反:勝間和代
From:小川忠洋
大阪のオフィスより、、
先日、勝間和代さんのブログを見てたら
面白い記事を発見した、、、
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香山リカさんとの対談本、
「勝間さん、努力で幸せになれますか」は本日発売です
利他性、努力、幸福論、環境、才能など、
さまざまなテーマについて興味がある方、ぜひ、ご覧ください。
ふたりで、ガチンコで討議をしています。
そして、私のタイトルの問いに対する答えは変わっていません。
「努力をした方が幸せになる確率が圧倒的に上がる」
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今まで、勝間さんのブログとかは見た事が
なかったんだけど、ついったーとか始めてから
何度か見る機会があった。
香山リカさんというのは
勝間さんみたいなイケイケ系の
対局にいる人らしい。
んで、勝間さんのイケイケに疲れた人が
香山さんのメッセージに癒されると言う、
そんな流れのようだ。
そして、勝間さんと香山さんの
対決本、、いや対談本が最近出て、
この話をしているそう。
本を読んでないので
何とも言えないが、このコメントだけ
見たら、僕は勝間さんの意見に賛成だな。
努力した方が幸せになれる。
僕もそう思う。
何故なら、ドクターモルツも言うように
人間は目標を持って、それに向かっている時が
最高に充実感を感じるし、幸せだと思うもの。
何の目標もなく、
現状に満足していたら、
決して、幸せだとは感じれない。
チャリンコが、
走っていなかったら、
倒れてしまうのと同じように、、、
人の心は、
何かに向かっていないと
倒れてしまう・・・
自分自身を振り返っても、
モチベーションが下がる時は、
価値ある目標を見いだせないでいる時だ。
努力する対象が
見つからないでいるとき。
そんな時は、僕も
毎日なんだかやる気がなく、
自己嫌悪に陥ることもある。
(そんな奴がメルマガを書いている^^;)
一方、価値ある目標を持てて、
それに向かって何を努力すればいいか
分かっている時は、
毎日エネルギッシュに生きる事ができる。
「努力」
と言う言葉は、あなたにとって
どんな言葉なんだろう?
努力するのがイヤだと言う人は
きっと、努力と言う言葉に対する
フィーリングが良くないのだろう。
努力と言う言葉は、あなたにとって、
どういう意味を持つ言葉だろう?
それを聞いて、
どういう気持ちになるだろう?
嫌悪感を抱く言葉だろうか?
それとも別の感情か?
努力は楽しい。
僕はそう感じる。
努力している自分は大好きになれる。
努力している自分はエネルギーにあふれる。
努力する対象がある事は幸せだ。
あなたはどう感じる?
-小川忠洋
PS:
あなたも、毎月毎月、セルフイメージをより良くする”努力”を
すべきじゃないだろうか?問題はいつから始めるか?それだけだ。
PS: | |
あなたも、毎月毎月、セルフイメージをより良くする”努力”を すべきじゃないだろうか?問題はいつから始めるか?それだけだ。 |
|
http://www.drmaltz.jp/mlt/mlt_letter.php?mag=Psycho20100120OG |
PPS: | |
人間関係だって”努力”しだいで改善することは可能だと思う。ただ、闇雲に動く前に専門家のアドバイスを聴いておくのがオススメだ。 | |
http://www.milteer.jp/lmc/lmc_letter.php?mag=Psycho201001 20OG |
私は、どれか一つに答えを絞る意味がないと思っています。
考え方というものは、薬の処方箋のようなもので、風邪のときには風邪薬が必要で、腹痛には腹痛の薬が必要で、健康な時には体力をつけるために運動するのも良くって…
そういう感じで、その時の自分の状態において、努力したほうがいい時もあれば、努力しない方がいい時もある。
誰を信じるかを絞る必要もなく、自分の状態をきちんと自分が理解できて、自分にとって今何が必要なのかを見極められることが大切だと思うのです。
これは、小川さんが一緒に自己開発セミナーを受けていた女性が自殺してしまった話を読んで、やみくもに進もうとしても今の自分の状態に合っていなければ薬にも毒にもなると言うことを感じたから根付いた考え方です。
好きか嫌いかで言うと、私は努力という言葉が嫌いです。
努力を好む人は、一見ポジティブな言葉だけに、相手の状態を考えずに 人にもいいことだと思って勧めがちです。
頑張った末に立ち止っている人にすら、頑張ってと声をかけるかのように。
しかし、自分が努力しているなどと意識せず、人に努力を勧めることもなく、黙々と努力している人の「努力」はとても好きです。
できれば知らずのうちに、人から見てそういう努力ができていたらいいなと思います。
努力はきらいではない
たとえば ある検定を受けるための勉強
この歳になって勉強は 結構こたえるけれど ひとつでも得るものがある
これが 努力してうれしいこと
ただ 人間関係はそう簡単じゃない
努力が実らないで 空回りすることが苦しいので 少し塞ぎぎみ
努力の実る方法って あるんでしょうか?
