自己卑下しそうになったら・・・
From:小川忠洋
大阪のオフィスから、、
たくさんのコメントありがとう。
最近は、呼びかけたらみんながコメントして
くれるので、何だかブログで会話を
してるみたいで、ちょっと楽しいね。
そう言えば、この前、
くるみちゃんのお宮参りに行った帰りに
梅田でうどんをたべようとしてたら、、
「ドクターモルツの人ですか?」
って声をかけられてビックリ。
最初、ドクター・・・って言われたので
ドクターコパか誰かの間違いかと思った(笑
さて、そんな話はさておき本題に入ろう。
「詐欺師症候群」って面白い言葉だなーっと
思ってシェアしてみたけど、予想外の反響に驚いた。
なんか日本語って難しいね。
ま、詐欺師症候群をどう思おうと、
言葉の使いかたがどうであれ、
「自己卑下」は最も良くない心の病気だ。
僕の会社でもいるけど、
本当は実力があるのに、
「自分はまだまだダメだ」
と思っていると、次のステップに進めない。
次の新しいレベルの仕事や
新しい分野を開拓する勇気がわかなくなる。
そして話をするときもついつい他人の目が
気になって上手く話せなくなってしまう。
気をつけよう。
自己卑下と言う病気はチョットした事から
始まっていつのまにか、自分の考え方の
習慣になってしまうかもしれない。
それが習慣になると、、
結構、キツい。。。
それが習慣になりそうになったら
過去の成功をリプレイして、
自信を取り戻そう。
本来の自分よりも
”下”に見ている事はよくない。
もちろん、本来の自分よりも
”上”に見る事もよくはない。
本来の自分、ありのままの姿を
見るのがベストだ。変に飾られていない
ありのままの姿を。
ありのままの姿が分からないって?
鏡を見れば映ってるよ。
自分の家で鏡に映っている自分。
それが本来の自分自身だ。
-小川忠洋
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今回のお話を読んでいなかったので今日のコメントになってしまいました。
自己卑下の習慣で勇気が湧かない、たしかにそうです。
「ありのままの姿を見る」というのがまだピンと来ないのですが、
そのうち「あ、なるほどこういうことか」と、今回のお話を思い出す日が来たら
今より少し変われていると思っています。その日を楽しみに頑張ります。
購読してずいぶん経ちますが 2回目のコメントです(笑
あまりにもタイムリーでおかしくて 思わずコメントしたくなりました。
今、仕事の準備中ですが ふと鏡を見たら「男みたい・・・」
美容関係の仕事をしているのに、これはまずいな~ でも、そんなに
このオーラはすぐにかわるのだろうか?と 危機感一杯で読み始めたら
ああ、そうか、私のオーラからは女性ホルモンが足りない(笑
と、再認識しました。くだらなくてすみません。
でも、大事なことだなと 改めて 反省、対策を考えさせられました。
最近の小川さんのメルマガは、読んでいて明るい気持ちになります。
(いつも、いいことを言ってらっしゃいますが;)
ポジティブな方が発する言葉は、やはり
言葉を通じて、幸せなパワーをもらえます。
たくさんの成功知識はほしいけれども、頭でっかちになってそれに囚われないように
気をつけたいと思う、今日この頃。
なので最近は、ここのメルマガを毎日読む習慣を控えています。
例えいい意見でも、そればかり詰め込みすぎてしまうと自分を見失ってしまい
知識でっかちの、ただの 人の受け売り意見しか持てなくなってしまう自分が
いて。自分が嫌いになってしまうから。
セルフイメージの向上に伴って、だんだんと少しずつ、
