで
決め手行きたい、その方が納得するし努力もする、
いつもありがとうございます。
初めて投稿させていただきます。
小川さんよりも7つ年上ですが、いつも勉強になるなあと
毎日楽しく読ませて頂いてます。
特に今日の文章は目が覚める思いをさせていただきました。
ありがとうございます。
おはようございます。
本日のブログはとても新鮮ではつらつとしていて、読んでいて私まで
すごく元気になったようです。
個人を最大に重んじるという小川さんの哲学がしっかり出ていて
しかも武道をやってらっしゃるのでその見方に切れがあって
とてもよかった。
私の人生の半分くらいですが、これからもしっかり読ませてもらい
また自分とはちがった側面を勉強させてもらえればと思います。
ひとは歳に寄らず何らかの他人様とは異なる面を持っています。
それはどなたにもあてはまる事で、それがあるから人生はたのしい。
私も中学生を教えていますが、教えられことも多く、とくに脳の中が
未知のものを知る事にいっぱいになっている。
それゆえに子どもはほとんどの子がひかりの子だと思います。
全くその通りだと思います。
日本人のYABI-SABIのいい面でもあると思いますが、一般的に悪い面の方が多く抽出、排出されているように見受けます。
日本人はもっともっと自分に自信をもって、自分自身に生き切って欲しいと思う。
また、特に経営者やリーダーは、新しい人材、若い人材の素朴な意見の中に素晴らしいヒントや発見が隠れていることを、見逃してはいないだろうか・・・
「こんな新人(若造)に何が分かる、ものを言う資格などない」というレッテルを貼った貧弱なアンテナのおかげで・・
いくら良い情報が流れていても、受信機が悪ければ受け取ることは愚かその存在すら認識できない。
自らも尊重し、他をも尊重する姿勢がなければ新しい発見やチャンスを採りこぼしてしまうことになる。
もっともっと「前心(前進)」というポジティブに行動した方が徳作である。
誤りがあれば軌道修正していけばいいのである。
他人に生きるよりも自分に生きる方が遥かに価値的である。
自らの目標に生きる資格は自分が本来持っているもの。
他人がとやかく言うものでもないし、それを伺う必要もない。
「行動あるのみ」であると私は思う。