パラリンピックに同行して
おはようございます。
スポーツドクターの辻秀一です。
シドニーとアテネで開催されたオリンピックを覚えていますか?
同時に開催されるパラリンピック。
わたしは、パラリンピックに出る車椅子バスケットボールの全日本チームと一緒に現地へ行きました。
事故や病気などにより、彼らは車椅子生活を余儀なくされているわけですが、そんな彼らはとても「今に生きる」力が高いと感じます。
あのとき、何であの車に乗ってしまったのだろう…
あの車に乗りさえしなければ事故に遭わずに済んだのに…
なぜ、何が原因で病気になり足を切断しなければならなかったのか…
このようなことをいくら考えても、事故で失った足も、病気で切断した足も戻ってはきません。
いくら後悔しても、過去を変えることはできないのです。
同時に、このような経験をしている彼らは、明日は何が起きるか分からないということを痛感しています。
彼らも自分が事故や病気に巻き込まれるなんて思っていなかったでしょう。
いつも通りの明日がくると思い、毎日を生きていたはずです。
しかし、事故や病気は突然やってきます。
いきなり明日を奪われるという経験を彼らはしているのです。
そのような経験があったからか、彼らと一緒にると、とても「今に生きる」力の高さを感じます。
多くの人は「明日がある」と思っています。
しかし、「明日がある」と「今は 2 度と無い」は違うのだということを分かっていない人が多すぎるのではないでしょうか。
明日があるという保証があったとしても、今を適当に生きて良いことの理由にはならないのです。
このことを、みんな忘れている気がします。
昔は、明日の生活が保証されていませんでした。
今日食べるものもままならない中で、
「今に生きる」
「今できることをする」
「今に全力を注ぐ」
といったことが自然とできていました。
しかし、モノが溢れ、衣食住が保証されている現代、わたしたちは明日が保証されていると思い込んでしまっています。
そのため、今に生きる力が弱まってきているのです。
明日がある、という幻想を抱いているため、先延ばしをしても大丈夫だと思い込んでいます。
果たしてそれで、充実した人生を送れるでしょうか?
過去のことばかり考えたり未来のことを妄想したりするだけで、人生の質が上がるのでしょうか?
過去や未来のことを考えること自体は仕事で結果を出すために必要なことですが、そこにとらわれてしまうことが、人生の質を損なってしまうことに気づいてください。
P.S.
過去や未来のことばかり考えて時間を無駄にしていませんか?
もしそうなら・・・
↓
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2件のコメント
とらわれることなく考える。簡単なようで最も難しいことではないでしょうか。なぜなら、お金といい、国家といい、現在の安心を補償しているものは、皆思い込みによってつくられた幻想にすぎないから。
「現実に向き合えば、必ず不機嫌なことがやってきます。」
同感です。そんな中、何とかとがんばって対処しようとしてるのだけど、どこか無理が少しずつたまって疲れてしまって、後で気づいてやんなったりしますね。
ご機嫌でがんばってるときの自分にどうやって戻れるのかなと、フローマインドに立ち返る事だなと思えます。