話聞いてる?part2
From:小川忠洋
大阪のオフィスより、、
何日か前のブログ「話聞いてる?」に
対して、たくさんのコメントをもらった。
ありがとう。
いつも励みになってるよ。
そんな中、かげやまさんからの
コメントというか質問がちょっと面白かった。
なので、今日はその話を・・・
これがかげやまさんからのコメントだ・・・
投稿日時: 2009 年 10 月 28 日, 8:55 PM
中略~
誉められない=自分の話を聞いて貰えてない!
それでは相手を黙らせ倒してしまえ!
という思考回路の人には、
全然つまらない事にも誉めないことには
コミュニケーションは成り立たないのでしょうか?
(それも何だか不誠実で嫌です…)
人間には戦いの欲求があるのかも知れません。
ゲームは戦いですが、ルールを理解してでのゲームです。
相手の言葉を聞いてるからこそ、質問したのに
それで戦闘モードになってしまう人達と
どう付き合えば良いのでしょう?
まずは、かげやまさんコメント書いてくれて
ありがとうね。確かに人の本能の中で”戦い”という
のはあるのかもしれない。。。
簡単に戦闘モードに入っちゃう人と
どういう風につきあえばいいか?
これは結構、大切な質問だ。
僕が思うにその相手によって
取るアプローチは全く違うだろう。
もし、その人が自分にとって
とても大切な人だったら、何とかして
付き合う道を探して行くだろう。
以前、ロイスにアドバイスされた事がある。
「相手をfixしようとしてはいけない。」
Fixフィックス:という言葉は
修理するというような意味だ。
これは相手を壊れた機械のように
修理しようとしてはいけないという事。
そんな時にするべき事は
まず、相手との信頼関係を
築きなおす事からだと。
相手に感謝の意思を何度も何度も
伝えて、関係構築からやり直す。
そして、十分な信頼関係が築ければ
相手はあなたの話を聴くようになるだろう。
と言う。
一方、もし、その相手が
あなたにとってメチャメチャ重要な人
でないなら、、、
メチャメチャ重要な人とは、
だいたい家族や親友レベルかな。
そうでないなら、、、
素早くその人の元から離れて
その人と関わるのを止める。
仕事上、関わらなきゃならないなら
その仕事自体をなんとかする。
僕の場合、、、
かなりぶっちゃけて言えば、、、
ほとんどの人は後者にあたる。
だから、自分に害を与えるような人とは
付き合いを控えるし、意識的に離れる。
それが昔から付き合ってた人だったとしてもだ。
その結果、今つきあっている人は
ほとんどが向上心の高いいい人たちばかりだ。
(きっと最初からこうだったわけではないと思う)
付き合いを止める、
とか言うと何だかとても残酷な人間の
ように感じるかもしれないが、
付き合いというのは、、
「付き合い」程度の感覚で
するもんではない。(シャレではない^ ^;)
自分の周りに誰がいるか?
誰が自分に影響を与えるか?
これはもっともっと
大切なトピックだ。
-小川忠洋
PS:
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たぶん自分にも原因はあったのだと思う。
少なくとも最初の頃はこうではなかった。
でも今一緒にいるひとたちとこれから先も一緒にやっていては
自分がダメになってしまうと思う。
いつまでも殻から抜け出せないままだ。
消極的でダメな人間と言われ続け、自分自身でもそうなのかもしれないと
思ってしまう程だ。
よくいろんな本で「自分さえ良ければと思ってはいけない」なんて
書いてあるけど、
もう充分過ぎる程、周りの人たちに献身的に尽くしてきたと思う。
そろそろ自分のためだけに頑張ってもいいんじゃないかと思う。
これはよくない考えなのでしょうか?
このまま人のために動き続ければ道は開かれるものなのでしょうか?
周りの人のネガティブオーラや言葉等・・・自分自身のパワーで吸い込んじゃうが 跳ね除けて行けば、いつの間にか そういう 方々の方から 離れられていかれるように思います。
自分の貴重な時間ですもの 自分らしく生きれる時間を 大切にしたいですよね!!