実は僕も努力という言葉が好きです。練習とか、修練とか修行とかも好きです。それって、なんて言うかなあ~・・・いろいろ考えている状態っていうのか、ああでもないこうでもない、こうやったらうまくいくのか、とか、なんどもなんども同じことを繰り返していくうちに何かが見えてくる。なにか究極的な目標に向かって進んでいくようなそんな気分です。僕はとても不器用で、容量が悪く、人の何倍もやらないと人と同じことができるようにならないと思っていたのですが、どうも違うことに最近きずきました。もっとず~っと先の事を見ているからのようです。そこまで、いやもっとやらないと見えてこないことがあるみたいなんです。
こんにちは、小川さん。
ひとつひとつ、目標(前向きな思い)があると、できるところから、
階段を登れる。
長い、先がみえないとき
辛いだけの動きにも、前向きな思いを見つければ
それを杖にして、登れる。
今を感じて、褒めて、応援して癒すことも、
そして、また、押しつぶされそうな夢に向かう
全力を出していくことも。
あきらめない、歩み。
みんな、自分の空白をうめるために
がんばっている。
だから、どちらも同じと思うよ。
見ている位置が違うだけ。
もともと、どんどん出版される勝間本に??と
反感があり、勝間本はよんできませんでしたが
仕事でふれることがあり、10冊以上読みました。
香山本もよみました
勝間本はおもっていたイメージより面白いし、勉強になりました。
世間的に勝間さんのイメージがバリキャリ女性でガンガン努力してという
感じだから反感もかいやすいのでしょうが
実は頑張らず楽しく効率よくやっていけるしくみを作ろうというのが
勝間さんの教えかと・・
努力しろしろ!言ってるわけではないとおもいますが・・
本人も言ってるし
ですから、香山氏との対談も
なんかずれてねーか?とおもいます。
どっちもしかりだから、言い合っても仕方ないわけで・・
そもそも、勝間本のヒットがなきゃ香山本もうれてないわけで・・
ブームに仕掛けただけのような・・
その仕掛けにまたお二人がのっているという・・構図かと
私は文句いって頑張らないより
努力したほうがいいに決まっているけど
それは、本人の選択しだいかとおもいます。
本人にとってどっちが幸せか?ということで
小川さんのブログは勉強になりますが
本も出版されているのだから
これだけのブームのベストセラー本は両方読んでから
コメントしたほうがいいかとおもいます。
批評に批評しても意味ないかと
世間のイメージとは随分違うと思いますので・・
私は両方よんで
勝間本のほうが、自分にあっているというだけです。
いつも楽しく読ませていただいてます
そしてパワーをいただいています
感謝の連続です
香山リカさんとの対談本、
「勝間さん、努力で幸せになれますか」
私もこの本は読んでいませんが
勝間さんの本は何冊か読んでいます
努力でとありますが
香山さん自信は医師であるからには
一般の人間よりも努力されたのではないか???
