1989年のワールドシリーズ
1989年10月17日。
サンフランシスコ・ジャイアンツと、
オークランド・アスレチックスの、
ワールドシリーズ第3戦目の日でした。
地元同士の戦いです。
西武ライオンズと読売ジャイアンツよりも、
近鉄バッファローズと南海ホークスよりも、(よけいに分かりにくい?)
もっと近所同士の戦いです。
どちらの球場で試合をしても、地元です。
サンフランシスコ近辺に住む人々にとっては、
盆と正月が一緒に来たような騒ぎです。
当時、私たち、杉本家族は、仕事で
サンフランシスコの郊外に住んでいました。
お昼頃になると、
娘たちが通っていたグリーンブルックス小学校に、
父親たちが、続々と、授業中にも関わらず
息子や娘を迎えに来ます。
もちろん、ワールドシリーズに行くためにです。
しかし、その日の夕方5時過ぎに、
大惨事が起こったのです。
サンフランシスコ大地震でした。
市内のマリン地区は、いわゆる地面の液状化現象によって、
壊滅状態になりました。
サンフランシスコ湾の下を通っていた地下鉄も、
途中で、止まってしまい、中にいる人たちは、
海の下で、閉じ込められてしまったのです。
サンフランシスコ市と東側の対岸を結ぶ、
オークランド・ベイブリッジは2段構造になっていますが、
上段が、まっぷたつに割れてたくさんの車が下に落ちて、
犠牲者がたくさん出ました。
私たちのすぐ近くに住んでいた人は、
そのとき下の橋を車で通っていて、上の橋が折れて、
彼の車の後ろをかすめて落ちたショックを、
感じながら駆け抜けました。
その車の後部座席の人は、
幸運にも肩の骨が折れただけで助かりました。
地震が発生したとき、
オフィスにいた私は、
揺れが収まると、すぐに家に向かいました。
家の近くの道路では、電線が切れて、うなぎのように
火花を激しく散らしながら、くねくね跳ね回っています。
何人もの人々が、外に飛び出して来て、
自分の家のことは放っておいて、
電線をさけて、車が通れるように、
交通整理をし始めました。
自然発生的に、たくさんの人々が、
すぐに助けの必要な人々のために、
自分の車で、運んであげたり、し始めました。
私は、彼らの自発的なボランティア精神に、
驚きもし、感謝もしました。
何故なら、実はその頃、
私は、アメリカ人が嫌いになり始めていたのです・・・
こちらが意見を言うと、何かしら、違う意見を返してくる
彼らにいらだちを感じていたのです。
長女の愛も、学校で、こんなことを経験していました。
先生から意見を求められたとき、
愛は、彼女の前に発言した、メアリーの意見と同じだと言うと、
先生は、「あなたとメアリーは違う人です。同じ意見のはずがありません。」
と言って、あくまで、彼女の意見を聞こうとするのです。
日本だったら、
季節ごとに大体同じような季節感の服をみんな着ています。
しかしこちらでは、分厚いコートを着ているおじいさんの横を、
Tシャツを着た若者が通り過ぎるというような感じです。
みんな、自分たちの主張をはっきりさせます。
もしくは違っていて、当然だという考え方を持っています。
それに、少々、違和感を感じていた私は、
この地震を経験して、
他人の意見などに左右されない人を育てようとする、
この国の教育は、自発的な行動を生み出しもするのかと、
少々見直しました。
確かに、いろいろな影響から自立して行動する能力は、
人の期待や考えに、
必要以上に従わない、
強さを生み出します。
他人にとっての成功を、
追い求めるのではなく、
自分自身の成功をしっかりと見定めて、
それを、追い求める強さです。
隣の家が、かっこいいソファーを買い替えても、、、
独立した友人が、すごいマンションの1室にオフィスを構えても、、、
自分の成功が、それとは違うならば、
迷わないで、自分の道を追い求めれば良いのです。
他人の成功をいくら追いかけても、
自分自身が成功して満足することはありません。
たとえそれを達成する事ができてもです。
皆さんは、どうお考えになりますか?