弱肉強食はこの世の原理の一面として確かにあるでしょう。
もし仮にその傾向がこの世を支配してしまえば
そこには人を育てるという発想は起こらず、より強いものが
自分より弱いものを食いつぶし、最後には滅んでしまうでしょう。
しかし人間はそうさせまいとさせる心があるからこそ
成長できるし、繁栄できるのではないでしょうか。
競争意識から生まれる戦いへの欲求は確かにあります。
しかしそれは、破壊行為のような悪いことばかりにつながる
わけではなく成長への原動力にもなります。
確かに戦いは時に戦争となり、悪い結果となる場合もありますが
それは自分の安泰のために人の足を引っ張っるような
利己的な欲求を満たすために他者の利害を顧みないような行為を
するからです。
そうではなく、誰が一番世のため人のために行動することができるか
という競争をすることで、悲惨な人を生まない健全な善い競争をすることができます。
その競争に勝った人は、実力がつくだけではなく
人間的に成長していることは間違いありません。
しかしまだまだそういう競争ができない人たちが大勢います。
向上心の高い人間には、安易な楽を求めるようなずるい人間たち
から害そうとする力が常に働きます。
そういった人間の仲間や虜にならないためにも、
常にもがき続け、時には暴力以外の手段によって
対決する必要があるわけです。
そしてそういう努力をすることでも成長をしていくことができます。
昨夜会社の懇親会がありました。
もうお開き、になる前に、隣のグループで話している方たちの言葉が耳に入ってきて、かなりネガティブな気持ちになってしまいました。
帰宅してからもずーっと頭にこびりついていて、「この関係はあきらめるしかないのかな」とそれ以上考えることをやめようとしていました。
そして、今朝。
小川さんのメッセージ。
mali さんをはじめ、他の方のコメント。
自分が「~~でなければならない」と思ってしまうことから離れてみようと思えるようになりました。
ありがとうございます。
ビミョーに二日酔いですが、がんばります(^^;)。
時々拝読させて頂いております。
宗教であれ、哲学であれ、政治であれ、芸術であれ、私は、「・・・だからダメ」などという発想を持ちません。大工であれ、会社の社長であれ、大学講師であれ何であれ、人として駄目な人はどの世界にもいますし、また相手が誰であれ、学べることはあるものです。
順縁だけではなく、逆縁からも、学べるのです。
私は、元来、成功哲学なるものは大嫌いなのですが、それでも、そこには学べるものが皆無とはいえないので、ほんとうに時々ですが、こうして首を突っ込むのです。
戦いの欲求があるとの話、それは競争が当たり前という考え方を刷りこまれるからですね。ちなみに、シュタイナー学校では、競争することをよしとしませんから、勝ち負けのスポーツは、させません。
ですが、絶対駄目とは言いません。何故なら、社会は、理想とは程遠い、弱肉強食の競争原理で動いているからです。
誰であれ、そんな社会に生きていかねばならないわけですから、多少は、順応する必要があるのです。
好きな人、嫌いな人、楽しいこと、嫌なこと、いろいろな人との付き合いや出来事の中で、私という人間は、豊かになっていくのです。ゲーテも語るように、好きな人気の合う人ばかりと付き合っていては、深みのある人間には成れません。イエス・マンばかりに囲まれる社長と同じで、社長の人間的な成長、その会社の業績はそこでストップしてしまうのです。
社会に出ると、色々な人がいます。私は、違う空気を持つ人たちの中、
ここは真似よう、ここはマイペースで行こうの中で生きています。それだから、世のなかが成り立つ訳で。
ただ、流されずに自分自身を見失う事の無いように。色々な人の中にいると
かえって、自分はこうだ!っていうものを意識するようになりますね。
自分と合う人ばかりではないので、無理なく一緒に居られる人の良さを心から、有り難いと思います。そう認識させてくれる、自分と合わない人ってけっこう
有り難い人だったりして。ゴメン、話し聞いて無かった内容になってますよね。
『人を切ってはいけない』が口癖の友人がおり、
そうなのかな?と思い、来る者は拒まずにいました。
結果的には、今、害になる人と波風を立てぬ様に
じわじわ疎遠にしている最中です。
害を与える人、というのは
・何でも人に負担させ、何もせずに良い思いをしよう
・いざとなればあいつに頼もう、という依存の関係
・困った時は知らぬ振り、都合良い時だけ頼ってきて人を不快にする
・些細なトラブルを巨大に変化させて持ち込み、
他者に不要なストレスを与え、集中力をそぐ
・新しい事を始めると理屈にならない理屈で反対する、
つまり、いつまでも自分と一緒に温く低い世界にいさせたい
…とういう人達だと思います。
これに気づいた時、切る事に抵抗がなくなりました。