って単純に思ったのです
そして本を書くということは
自分の考えが正しいという確信
これまでの自分のやってきたこと(努力も入りますよね)
だったら 努力して幸せになるのは当然じゃないでしょうか
って思っちゃいました
まあ患者さんの中には努力で病気になってしまった人もいらっしゃるかもしれませんが
少なくとも努力して他人に対して意見や思ったことが言える立場に立てるって
ちょっと羨ましいです
まあ努力という言葉はのニュアンスはそれぞれの人で違うのでしょうが
私はこの努力という言葉の定義が知りたいっていつも思っています
小川さんよろしくお願いします
勝間さんは努力して成功したから言えるのであって失敗して精神を病んだ私にはトゲトゲしています。
努力しないと成功しない、努力できない状態の人はふがいない
そんなひとはのし上がってから上から目線になります。
競争社会で勝ってそして本で儲けて結局格差社会の典型になっている
彼女を賛美するのも結構だが私には受け入れられない
自分らしい目標を持ってそれに向かって努力すればいいのでは?
みんなが勝間さんになれる訳ではない。
慶應卒、マッキンゼー勤務、経済評論家・・・
あくまでロールモデルであって 各自が自分にとってふさわしい目標も持ってそのために何をするか考えて行動する事が重要。
いつまでにこれがほしいから、今月→今週→今日 何をすると考える。
そういう習慣を持つ人が増えると日本も変わります。
努力しない を認める=現状維持、または衰退しかないです。
こうなると将来の日本は暗いです。
坂の上の雲、坂本龍馬 をNHKがこの時期に放映している意味を考えると日本の現状がわかります。
小川さんも「人」ですものね。
>毎日なんだかやる気がなく、自己嫌悪に陥ることもある。
こんな風に言うことができる人は、本当に強くて優しい人だと思います。
だって、自分の弱みをさらしているのだから・・・。
そこへ付け込む人をはねのけるだけの防御を持っていなくては、できない行いだから。
そんな人間臭いところのある小川さんだから、こちらへのコメントをされる皆様も、慕ってしまうのではないでしょうか。
努力から連想する言葉を考えた時、私は「楽しい」という言葉がひらめきました。
そして、読み進めると!なんと!「努力は楽しい」という文字が目に飛び込んできました。
嬉しかったです。
「努力は楽しい!」
今の私は、努力中毒になっています(笑)
ですが、過去の私は違った・・・。
「努力しても越えられない壁がある」と思っていたのですから・・・。
この意識の呪縛から解放してくれた人こそ、私の心から尊敬する人。
この人のためなら何だってできる!と思ってしまうほどに・・・。
私の目指す人。この方のポジションは、もう変わることがないと思う。
変えることができないのだ・・・。それがどうしてなのか・・・今の私にはわからない・・・。
小川さんの意見賛成です。以前から勝間さんという人にどうも親しみ?が持てません。あのがんばりは何なのかとか思って、、実際付き合ったら
違うのかもしれませんが 最近は慈善事業もなさっているみたいですね、
見上げた努力なのかもしれないけれども努力も人それぞれいい影響を受けられる人を見つけたいです。(もっと知ったら勝間さんかもしれませんが)
「努力」という言葉は他の人から「しなさい!」といわれると、そのときの精神状態や状況により精神的にへこむときがあるのは確か。
だから自分から努力目標をみつけて、苦しみながら楽しまないといけませんね。
残念ながら断片的な聞き書きですが、勝間さんというひとは、非常に努力してのし上がった(?)ひとらしいので、なにもせずに「出来ない」と言っている人には腹が立つというか、ふがいなく感じるのだと思いますね。
彼女は達成感を次の目的への糧にしていると感じます。
家族を含めて、「努力」の意味や程度が 周囲の人と自分がかちあわないことが多い。私はどちらかというと 努力は基本的に楽しいし燃える。
でも、私の身近にいるひとは いやいやしていたり、義務でしているように見えてならない。かわいそうだな、と本気で思う。と、同時に やればできるのに悪習慣を変えられないたくさんの人を見て 正直、がっかりする。でも、私だって完璧じゃない、ひとから見たら できていないことがたくさんあるし 価値観も違う。昔なら、一人でいらいらしていたことが
小川さんの色々なお蔭で 「お互い様・お互い様、私が我慢している以上に 私に我慢していることがたくさんあるよね」と思えるようになった。これは私のいろんな面において 人生を変えていると思う。
小川さん、本当に感謝しています。
ありがとうございます。
人生には努力というのはソバうちの”つなぎ”の役割みたいなもので、人生は
失敗の連続でなりたち、それを超える努力でつながっている。賢人がいうそれは正にあざなえる縄の如しと表現しております。
わたしはかなり雑な方なので、たとえば大きくむかってくるものには大きく働き
ちいさくくるものにはあわせて反応しています。もちろん能力の範囲です。
☆ 努力 ・・・・・ ✩ ✩
この響き・・・・確かに好む・・・・・好まない人が・・・・・いるかも知れませんね。?