良い意見を自分のものにしていきたいと思います。
これからも、ここのメルマガにはお世話になります。
あまり、コメントはしませんが、
良い内容をシェアしてくださって、本当に素晴らしいお仕事をされていて。
前向きな気持ちにさせていただいて感謝しています。
もっともっと、読んでいて元気になれるような明るい気持ちに成れるような
それでいて為になる情報をこれからも期待しています。
自己卑下している私がいます。
ありのままって何か良く分からなくなっていた時期がありました。
で、小さいのを隠す為に大きく見せている自分がいることにも・・・
それがはち切れて今の状態になっているわけです。。。
私は出来るのに・・・・
セルフイメージって本当に大切ですね。
環境が人を育てる、まさにその通りかもしれませんね
自己卑下って、本人は謙遜しているつもりでも周りには不快感を与えることがありますね。
「あなたのことを本気で褒めているのに、どうして否定するの?」
って言う感じで。
褒めた方は、自分が否定された感じを受けて気まずい雰囲気になります。
自己卑下することを良しとする、しないは本人の自由だけど
自分の心の中でやってほしいなあ~と思うのです。
自己卑下、自己否定、客観視、メタ認知、自己理解、自尊心とナルシスト、アイデンティティ・・・今回の記事、皆様の気づきに触発されるものも多く、すべてに自分も思い当たる点があり、そういったことが生理整頓できている人が成功しているのかなと思いました。
自分で自分をどう感じているか、自分をどうしたいのかやってみればいいのに不安や恐れから対決できていない。
自己卑下してしまうというのは明らかに本当はこうじゃない、理想はもっと違う、私もああなりたい、なれるはずだという気持ちが隠れていると思う。だったら今の自分じゃいけないことも気づいているからこそ、自己卑下してしまう。
自分が延長上の自分で不味いなら、今までの思考じゃいけない。今まで通りではいけない。だから自分だと思っている自分をちょっと人に投げ出してみる、自分の自尊心を解き放ち人と繋がってみる>>>そこで化学反応が生まれるかもしれない。彼から新しい自分像をフィードバックしてくれるかも知れない☆新しい役を与えられるかもしれない・・・
その可能性に賭けること!
美しいファンファーレを鳴らす心算があり、そのファンファーレがイメージ出来る共感者が集まってファンファーレが完成する♪♪♪しかし自分がどんなファンファーレをイメージしているか、鳴らしたいと思っているか、黙っていても分からない。発信していくことで誰かが聞きつけ、共感を呼び実現できることもある。美しいファンファーレに向かってストーリーを
組み立てていくこと。自灯明という言葉がありますが、その光が素晴らしければ人がおや?っと思い集まってくるのではないでしょうか。素晴らしい楽譜に著名な音楽家が集まってくるように。
自己卑下というイジケから、自分こそが周囲を変えて行けるんだという自尊心や勇気や自立心を持つことで、自分を変えることで、他人との関係もそこから生み出されるストーリーも変わっていくんだと思います。
五木寛之さんが親鸞の新刊を出したことに際して「人間は昨日の自分と決別して何百回でも再生できると説いているように思えるのです」と言っていましたが、自己卑下しそうになったら、ようし、自分が不甲斐無いんだな、ではどんな自分が理想であるか、今までの自分を一旦否定し、壊してつまり自己卑下ではなく、自己否定して自分と取っ組み合ってそれを倒して、命を投げ出す覚悟や決意の大きさの設定を変えることが感情に変化を起こし、今の自分ではない、次の自分に出会えることになるのではないでしょうか?!!!