ご意見をお待ちしています。
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS.
あなたが自分の道を追い求める時に、きっと役に立つはずです・・・
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter1.php?mag=Psycho20100317SU
いつもありがとうございます。
”自分の道を追い求めれば良い”
確かにそうだと思います。
でも、協調性を、大切にした上での、ことのように思います。
そこを履き違えてる人が多いのでは?
そんな気がするのは、私だけでしょうか?
コメントも、楽しく読ませていただきました。
”テーマ”を決めて、話し合う場があったら、面白いかもしれませんね。
おはようございます スヌーピーです。杉本さんの言われる事は、もっともだと思います。自立して行動する能力は、私も欲しい物です。考えても行動しなければ意味がありません。相手に伝えたいのなら、行動する事を勧めます。動機良ければ、相手にわかってもらえます。言葉より行動で生きたいと思います。
杉本さん、いいお話ありがとうございました。
私も海外が長く、米国人の上司から自分の考えをはっきり言い、リスクテイクし、行動しろ、と教えられました。
数ヶ月前に日本に帰国して、上司の顔を見て判断しろ、和を乱すな、与えられた責任だけ果たせ、という圧力をかけられています。
帰国したばかりの時は強いストレスを感じましたが、こういう日本的企業風土、社会のものすごい楽な状態にどんどん慣れていきます。。。
じわじわ、じわじわと自分の何かが蝕まれていく気がするものの、それに抵抗する気力もなくなっていきます。
杉本さんの文章を読んで、はっとしました。
私は、やっぱりこれではイヤです。
ちゃんと自分を生きたい。
せいいっぱい自分の価値観を信念を実現していきたい。
私が学生時代は、自己主張をする事・・・・と
当時の先生が、言ってておりましたが・・・?
団魂 ・ 団崖 世代・・・!!
詳しく申しますと・・・団魂世代に引っ張られているような??団崖世代・・
( 日教組の強い時代でした。・・・!!個性の強い年代・・・!! )
当時、性格からきてるかも??人の話を 10 聞いて、3 答えるようにと・・・・・
自己主張しすぎると、相手とかみ合わないとか。(それは、多少反発精神からかもと??)
時には、感情の高ぶりが・・・・
特に、強い <ー> 弱い
勝 <ー> 負
食うか<->食われるか
これが、激しいと、仲間外れにされたり・・? 色々なことが・・
羨望 ・ 嫉み ・ 嫉み ・・・の様なネガティブな感情!
つまり、この事が、『 いじめ 』に、発展していくのかも・・・?
もちろん、冷静に討論するのが、本来ですが。
♪~~戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
大人になって 歩き始める~~♪
戦前生まれ? 戦後生まれ? どうしてもそこに考えの相違点が?
親子関係の中にも、発生して来まして??
この根本が、永遠に付きまとってしまい・・・大いなる影響力が。
親の期待や考えに、必要以上に従わないどころか・・・
最終的には、『 おりる・諦め 』・・・・と言う事に。
出口が、亡くなる会話・・・?>>>目標への挫折・・・?
ふと、過去の事を、思いだします。~~ (^^)
杉本さんのおっしゃる通り・・・ 『 自分の道を追い求めればよい!』
ダン・ケネディが・・・
盗むのではなく、嘘をつくのでなく・・・
(自分の業種にて)・・・成功した人・尊敬する人の例を、参考に行動する・・・・!!
この事を改めて・・・気づきました。 ありがとうございます。
自分の道・・・この一年だけでもどれだけの道を考えたかな~
道・夢・希望・目標。ボーダーラインは何もないかもしれないけど
今まで、何が本当の自分の望みなのか、分からなかった。
でも、今日、ひょんな事から うすうす感じていた私の一番恐れていることが 一番の望みなのかもしれないと思った。
なんとなくタイムリーな気がしたので 思わずコメントしました。
自分の道を追い求める
人間は各々がそれぞれ役割を持って生まれてくるのであれば、成功および最終目標もまた各々で違ってきます
それがいち早く明確になってくる、そして、自分は斯くあるべきと考える
そうしていけば、自ずと道は開けるでしょう
私は、そうして、1つづつ念願を叶えてきました
時間が掛かるのが難点ですが…
日本の良さ、外国の良さ。
見つめなければなりません。
日本人でさえ、日本の良さを知らない人が多いのではないでしょうか?