思い出します。 ・・・・ 若かりし頃・・・・! (個人的には、好きな言葉)
『 努力は、必ず報われる!!』 という信念で、仕事にも全て、TRY! TRY!
今思い出しますと・・・・ナポレオン睡眠・・・!!(もちろん他人には見せないで!!)
多少の苦痛感は、ありましたが・・・目標達成しました時の・・気分爽快!!^^
その根底には、やはり夢・・・目標に対しての『 ポジティブ 』・・・!!
<40代>
努力する事・・・確かにそれなりの結果は得られました・・が・・そこに新たな問題点!!
外部要因・・人間関係・競争社会からの色々な障害・・・・?そこから生じるストレス!!
『 プレッシャー 』に負けない心にて・・・前向きに勇気を持って・・・TRY! TRY!
・・・・『 葛藤 』 しています自分自身・・・心の片隅で、『 ネガティブ 』・・・いつしか??
<50代>
人生の折り返し地点!!
孔子の言葉に・・・『50にして、天命を知る!!』
全ての物事が、自ずから経験を踏まえて・・・・見えてきます・・・・現在の私!
唯、肉体的には、プレッシャー??(自己限定は、いけない事ですが・・・?)
この年齢に『ドクター・モルツ博士・・・サイコ・サイバネティクス』との出会い・・・!
・・・・小川さんのデイリー・インスプレイション・・・・メッセージ・・・・!!
この、外部要因からの危機を、どういう型で、チャンス 『目標達成』に変えていくのか・・・??
そして、そこに到達するまでの・・・『 努力 』・・・心の安らぎ
今日の私は、現状をどう打開していくべきなのかしらんと・・・!
・・・『 ピンチを、チャンスに変える…!! 』・・・しかも、ポジティブな気分で!!
サイコ・サイバネティクスの 『人生を生きる・・・より幸福に・・・!』
私は、学生のころやサラリーマン時代には、
努力しても報われるとは限らないと感じていました。
しかし、自営業をしている今、考えが変わりました。
報われるから努力するんじゃない、楽しいから努力するのだと。
同感です。目標を持って努力している時は、エネルギッシュですね。工夫して達成できた時の達成感はなんとも言えません。しかし、この感覚を知っているのに努力している人間が馬鹿のように感じる時があります。努力せず、毎日他の楽しそうにしている人間がうらやましく思い、むなしくなります。てがらが他人に横取りされたりしたらなおさらです。どうしたら良いのでしょうか。
していることが楽しければ「努力している」とは感じない。
誰もみな、したいことを、するだけで良くて。。。
それを、わざわざ「努力」というところに違和感を感じるのではなかろうか。
香山さんは。
努力って楽しいのかな?
