貧乏人を笑え、しかし○○を笑うな
おはようございます!
マット・フューリーです。
いえ、私は冗談を言っているのではありません。
今回のタイトルは、中国のことわざから拝借しているのです。
では、○○には何が入ると思いますか?
大半の人は「金持ち」とか「富」とか
そういう言葉が入るだろうと推測するでしょう。
しかし、それは正解ではありません。
○○に入る言葉は、「娼婦」です。
つまり、「貧乏人を笑え、しかし娼婦を笑うな」
が正式なことわざです。
言葉通り解釈すると、何てひどいことわざなんだ、
と感じる人は多いでしょう。
しかし、実際のところ、
中国では貧乏人を笑う人は誰もいません。
かと言って、彼らに同情する人もいません。
一方で、娼婦を批難すべきだと考える人もいません。
娼婦が決して尊敬すべき職業とは言えなくても、です。
多くの場合、娼婦をしている少女たちは、
遠く離れた村で暮らす貧しい家族を助けるために
そうしているのです。
7億人以上の中国人が農村部で暮らしています。
そして彼らは、私たちが当たり前だと思っている物も買えず、
困窮しているのです。
彼らには、昇進や出世の機会はほとんど巡ってきません。
だから、正しいとか間違っているとかは別にして、
若い女性は自分の体を売ることが、母親や父親、
兄弟、姉妹を救うための手段になると考えているのです。
つまり、娼婦を笑うことは、
自分の家族を養うために一生懸命働いている人を
笑うことと同じなのです。
このことわざには、さらに奥深い話がありますが、
今日はこれだけで十分でしょう。
このことわざは、自分が現在暮らしている社会の物差しで、
世界全体を判断することは賢明でない
という証明になりますね。
この世界には、私たちが経験しているよりも
ずっと大変な目に遭っている人がいる
ということを忘れないでください。
マット・フューリー
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これを読まれている方は、
多くの機会に恵まれているはずです。
このCDを聴けば、その機会を活かす力が高まるでしょう。
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私は「娼婦」をしています。
中国の方とは事情が違いますが、自分と大切な人との未来のため、自ら選択しました。決して正しい選択だったとは思いませんが、なりたい自分になるための近道だと信じて働いています。
そしてこの職業は日本においても、なくなることはないのだろうと思います。それは単なる性欲の発散ではなく、このストレス社会で、心のよりどころとして救われている男性が数多くいることを知ったからです。
しかし私自身でさえ罪悪感がぬぐいきれない、肯定しがたい職業であることは確かです。
コメントとしては全くテーマに沿っていませんでしたが、何が言いたいのかというと、
「自分が現在暮らしている社会の物差しで、世界全体を判断することは賢明でない」
世界全体、よりもまずは身近にいる人間に対して、いろんな価値観があることを知り、いろんな角度から物事をみて判断できる大人になることが、貧困や差別、すべてへの第一歩なんじゃないかと思っています。
10年前にインド放浪したとき、
カルカッタのマザーハウスに行ったことあるんですが、
あそこでボランティアやりながら、マザーテレサの本の以下の
文をみたときはカルチャーショックというか衝撃でしたね。
「世界のほんの一握りの人たちは毎日の一切れのパンに困らない。
あとの大多数の人々は、毎日の一切れのパンが手に入るかどうかも
難しいのだ。」
一つ目のコメントでdonnkannさんもおっしゃっていますが、
このときほど自分が「井の中の蛙」だったというのを実感したときは
ありませんでしたね。
日本人としての私は「世界のほんの一握りの人」だったのだということを
貧困で溢れるインドでまざまざと実感しましたよ。
「自分はあまりにも恵まれていたのだ」、とね。
自分の富はどこからやってきているのか、という問題にも関連してきますね。
ヤニクのアンダーグラウンドセミナー、講師たちのほとんどがチャリティーに
参加していますよね。
これは政治の問題にも関係しますね。教育・雇用の機会の均等。簡単には片付けられない非常に大きなテーマだと思います。でも今の日本にも程度の差はあれ言えるのではないでしょうか。。また性を商売にする男尊女卑な娼婦という職業は、この21世紀本来あるべきではないです。男性の教育が急務です。許しては為りません・・・。もう盲目な未開な人類から脱すべきです。一人の人間として、尊厳を守れる、取り戻す、そういう地球人一人ひとりのの意識改革がやがて世界を変えると思います。下品な社会はもうおしまいにしましょう。私達は人間なのですから。
こころが痛みます**
いくら、中国と日本の物差しがちがっても、
このような現実がなくなるような世の中に近づくことを願っています。
なるほど。
「貧乏人を笑え、しかし娼婦を笑うな。」
自分の物差しだけで世界を測るのは賢明でないということわざですね。
一つ勉強になりました。
こういったことわざが中国にあるんですね。
海外に似たようなことわざがあったりする場合がありますが、これは、似たようなことわざっていうのは聞いたことがないですね。