今年は、今年こそ、チャレンジしてチェンジしたいです☆☆☆
おはようございます、小川さん。
本来の自分にですね。
自分にプレッシャーを感じたとき
下手でもやろう、
自分が落ち込んだら
視点を変え
新しい出逢いに飛び込む(メディア情報、サークル、自己啓発等)
客観視できるまで。
自分に許可、許せるまで。
成功したら、喜びをシェアし
自分のすべきことに最終をつくらない。
それには、前向きの言動がでてくる。
自分の成長に焦点をあてた
言動は他人とのシェアができ、
すべてが、一体の大きな歯車だから。
自分のあるすべては
この大きな歯車のひとつで
どれも欠けてることはないから。
自分のことは、自分ですべて
わかっている錯覚から
自己卑下が生じるのではないか。
成長、変化は今世の宿命ともいえるか。
「これは自分らしくない」とか「こんなことは、自分には出来ない」と決めつけてしまいがちですね。
本当には、決まっていないのに。
最近は、それがキッチリと理解できるようになりました。
本当に~自分を、色眼鏡で見ていなたぁ~と気づきます。
そして。それが出来るようになると、周りの人も、色眼鏡で見ないでいられるようになりますね。
ありのまま、原寸大。その自分を楽しむ・・・ホントに大事なこと。ですね。
その鏡がゆがんでいないことを祈るだけですが……
正直、鏡を見ても比較するものがなければ自分がどのレベルなのかとか、どういった状況なのかはわかりませんよね。
この自己卑下の感情について もう少し深く考えてみました
Dr.モルツの教えに従って
何故 尊敬している人成功している人って自己卑下しないのかな? って
少し考えてみました
自信があるから才能があるから成功しているからお金があるから
自己卑下しない
こんな理由ではないような気がします
自己卑下する人は
自己卑下という殻の中に保身して身を守っているのだと思います
何から保身するのかと言えば
自尊心が壊れることからです
自己卑下の習慣のある人が
心から自己卑下を無くし
自信を持って成功している人と交わっていこうと思うのであれば
まず自己卑下をする自分を認める
「自信のある人才能のある人成功している人お金のある人」を
ちょっと嫉妬したり羨ましがったりする自分を認める
ああ「嫉妬してるんだな」「ちょっとしたやっかみがあるのだな」
それが、自己卑下っていう態度に出るんだな
自尊心を維持したいから 自己卑下って態度に出るんだな って
認めることによって
自己卑下の気持ちを手放すのだと思います
そうして自己卑下という感情を手放したら
あとは すっきりとした
本来の才能を携えた自分が顕れ めきめき成功されるのでは
例えば 小川さんが例にあげられた
実力があるのに自己卑下する社員の方は
今は 小川さんや他の方にのまれていて
防衛本能から、つい自己卑下してしまう
一旦その気持ちを認めたうえで
ご自分の実力が発揮できる仕事に取り組まれていたら
いつの間にか 自己卑下の感情は霧散して
成功の思考に入って行く思います
こういうことが Dr.モルツの教えのようだと思います
自己卑下ですか?、日本人の美徳と言われる「謙虚さ」とは違う意味で言われているのでしょううね。なかなか自分を誉めてやる習性を持ってないと、また周りがそれを認める人がいなくて欠点ばかり洗い出していく人に囲まれていると自然に自己卑下につながると思います。
しばらく実家に帰省しており、コメントが休みになっておりました。
私にとって、ちょうどタイムリーな話題です。
ちょっと前まで、私は自分自身や自分の仕事について、
いまひとつ自信が持てないでいました。
勉強は継続しているし、仕事で評価もいただけている。
それなのに、成功者といわれる人たちから
感じられるような自信が持てない。
ある日、とある本で、
「身近なものに幸せを感じること」という言葉を見かけました。
そこで、人物だけでなく、食べ物や水や太陽とかあらゆるものに
感謝してみました。そうすると幸福感というのが出てきます。
それが不思議と自信のなさを打ち消してくれました。
自信を持てるというより、持とう持とうと固執する気持ちが
なくなったというのが正しいかもしれません。
ありのままの姿。自分に出来ることは他人にも出来る。他人に出来ることでも自分には難しい。それが私のパターン。出来ない自分は情けなくて落ち込むが、自分に出来ることが出来ない他人は馬鹿にする。これも私のパターン。常に他人との比較。自己否定。受け入れることなど出来やしない。
自己卑下。
僕はよくやってしまいます。
より成長をしようと思って、よりスペシャリストになろうとして、自分に活を入れるつもりで「もっと頑張らねば」と思ってしまいます。
そして、ついつい他の人と比較をしてしまいます。「これではダメだ。こんなんではダメだ」と思って自己嫌悪へとまっしぐら・・・。
ダメですね。こんなんでは。
気持ちの入れ方を変えようと思います。
自己卑下とは、その時の自分の状態を映しているにではないでしょうか。
夢をみる!見ている 叶った
これの逆の状態に近いものがあるかとおもいます。
まぁ、いちがいにはいえませんが・・
人 社会の交わりの中から生じる事もあるだろうし
謙虚な姿勢からその時のシチュエーションで生じるときもあるだろうし
難しいですね
負けない強い心 思考 自信が必要な時ですね
リセットする。。
文章がつまりました。
では。
新春特別セール 気になります!!
色々ありすぎて 選べないだめな私(自己卑下?)