いや、普通にそう思いますけどね。
楽しいってことは、努力して……つまり、行動して、その結果が、なんとなく見えたときだと思うんですよね。
これほど努力したから、こんな成果があったとか……
まあ、これほど努力したのに、成果がないっていうときは努力が楽しくなくなるんでしょうけどね。
諸行無常と言います。
あらゆるものが日々変化している。
その中で、努力とは広辞苑で
「目標実現のため、心身を労してつとめること。」
究極の目標は生を受けたこの世を生き抜くことだと思う。
そして人々が生きていけるようにすることで、生き抜くことができると思う。一人では生きられないし。
つまり人のために生きることで、生き抜いていけるのかも。
そこに人は不思議と幸せを感じる。
努力って幸せなのかな。
でも見返りをもとめれば 苦しくなるな。
諸行無常だから。
そっか。
私は勝間さんをイケイケだとも思わないし、その対極に香山さんがいる
などとは思いません。ちょっとこういう見方はおかしいと思います。
第一小川様のブログを読んでいる、またはたどり着いているという時点
で今まで努力してきたと言っていいくらいだと思います(もちろん私
のように努力の仕方が悪い人もいると思いますが)。
ですので小川様のブログの読者に対して努力したほうがなんて言われても何をいまさらという感じる方も多いのではないでしょうか。
私は一見対極にいるように見えるお二人が対談することによってどのよう
な化学反応が起きるのか、どのような対談なのかが楽しみです。
前の方も言われていますが読みもしないうちに優劣をつけるような(その
ように誤解されかねないような)ことは書くべきでないと思います。
私は勝間さんも香山さんも尊敬してます。もちろん小川様のことも。
さっそく買って読みたいと思います。
吐き気が催すほどの極度の緊張感
振り払っても振り払っても襲ってくる蛇のような不安感
これらに打ち勝ち 勝利の結果を手に入れる事が出来たのは
自ら立てた目標の為に出来る限りの努力をしたのだという
自分だけが知っている事実があったから
不思議な事に
極度の緊張感も、行く手をさえぎる不安感も
目標に向かって あらゆる努力をするから顕れる現象
精魂込めた努力をしなかったら
緊張感も不安感ももっと少ない
その代償として
感動するほどの達成感も得られない
中途半端な結果しか得る事が出来ない
それが一番惨めです
もし目標に向かう時に味わう努力の苦痛があるとすれば
要するに産みの苦しみなのです
努力をしなければ
目標に向かわなければ
こんな辛い緊張感・不安感に襲われることが無かったのにと
そもそも目標を立てなければ良かったのにと
何度も弱音を吐き、今度はその弱音に吐きそうになっている
自分自身を何度罵った事でしょう!!
それでも努力を止める事が出来なかったし
目標から逃げる事は出来なかったのです
努力だけが唯一、襲ってくる不安を切り裂く剣のように思えたから
努力だけが唯一、極度の緊張感から解き放たれる羽のように思えたから
努力だけが唯一、目標を達成するキー鍵だと思えたから
今年立てた目標は、今まさに、一つ達成をしたので
次の目標に向かって ステップアップして行きます
今から新しいスタートラインに立ち
そして、またあらゆる努力をします
その努力も今までよりもステップアップすると思います
そしてまた極度の緊張感・不安感に襲われると思います
でも
これらが大きければ大きいほど
達成感・解放感が大きく、乗り越えた喜び
「やったんだ!!」「勝ったんだ!!」という喜びが
とてつもなく大きい事を味わいました
そして次の目標に向かって行く原動力になる事も知りました
挑戦している時チャレンジしている時
その時の自分が持ってる力の極限まで追い込んだ時に
人は限りのない力を発揮するのだという事を実感しました
楽しい努力じゃなくて
自らを痛めつけるぐらいのキツイ努力
この努力を心のエネルギーに転換させる方法を自ら学ぶと
心のコントロールに長けた
自らの感情の監督になれると思います
努力した方がより裕福になったり、
何かを達成できる可能性が高くなるのには同意しますが、
努力してないから幸せになれないというのは少し違うと思います。
もちろん努力している人が素晴らしいのはいうまでもありません。
ただ幸せを感じられることと、努力していることは
直接的には結びつかないと私は考えます。
努力し続けていても、つらい気持ちで毎日を過ごす人もいれば、
努力せずとも、日々の生活に幸せを感じている人もおり、
私自身の体験を振り返ってみても、努力しているかどうかより、
今、この瞬間に幸せを感じられるかどうかのほうが、
幸福感には大きく影響していました。
努力と我慢を履き違えている人がたくさんいます。
我慢はつらい以外の何者でもないけど、努力は前向きなものだから、まったくつらくないし、成果がみえると、うれしいものです。
ただ、勝間さん流の時間をぎちぎちに使って、これでもかっていうのには疲れてしまうという人がいるのもわかります。
勝間さんの、移動には自転車をっていうのも、健康のため、時間節約のためとのことですが、雨の日などもそうするのかなあ?(突然降り出す雨もあります)びしょびしょになって訪問先でどうするのかしら?とか、真夏の炎天下の元でも、汗びっしょりになって移動してるのかしら?そこまでしなくても。。。という気持ちになる人がいてもおかしくないとは思います。
最近、仕事もプライベートも少し状況が変わったこともあり、気分がなんとなく落ち込み気味でした。自分自身にあった目標が見つからず。。目標の立て方に問題があったのかもしれません。自分自身に嘘をつかず、自分自身に価値がある目標でなければ、がんばってもなんだかイキイキできないでいたので、もやもやしていましたが、今日のデイリーインスピレーションで原因がはっきりしました。
大事なことは、焦らず自分らしく楽しく努力すること。デイリーインスピレーションで、自己評価が高くなる目標を立てていくことを誓いました。
”努力”をどう定義するかでどの程度 精神的負担となるかが人によって変わってくるのではないでしょうか.