付き合って得られるのは、限りない負のスパイラルだけで
相手の成長も止める事になると思います。
ストレスを受け、自分の状態が悪くなれば、
今度は自分が人に害を与える事にもなります。
単に意地悪な人に傷つけられた、という場合でも
傷つけている本人の精神は、
どんどん低い方へ傾いているので
意地悪するターゲットをなくす=自分が去る、
のは、その人のためでもあります。
付き合いをやめたり、やめられたりした結果、
お互い成長した状態で
再度、自然に信頼関係が築ければ、それが一番の理想だと思います。
初めてコメントします。
長く生きてたら、いろんな人に出会います。
私は、一応どんな人でも、最初はお話を聞いて、そつなく会話をします。
そして、付き合ってるうちに、「あかんわ、この人。。。」って思ったら、
自分は、あんな言い方はせんとこ。。とか、あんな人間にならんとこ。。
などと、考えてしまいます。
でも、家族に対しては、無理な話ですが。。。(汗)
どうしても付き合っていかなければならないとしたら、その人の長所を見つけて
本人に伝えてあげてはどうでしょう~(苦笑)
こんにちは、小川さん。
いつも身になる話をありがとうございます。m(__)m
実は自分も小川さんと同じ考えを持っているのですが、
以前に
「そんな、他人を切り捨てるなんていう考えは、思い上がっている。
何様のつもりや」
と言われたことがあります。
その人と自分の付き合いはもうないのですが・・・
そうなのかなぁと思う気持ちもあります。
小川さんが上述の台詞を言われたら、何と返しますか?
今日のお話は本当にハンマーで殴られたような衝撃です。
私の場合、今現在、妻がその戦闘モードに入る人なのですが、もちろん昔からそうだったわけではなく、長い時間離れて生活しているため、徐々に妻の私に対する信頼関係が薄れてきた結果なのかなと。相手をどうこうしたり、戦闘モードに応戦するのではなく、信頼関係をもう一度築き直さなければいけない。薄々自分でもそう思ってはいたのですが、タイムリーに言われて本当そうだと確信しました。
ありがとうございます。
今日のトピックは、私にとっては重い、結構ブルーになるものです。
社員5人の小さな会社で、そのうちの1人がどうにも認められない/受け入れられない人なのです。
接点を減らそうにも、これ以上は減らせません。
経済的な不安があるので、転職するという選択肢は現実的ではありません。
「もっと器の大きな人間になれたら、(その人のことが)気にならなくなるのか?」とも思いますが・・・。
あるいは、「まったく違う次元で、目標に集中できればいいのか?」とか。
というのが、今日のメルマガを読むまでの思いでした。
読後、私にとっては新しい発想が生まれてきました。
今の職場で、その人と対立せず、私の気持ちも落ち着くやり方が本当にないのかどうか?
転職するのは本当にありえない選択なのか?
これまでは、今日のトピックを見た瞬間にネガティブな感情が湧いていましたが、
今からはネガティブ感情を少し抑えて
「何か良い方法がないか?」ということを考えるようにします。
今日も感謝!
自分を害する人たちとはできれば付き合いたくない
ものですね。
しかし、そういった嫌な人との付き合いは
社会に出る以上避けては通れないものです。
自分の言っていることが受け入れられないからといって
受け入れない相手を害するということは非常に愚かな
ことですから、そういう人とは親しくしてはいけませんよね。
また、喧嘩して芽生える友情もあるといわれますが
これは相手を害そうとしてできることではなく、
害そうとする相手の悪い意思と戦い抜いて
勝つことで友情が芽生えるという意味だと私は思います。
害そうとする気持ちと戦ってその気持ちがお互いから消えた後に
残るものはおたがいに対する理解と共感の気持ちだと思いますからね。
そういう意味では、どんどん戦っていけばいいと
考えておりますが、その点はいかがなものなのでしょうか?
おはようございます。
朝から、大笑いをさせていただきました。
・・・すみません、笑う場面ではないのかもしれませんが、
小川さんの説得力と切り口に脱帽してしまいました。
小川さんの日頃のお付き合いの仕方が垣間見れて嬉しく思いました。
お話しいただき、ありがとうございました。
そして、質問をされたかげやまさんにもお礼を言わせてください。
日々気づいていても、問題として取り上げないことがたくさんあります。
問題に取り上げてこそその答えが出てくるものなので、私にとってこの気づきはとても大切なことでした。
「真剣な付き合い」が、より良い信頼関係を築き、発展的な議論をうみ、完成度の高い結果をもたらすのですね。
今日も、朝から有意義な時間をいただきありがたい限りです。
私自身の交友関係も、改めて見直してみようと思った次第です。