どれから始めるか去年から悩み 結局先に進んでないのだ・・・
どうしよう!!
焦る~!!
カウンセラーをしている私の友達が以前どん底にいる時に、毎朝鏡を見て
大好きだよ、愛してるよ、素敵だよ、鏡の中の自分にいいなさい、と彼の知り合いに言われました
失敗してしまった自分を恥じていた時だったので、そのどの感情も自分にもっておらず、けど言われたまま心を込めずに鏡の自分に向かって、アイラブユー、を毎日続けたそうです。
そうしたら、知らないうちにそれが癖になり(何年経った今でも)、また好きな自分にいつのまにかなったと言ってました。どん底にいた彼は小川さんのように、今は幸せいっぱいです。
自分が一番見方になってほしい人は、自分なんですね。
なんかのサイトで読んだのですけど、過剰に自己卑下をする人の心理って、自分よりもずっと下の人を、ものすごく見下す心理と、根っこは一緒だと書いてあり、なるほどー、と思いました。意識の領域では、人も我も、皆おんなじなんですね。
今日のメッセージを読んで、Dr.モルツの”ミラー・エクササイズ”や、
先日ご紹介頂いたスティーブジョブスのスピーチにあったように、
『毎朝、鏡の中の自分自身に問いかけをする事』って、
すごく意味あることなんだと、改めて思いました。
最近思うようになったのは自己卑下をしないためには自分を信じるほかないんですよね。ちょっと前まではそういった抽象的な表現はあまり好きじゃなかったんですが、過去も未来もすべて含めて自分を信じることができないと今をがんばることができないんですよ。
おはようございます。
きっと・・・・・・、
自己卑下と自己否定は
”紙一重”
なのでしょうか?
難しいですね!
今日も張り切ってまいりましょう!
ドクターモルツの方w
自分卑下したくなったら、今の自分は十分良くやっている点を再認識するようにしています。
おはようございます。
ほんとに日本語は難しいですね。
考えてみると、自己卑下と謙遜と謙虚をごちゃ混ぜに
していることがあります。
鏡の前に立つ、自分を見る、その姿を
受け入れる、ということがスムーズに
できるようになりたいです。><
今日もありがとうございます。
P.S. かなり難しいけど、私もくるみちゃんと
一緒の小川さんにお会いしてみたい!^^
小川さんの会社(自己啓発)の方にも
自己卑下の方がいらっしゃるなんてちょっと意外な気がします!!
今日の話題の振り方かもしれませんので さらっと流していきますが
もし本当だとしたら、しっかりDr.モルツを学んでくださいね!(笑)
生きていると、いろいろな感情に苛まれることがあります。
それが 今日の自己卑下という感情だとしたら
「全く今までそんな風に感じたことがなかった」 と言う人も
実は少ないのではないでしょうか。
つまり ほとんどの人は分野の違いこそあれ
自己卑下に近い感情を抱いたことがあるのではないでしょうか。
成功する人とそうでない人の違いは
自己卑下という弱い部分を表に出してしまって
成長するという 進化するという ことを拒み
チャレンジをから遠のいている人だと思います
誰かが自分を幸せにしてくれる と言った
他力本願な人だと思います
成功に向かって 幸せに向かって 切磋琢磨する人は
この自己卑下の感情を もし抱くことがあったとしても
それを外に向かって垂れ流さずに
自分の中で ぐっと堪えて
自分が自己卑下を感じるポイント(弱点)を見据えて
プラスに転化して行く人なのだと思います
会話のキャッチボールは楽しいですね。
顔を知られるってどんな感じなのだろう?今の私は、知らない人から声をかけられるのって、なんだか怖い・・・。
もちろん、いい人がほとんどなのだろうけど・・・。
それに、自分は知らないのに声をかけてくれるということは、自分のことを気にかけてくれているということだから、とっても喜びに値することでもあるのかぁ・・・。
最近、ちょっと、悩むところです。
「自己卑下カイロ」の沼地へはまると、ここへアクセスするといいかもしれません。
こちらの方々が、引き上げてくださる気がする。
小川さんの記事や書かれたコメントを読むだけで、目が覚めることが多いので!
どこかでお会いしたら、私も声をかけるかもしれませんね。(笑)