同じ行動をとっていても,ある人にとっては日常の一コマで何気なくやっていることでも,
ほかのある人にとっては一生懸命 辛さに耐えながら”努力”してやっていることになるものも あるように思います.
個人的には,自分は”努力”の中に充実感を見いだせる方だと自負しています.が,”努力”の行程だけにこだわらず”目標”に焦点を当てていけたら良いなとも思います.
より良い目標を持つこと自体も目指していることですが…
振り返ってみたらいろいろ努力してたじゃん,自分. 結構楽しんでここまでこれたな~
人生の最後に,そんな感想がもてたら幸せかなと思います.
努力という言葉は、何か向かっていく目標がある時はさほど嫌悪感は感じないです。fそれどころか、努力していくのが楽しいと思いますね。
タイトルの”反”てどういう意味で使ってるんですか?
小川さま 今日は。
スタバで ”抱っこちゃんパパ”なすって
左隅に ワンワンちゃんもお膝に一緒
の お写真 だ~~いすきで
小川さま =あのお写真
が 今 とんちゃんにおきましては
小川劇場の横断幕になっております『余談』
努力には叶う部分と 無駄な努力という部分があるように思えます。
しかし無駄な努力を重ねたから
全くの無駄であったかということとは
また別の話だと思います。
結果として 実は結べなかったとしても
その期間は 何らかのエクササイズは積んで
体験 経験が新たに加わったのですからですから。
人生という 長い目で見た時
自分にとって 生業としての 向き不向きはあると思います。
今は生きていく手段として
この仕事についていなければならないけれど
本当は 「あの事」がやりたいと 夢 熱望を
ひそかに持ち続けさえすれば
実際に人知れずその事の努力は
気がつけば続けていると思います。
自分に向く 事
元々興味のある事にたどり着けさえすれば
寝食も忘れてのめり込むに違いありません。
打ち込む姿を
第三者から見れば 努力しているとしかみえないかもしれません。
何処までが 習得の努力で
何処からが 本望 邁進の喜びの姿か
「領域」によって
微妙に意味合いが違ってくるのだと 思えますが。
10年ほど前のラジオ番組で、武田鉄矢さんが日本昔話を紹介するコーナーがあり、『笠地蔵』に話が及びましたが、「これは、不幸のどん底にいたおじいさんとおばあさんが最後に幸せになるお話です」と言うのを聞き、???となってしまいました。
「金持ちと貧乏」、「幸せと不幸せ」、これらはそれぞれが独立したベクトル上にあります。だから、『幸せな小金持ち』なる本も存在するのです。
幸せは、今この瞬間になれます。又、どの目標を選ぶか、其々の目標に対し、どう努力するかはその人の自由です。
何がしたいか?が大事なのではないでせうか?