やっぱり、文化の違いっていうのが大きい部分なんでしょうかね。
毎日生活していると、自分だけがうまくいっていないような気持ちになることがあります。しかし、驕りではなく、戒めとしてこのデイリーインスピレーションを受け止めます。
貧乏と呼ばれる人の中にも、懸命に努力している人たちも多くいると思いますが・・・。しかし、社会の物差しは絶対じゃないといことは、尊い教えですね。
中国には、こんなにストレートな、ことわざがあるのですね。
少々びっくりしました。
娼婦=家族を経済的に救う手段なのだとしたら・・・
良いも悪いもないのでしょう。
手段を選択する前に、選択肢すらないのですから・・。
中国に限らず日本でも僕は風俗で働く女性は尊敬します。何故なら相当な信念がないとできないことだと思うからです。お金持ちになりたいならば、風俗嬢と同じぐらいの覚悟が必要だと思います。もちろん娼婦を笑う人は、おかねを笑うことであり、お金持ちにはなれないんじゃないかと思います。
変な価値観ですいません。
ちょっと頭固いですかね・・・
自分と違う世界に立つ人に、
どうしても伝えなくてはならないことがあるならば、
よく観察して、相手の世界を知って、それでもなお伝えるべきか考えて、
その上で伝えるべきなのでしょう。
難しいことですね。
私は難しいことが大嫌いで、簡単なことが大好きなので、
自分と違う世界に立つ人に対しては沈黙するようにしましょう。
ただ、親切な心は忘れないようにします。
○○には 「奴隷」 が入るのかと思いましたが
娼婦でしたか……。
なるほど……
確かに仰るとおりですね。
しかも
例えば 東南アジアの国々から この日本へやって来て
「家族を養うために」 娼婦をしている女性たちが
現在でも大勢いるはずですから……。
ところで
娼婦に限らず 水商売をしている女性って
本質的にはカウンセラーだと思うんですよね。
体を売ったりするだけではなくて
ただ相手の話を聞いてあげたり
上手に褒めてあげたりするわけでしょう?
彼女たちと接することによって
一体 どれほどの男たちが精神的破綻を免れていることか……?
マットおまえの国だって娼婦がいっぱいいるだろう。
「娼婦を笑うな」は理解できました。
でも、なぜ「貧乏人を笑え」なのでしょう?
頑張っても頑張っても、貧乏から抜け出せない実態が中国にはあるでしょうに、このことわざが生まれた理由が分かりません・・・
以前、「本当の”国際人”とは英語が完璧にできることではない。
常に世界で起こっている、あらゆる問題に意識を向けてるかだ!」
というような内容を見たことがあります。
きれい事はともかく、今こうしてる間にも食べ物や死に直面してる
人々がいることは事実ですね!
そこをどう考えるか?・・・がポイントとのような気がします!
今日のテーマには外れますが・・・!
世界には文字通り生きるか死ぬかで生きている人がいるらしい、
ということは日本に住んでいてもたびたび聞くので、
自分がどれだけつらくともそれは大した問題ではない、
自分が死ぬことに比べれば、と思っています。
頭ではわかっているつもりでもわかってないことが多くありますが、このことわざのいわんとしていることもそういうことだと思います。
もっと奥深い話を知りたいです。
狭い世界だけの、まして自分の固定観念に縛られて世界を見ることで、
世界中の人たちを理解し得なくて、傲慢に裁いていることでしょう!
そのことで、自分たちも、ぎすぎすした生き方になっているのがわからないのだと想います。
広く、できるだけ宇宙の目で、俯瞰してこの世を観て生きたいものです。
おはようございます。
もっと「奥深い話」。。。
うっかり人と比べて、つい「自分たちは幸せですね」
と思ってそこでおわりそうになります。
今の自分を外側から見ることができるように
なりたいです。
「井の中の蛙」は「天の高さを知る」そうですね。
まだまだおたまじゃくしなので、がんばります。
ありがとうございます。
『さらに奥深い話』とは?
3食のご飯を食べれて、屋根付きの家に住めて、着るものがある人は、これを知らなければならないと思います。
せめて知ることをしなければ・・・。
そして、できる人だけでもいいので、その知ったことから受けた自分の感動を行動にうつさなければなりません。
一人ひとりのそのような力が、とても大切な時代なのだと思います。
何をもって成功することなのか富なのか貧乏なのかとても考えさせられてます
私事ですが何十年もの間親子の関係が悪かったのですが あることがきっかけでとても良くなりました 親子の信頼を取り戻してから今までと違うスペースへ入ったかのようです 生活は何も変わらないと言うのに・・・
いまの自分にとって必要なことを教えてもらえているような気持ちでメッセージを受け取ってます
ありがとうございます!
涙ぐんでしまた・・・。
ですよねえ。
「貧乏人を笑え、しかし娼婦を笑うな」
一生懸命に働いている人を笑う人はいないと思います。娼婦であっても・・・。
一生懸命働いている人は輝きがあると思います。
この諺にはまだ奥の深い言葉があると書いてありますが、どんなことなんでしょうね。
考えながら、今日1日考えたいと思います。
私たちは、所詮「井の中の蛙」です。
目の前にい人から「愛ある親切」を行っていきましょう。
非常に大切なことだと思いました。