私もです。
そして、自分の良さも・・・。
「自分の道を追い求めれば良い」そう考えると、求めるものはどんどんシンプルになっていきますね。
今の私には、追い求め続ける強さが必要です。
今日のお話は、とても考えさせられました。
ありがとうございます。
関係のない話しかもしれませんが・・・
今の私は、何故私はこんな目に遭うのだろう、と
他人と比べていました。
それは弱い自分が痛い経験をすることによって
人にやさしくするための訓練なのだと
思い知らされました。
とても反省しています。
他人は他人、自分は自分、
みな種類は違っても(個性は違っていて当たり前)
人としての試練を背負っていることに
変わりはない・・
だからこそ
仲間である彼らを助けたい
そんな気持ちが生まれるのかもしれません
気付きのきっかけを与えてくれた杉本さんに
感謝の意を表します。
ありがとうございます。
やはり「アメリカ人だから」「日本人だから」というカテゴリー分けには意味が無いんですね。
同じ人間でない以上、同じ意見であるはずが無い。
一方で「アメリカらしさ」「日本らしさ」という文化のアイデンティティもあると思います。
個人のアイデンティティと文化のアイデンティティが上手く調和するととても楽しくて美しい人生になりそうな気がします。
自分の目的を達成するために、そこに到達してる人の真似をします。
そこに到達してる人の言葉は素直に聞きます。
いくら同じ意見はないといっても、自分の価値観を形作ってきたモデルはいるんじゃないでしょうか。たとえば、親とか先生とか。
よい固定観念を植え付けられていたらそれでよいのですが・・・
アメリカの貧富の差の本質がそこにあるような気がしますね。
社会的に且つ経済的に成功することを目標とした場合:
(ぶっちゃけた話、名声・地位・富を得ることを目標とした場合)
お隣さんがその成功者だとやはり羨ましいし、そうなりたいと思うのも正直なところです。
但し、お隣さんと同じ手段で自分も成功者になることを目指す必要は無いのは、そのとおりだと思います。
但し、手段は違えども、お隣さんと同じかそれ以上の成功を手に入れたいと思うのも正直なところです。
手段として、自分の長所に合っていて且つ時代のニーズに合っているビジネスを行うことが大事だと思います。
何かを買い与えたくないときにのみ発動される
「うちはうち、よそはよそ。」
もっと他のことにも適用しなければ!
他と比べないで主張や主体性を持つ。
その方が、ある意味、楽かも知れませんね。
実際は他と比べることで、モチベーションを
維持している人の方が多いのではないでしょうか。
上を見れば、いつかは自分も、と思い、
下を見て初めて、自分は恵まれている、とか。
どちらが良い悪いではないんですが。
どちらを選ぶのか、って自問してしまいますね。
初めて拝読しました。
確かに自分も含めた日本人の成功観は他人を意識したものになりがちですね。成功はしたいのですが、それが自分の道に合ったものかどうかですね。つい見失ってしまう大切なことを思い出させてもらいました。ありがとうございます。
他人の成功は自分のものとは違う、いい教訓ですね。
隣の芝生は青いという言葉に対するいい反証だと思います。
すごい実力・実績を持った人を見かけると、
自分の至らなさを感じてしまいそうになりますが、
自分の求める道とは違うのならば、
他所は他所、内は内、と割りきって考えるようになりました。
杉本さんのお話は、マットのそれと同じくらい
染みてきますね。
杉本さんのお話はいつも面白く、楽しみにしてます。
今日の、自分の成功は他人の成功とは違う、と言うのも
改めて確かにそうだ、と思いなおしました。
人ぞれぞれ成功は違っていいんですよね。
ありがとうございます。
また楽しみにしてます。