先日、私がブログで書いたことに答えを出されたようで、
「やられた!」という感じです。
私はブログで、「努力とか根性とかいう言葉が嫌いだ」と
書きました。
「努力だ、根性だ!」と事あるごとに言っている人の
言葉が薄っぺらく感じたり、その言葉自体が息苦しく思えたり
するからです。
また人に押し付けられている気もします。
今日の話にあるように、どんなことでも向上心をもって、
目標に向かっているときが、一番充実し、楽しく、結果もついてきていると思います。
ただし、それを「努力」という言葉を使うなら、それもありかなって。
「努力は楽しい!」
新しい発見をしました。
ありがとうございます。
人の本を読まないで、コメントだけを読んで、ものを書くのは止めよう。そんなことをする人は低レベルの人である。
人の威を借りずに、書け。
「努力」という言葉の意味にどれだけの奥行きを持たせるかによって、受け取り方も変わってくるとは思いますが。
「過ぎたるは及ばざるが如し」で、必要ではあるけれども、心身に害が及ぶ程の「努力」は避けるべきだと思っています。
私の中では「努力」はそういう言葉です。
やりたいことをイメージする、目標を設定して紙に書く、そして良く眠る
そうすれば、自然にチャンスは訪れるものだ、その時、選択すれば良いのだ。無理に努力する必要は無いんだ。
努力しないで成功する。
世界一の金持ちのバフェットは何時もそうやって、世界一の金持ちになった。努力したんじゃなくて、選択したんだ。
だから何時も穏やかで心安らかなんだ、そして彼の殆ど全てのお金を寄付して世を去ろうとしている。彼は言う、お金が全てではない、若者へのアドバイスは良い伴侶を見つけることですと。
だから、無謀な努力はするなと言いたい、1年に3万人以上の自殺者を出す日本は努力と言う名の下に儒教的な道徳をひいている。
そういう意味では、香山リカさんに組したい。
「しなければならない」努力は辛い。
「したい」努力は楽しい。
そんな風に言ってしまうと大雑把すぎるんでしょうか。
私は努力すると楽しいです。
でも、多くの人は、平和で、安定して、努力しない生活がいいんだろうな。と、最近実感しました。
努力するよりも辛いと思うんだけどな。
私の知人(友人だと思っていた人)に努力も前進も改善も大嫌いな女性がいます。頑張ると体の具合が悪くなり、その結果、膠原病を患ったと信じています。今では生活保護を受け、ハタから見ると惨めな生活です。
若い頃から「逃げ」の人生です。都合が悪くなると「私は鬱だから」「私は男性恐怖症だから」「家族は私を理解してくれないから」と自分にとって不都合なことは全て周りのせいにしてきました。
50歳近くなるまで父親の年金で生活していました。父親が亡くなってから仕方なく仕事を始めたら仕事の出来なさ加減に郷を煮やした会社に苛められ、うつ病⇒難病⇒生活保護生活です。
彼女は川に落ちた枯葉のように流れに逆らわずに生活すればいいと思います。淀みにはまり込んでも自分で選んだ道ですから不平を言わなければいいと思います。
誰だって辛くても何とか現状を打破しようと頑張っているのです。努力も前進もしない人に明るい未来はないと思います。
私は、恐らく、ここで書き込みする方の中で
最年長だと思います(50代後半)
努力することは確かに素晴らしいことで、
わたしは、人間は、自分を高めるために
生きていると常々考えています。
しかし、
「努力の仕方」が問題だと思います。
私の回りには、仕事柄、
勝間さんのようなタイプの猛烈な努力家が多かったのですが、
長年のおつきあいの中で大病したり、
中にな亡くなった方もいます。
いくら努力しても、志半ばで死んだら負けです。
先日勝間さんの日常をTVで見たのですが、
スポーツにも時間を割き、健康にも配慮されているようですが、
一日が張りつめた糸のようなのですね。
これでは、いつか切れてしまうと思います。
同じような生活をされていたカリスマ健康アドバイザー的存在だったM女史は、
何の前兆もなく突然死を遂げました。
人間は、動物の生存原理に従って生きて行かないと
生存が危うくなります。
努力は、長く続けた方が勝ちだという部分もあります。
ですから、常に体の声に耳を傾けながら、
自分のペースでやっていくというのが賢い方法ではないのでしょうか。
そのあたりを「カツマー」は誤解しやすいと思います。
その辺の危うさについても香山さんは言いたかったのではないのでしょうか。
私見ですが、「努力」という言葉は、
儒教的、強制的な響きがあって、私は好きではありません。
「強いる。好きでない事を無理矢理する。」
という匂いが漂っているのですね。
私は、「楽しむ、没頭する」をそれに置き換えています。
そこには、無理がなく、長期間持続可能な不思議な知恵を
感じてしまいます。
自分が目指すものが分からない段階で「成功者」を追いかけても、自分の満足いく状態にはならないでしょう。
自分が何をしたいのか明確な人でないと、勝間さんのアドバイスは効かないんじゃないかと思います。
結局出口が分からなくなって、疲れてしまう人が香山さんのもとへいくということでしょう。
目的があれば、目的があれば、努力なんて遊びだと思う。
小川さんの影響かな?
