銀と銅メダルの種類から分かる幸せの法則
From:小川忠洋
東京の家より
当然ながら、銅メダルを取った選手よりも
銀メダルを取った選手の方が優れている。
何故ならメダルは
金>銀>銅の順位で与えられるからだ。
じゃあ、このなかで誰が一番、結果に
不満を抱いているだろうか?
金メダリスト?
銀メダリスト?
銅メダリスト?
もちろん、金メダルを取った人から
順番に満足度が下がっていくと考えるのが
合理的な考えと言うものだ。
しかし、現実は違う。
心理学的にもこの中で一番満足度が低いのは
驚くなかれ、「銀メダル」を取った人なのだ。
これは論理的に考えると全く不可解な話だ。
しかし、人間の心理を良く考えてみると
その秘密が分かる。
そして、その秘密は
僕らの生活に根深く影響している。
つまり、銀メダリストは
「あとちょっとで金メダルを取れた」
と言う考えで頭がいっぱいになる。
それに対して銅メダリストは
「メダルを取れた!」
という考えで頭がいっぱいになる。
つまり比較の問題。
銀メダリストは金メダルと比較するので満足度が低い。
一方、銅メダリストは、メダルを取れなかった
その他、大勢の人たちと比較するので満足度が高い。
明かに銀メダルの方が優れているにも
関わらず、銅メダルのほうが満足度が高いのだ。
これがどのようにあなたの
毎日の生活と影響してくるか?
答えは僕が話さなくても明らかだ。
普段なら、ここで話をするところだが、
今日はあなたが自分で考えてみよう。
これだけのヒントがあれば、
何かしらの気づきがあるはずだ。
幸せになるための気づきが…
-小川忠洋
PS.
もし、何か気付きがあったら
それを他のみんなにも共有するために
ブログにポストしてほしい。
PPS.
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ドクターモルツのサイコサイバネティクス
**今日のフィードバック**
巷に多くの成功のノウハウについての書籍やセミナーが出回っていますが、
私も何種類かは手がけていましたが、
それが、一時的にテンションが上がった時やセミナーを受けた時には、
成功出来そうな気分にはなるのですが、それが持続できなくて、
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モルツ博士のDVDを見て、その原因がわかりました。
後は、習慣化できるまでのガイドやサポートしてくれるものがあれば、
好いなと思っています。
貴重なDVDを送っていただいて有難うございます。
篠原さん
Comment:
コメントや質問待っています。
全部に返事はできませんが必ず目は通します。
ありがとうございます^^
金でも銀でも銅でも一般の人からみれば羨ましい程の目標達成の証に
変わりないですが↓確かにかげやま 様の仰る通りかとも思います♪
>どれにしろ、通過点でしかないと思います。
金メダリストフローレンスジョイナーやカレンカーペンターの成功達成後の
人生を想い出しますが、栄光をその後の人生の幸せに繋げるかどうかが
ご自信にとっての本当のメダルの価値を決めるのではないかと思います。
要はその事によってビフォー!アフター!
それを活かしてより幸せになれたのなら全て良し!!だと思うのです。
読んでホッとしました。私は常に思っていました、銀メダルの人は「金を逃したぁ!銀なんか要らない!」
というオーラが漂い、銅の人は「ふう。とりあえず台に上がれた(汗)」というオーラが漂ってる、
こんな見方をするのは私がひねくれてるから?と思っていました。
中には「この私が銅なんて許せない!屈辱だ!」というオーラの人もいますが。
明確にこの意味を伸べられません、いくつかあります。
1.目的と結果の関係、気の持ち様。
金の人と銀の人は当然「私は金に決まってる」と思っていた。よって銀には不満が残る。
これはビジネスの結果にも言える。ここで銀の人はどう捉えるかで先が決まる。試練とチャンスだ。
2.金でも銀でも素直に喜ぶ事が前向きで健全な考えである。頑張った結果なのだから。
3.銀で喜んでしまっては進歩がない。今度は金を目指そう!と思うべきであろう。
しかし、銀に不満を持つ事で自らモチベーションを下げる事にも繋がる。
4.何も取れなかった人はここで自分が蚊帳の外に出された気分になる。
そう思う事が大変危険。金・銀・銅しかないが、
アルミがあれば取れたかも知れない人が3つの枠から外れ自棄になる。
自らの価値をわざわざ One of then にしてしまう。これは危険だ。
目的がなければ、どのメダルでも「そうか」とそのまま受け入れる気もします。
小学生の時、泳げない人のグループから仕方なく選手として泳ぎ、
考えず泳いでみたら、自分の前には一人しかいなかった事があります。
狙いもしない銀に「あれ?何だこりゃ?そうか。2位か。」と冷静だった事を思い出します。
大人になっても、どの結果もこんな調子で受け止めて来ましたが
それが負ける原因なのか?とも思え、複雑です。
どの順位の人がどんな気持ちで挑んだか、も色々思ってしまい
変に誰にでも感情移入が可能な自分が何か間違ってる気がします。
皆さんのコメントを期待したのですが、少なくて残念です。
主観的に個人的には、どのメダルでもいいと思います。
どれにしろ、通過点でしかないと思います。
金で後戻り出来ない追いつめられた気分になったり、
銀に歯ぎしりしたり、銅でホッとしたり情けなかったり
わざわざストレスや、低い満足を作らなくても良いかと。
この考えは以前の仕事の名残かも知れません。
出た結果にいつまでも固執していたら成り立たない仕事でした。
起業家はこれでは駄目ですね。多分。
最近静かに考えます。自分の人生で最も価値のあるものはなんだろうかと。
今40代ですが振り返るとその年代で変化している価値観を省みれます。
でも突き詰めると”金”と”時間”のどちらかに振れているような気がします。
決して裕福ではない家庭でしたので少年時代から大学までは家業(農業)を手伝い時間も金もない日々。反動からか就職してからは湯水のように金を浪費していました。
今、金も時間も消費してくれる家族が増えたことで再び少年時代の気持ちが蘇ります。
足りている時はその価値を見出せず、不足すると価値あるものと恨めしくなる。
こころのありようで猫の目のように変わる価値観が自分にとって本当に価値あるものなのか疑問に思えてしまいます。
でもその内”健康”が最も価値あるものと思えるようになるのでしょうね。
高校時代に読んだ森鴎外の高瀬舟、足るを知るということを考えさせられたはずなのに、心のそこから今が幸せと思えないのはなぜなのでしょう?
相対的な幸せ論しかもちあわせていないからでしょうか?
金メダリストは世界を相手にせず、自分の完成を目指しているので、世界一になったことに対してまわりの人に感謝している発言が多い。「自分の力だけではできなかった。」と言い、本人の努力で勝ち取ったものであるにもかかわらず、「与えられた」と深く思える魂を持っている。金メダルを得ようとしていない気がする。得ようと思っていないところにその人を好いてメダルの方がやってくる。銀メダルの人には何かその一点が欠けているのかもしれない。有森裕子の「自分を褒めてあげたい。」を思い出す。銅メダルは「負け」と「勝ち」を両方味わって来た人でその両方を受け入れることの出来る豊かな魂の持ち主だと思う。