心からそう思います。
体がつらいのか?心がつらいのか?貧乏がつらいのか?
明確な目的はだれも与えてくれない、ヒントだけだね。
自殺者が年間3万人を超えているということが全てを表していると思います。
勝間さんのおっしゃるように努力しても結果を出せずに
心を病んでいく人がそれだけいるということでしょう。
香山リカさんは精神科医でいらっしゃるので、日々そういう人たちと
向き合って今の日本の現状をよくわかっていらっしゃると思います。
がむしゃらに努力するだけではだめだというのは皆わかっているのですが、
勝間さんのような方が本を書いてそういうことを助長しているとも言えます。
世の中には成功本が溢れているのに、何故自殺者が減らないのでしょう。
私はかなり前向きで楽観主義で勝間さんタイプに属しますが、
夢も持てないような状況の人がたくさんいることも考えなければいけないと思います。
やりたくないことをいやいや無理やり苦痛を感じながら
ゴールも無しにやり続けることを努力だと教えられてきた人は
努力に対していいイメージを持ててないだろうなと思います。
私は何であれ、自分の上達が見えればそれだけで充実感を味わえます。
しかし、得たいものは人それぞれの価値観に依存しますので
何でもかんでもただやりまくればいいってことではないわけですね。
だから目標を決めることが大切なんだと思っております。
自分にとっていい目標とはどういうものなのか、どうやったらそういう目標を常に立てていくことができるか、試行錯誤の毎日を送ってます。
僕は努力っていう言葉は大嫌いです。
だから、目標に向かうことは努力ではなく、「夢中」でいいんじゃないかなと思います。
小川さんが今自分がワクワクする目標に向かって、努力が楽しいと感じていらしゃるのは、素敵なことだと思います。
自分がやりたい、ワクワクする!こういうものを見つければ、自然とその後に努力は無理をしなくてもついてくるんじゃないでしょうか?そしてその感覚が、充実感だったり、生きている感覚だったりするんだと思います。だから、人それぞれ違っていいはずだと思います。
努力をしなければ、幸せになれないというのは、1つの価値観でしかないのでしかないので、押し付けられると拒否する方もいて当然だと思います。
>現状に満足していたら、決して、幸せだとは感じれない。
現状の中に幸せを感じられないとしたら、いつ幸せを感じるんでしょうか?
幸せは、未来にあるものでも、形あるものでもなく、心で感じるもので、それは、その時にしか感じることができないと私は日々ああ幸せだな~と思える感度を高めています。
これは、私の価値観ですので、こんな感覚でいる人もいるんだな~と思って頂ければと思います。
幼いの頃からの習慣なのでしょうか・・・、確かに「努力」という言葉を聞くと、無意識に「くるしい」や「苦労」のようなイメージを漠然と抱いてしまっています。
「努力」という言葉に「できれば避けたいもの」というようなネガティブなイメージを抱いていたかもしれません。
国語辞典でも「努力」について明るく表現されていないのがさらによくないのかもしれません。
今日の今からは「エネルギーを集中して注ぐこと」というような意味で明るく捉えるようにします。
定義の問題なのですが
僕は努力という言葉が好きではないです。
今、僕は英語の勉強をしているのですが、
目標に向かって自然とやっているので
努力をしているとは思ってないです。
僕にとって努力しているとは無理をしているということなので、
あまりいいイメージはありません。
なので僕にとっては「努力なんて全くせずに成功した」
そういった状態が理想です。