「母の最期の言葉」
from 杉本恵洋
「ばあちゃんが亡くなったぞ。」
父から電話を受けた自分は、
急いで会社を早退して、実家へ向かいました。
実家へ向かう途中で、姉に電話をすると、
実際は、姉の旦那さんのお母さんが亡くなったとのことでした。
両親が、病院に駆けつけると言っていたので、
姉の家にも、立ち寄ると思い、
行ってみましたが、いませんでした。
***
こんにちは。杉本です。
今日は、読者の方からの投稿です。
先日の「本を一緒に作りませんか?」のお誘いに、
早速、記事をお送りくださいました。
***
自宅への帰り道の交差点で、信号待ちをしていると、
助手席の窓を叩く人がいるので、
驚いて見ると、母でした。
母は、私の車を見つけて、
交差点まで追いかけてきたのです。
父に、紛らわしい説明は困ると言っておくように伝えると、
母は、『誰にでも間違いはあるのだから』と言って笑っていました。
「それよりも、仕事を休んだついでに、家の生け垣を切っていきなさいよ。」
と言うものですから、
そこで別れ、私は一旦、自宅に戻り、
道具を用意して、実家へ向かいました。
実家まで4、5キロのところで、事故に遭遇しました。
電信柱に突っ込んでいる車が、両親の車に似ていたので、
まさかとは思いましたが、
車を降りて現場を見に行くと、
担架に乗せられた人が、横を通り過ぎて行きました。
毛布の下からはみ出していた紺色のカーデガンが、
母の着ていた物に似ていたので、
まさか・・・と思い、
あわてて、電柱の近くへ走り寄ると、
足が挟まって、出られないでいる父がいるではありませんか。
父に話しかけると意識もはっきりしていたので、
母のほうに行くと言って、救急車を追いかけました。
母は、緊急手術を2回受けましたが、
とうとう帰らぬ人となってしまいました。
事故を起こす30分ぐらい前に、
母に会えて良かったと思っています。
未だに、両親の事故を思い出し、涙が出るときもあります。
そんな時私は、今でも笑顔で話してくれた
『母の最期の言葉』を思い出します。
『誰にでも間違いはあるのだから・・・』
この言葉は、その後の自分自身の人生に、
大きな影響を与えています。
「間違っても、失敗してもいいじゃないか!」
何にでもチャレンジして、チャレンジして、
自分自身で選択して、行動することで、
生きていることが楽しくなりました。
『人生は短い。だから間違っても、
失敗しても、私は挑戦を続けようと思います。』
***
ありがとうございます。
いかがでしたか?
あなたは何か感じるものがありましたか?
-杉本恵洋
PS:
聞いてる人を勇気づけるような、こんな話があなたにもあったら、是非教えて下さいね。
info■■drmaltz.jp(■■を@に置き換えて下さい)
PPS:
普通の日々の中で気付きを大切にしたい、
前向きに生きたい全ての人のために、これを薦め続けています。
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter1.php?mag=Psycho20100421SU
辛い出来事だったと思いますが、
最後にお母様とお話しできて、本当に良かったと思います。
素晴らしいお母様を持つ事ができたのも、幸せだと思います。
お姉様の事を考えると、本当に気の毒です。
ご主人のお母様が亡くなられ、大変な所へ
突然自分の両親の事故。
当たり前の様にいつも周りにいる、
家族、友人、仕事仲間、全ての人と
その都度、正面から向き合わないと後悔するだろう。
自分に必要なメッセージは
人を通じて送られてくるものなのだ。
…という事を改めて思わされました。
母の最期の言葉を思い出しました。
素晴らしい言葉ですね。「誰にでも間違いはあるのだから・・・」
この言葉によって、間違いや、失敗を恐れない勇気をもらう事もできるますし。他人への寛大な心を持つ事もできます。
お母様は素晴らしい方だったのでしょうね。
別れは、辛いものです。すばらしい、言葉ですね。私も昨年母を亡くしました、未だに入院していて、近くにいる気がします。でもこれからを生きぬいていかないと自分自身に言い聞かせています。
オフィスでこの記事を読み、目頭が熱くなりました。
部下の手前、必死で涙をこらえています・・。
私に、もしもこのお母様のような広い心があれば・・
そう悔やまれてなりません。
私は自分の息子が小さな失敗をするたびに
強い叱責を繰り返してしまいました。
とても「つまらない」見栄や世間体のためにです・・。
今は「つまらない」と思えることですが、
当時の私には、息子をエリートコースに乗せる事しか
頭になく、愚かにもそれが親の務めであり、
愛情であるかのごとく勘違いをしておりました。
息子には本当にかわいそうなことをしました。
人間の本当の幸せとは、成功とは何なのでしょう・・。
エリートコースに乗ることなのでしょうか?
お金を沢山稼ぐことなのでしょうか?
私はお金には不自由しておりませんが(決してお金持ちではありませんが)
今、幸せではありません・・。
このメールマガジンのテーマでもある「成功」とは
いったい何なのか・・?
難しいですね。
私も、今からでも
「誰にでも間違いはある・・」と
息子に伝えてやりたいなと思います。
心温まるお話、ありがとうございました。
幼い頃両親が離婚し殆ど父親の記憶はありません。僕は、3人兄妹です。子供の頃母や祖母から聞かされた事があります、それは父親が子供3人の中で僕だけが嫌いだと言っていたそうです。今でもその言葉忘れません。物心付いたときから、自分は、余り人に好かれるタイプではないと、心の底で思ってしまいます。自分を責める時もあります。離婚も経験しました。なにか自分の中で問題や悩みがあっても母親に話ずらい事もあるのでそんな時父が居れば相談出来てたと思う時がありました。「誰にでも間違いはある、、、」「失敗してもいいさ、自分の人生だから思うぞんぶん生きなさい」って言って貰いたかったですね。いまは、自分自身にいいきかせてます、そして自分の子供にも言いたいですね。
皆様コメント有難う御座います。
皆様のコメントを読んでいたら、涙が溢れてきてしまいました。
自分の体験を読んで頂き、少しでも勇気や希望を持って頂けたのなら
とても光栄に思います。
本当に、人生は短く、冒険だと思っていろいろな事に挑戦しましょう。
天国の母も喜んでいると思います。
確かに、誰にでも間違いはありますよね。
おおらかに受け止められるのは自分の心に余裕があるときです。
そうでないときは、素直に受け止めることができず、なぜ、もっと注意深く
できなかったのかと自分や周囲をせめてしまいます。
もう一度受け止める心を鍛えたいと思います。
この方のお母さんが言うとおりです。人生チャレンジャーになって過ごしていかないと、悔いが残ることばかりだと私も思います。この方もお母さんの最期の言葉を励みにして、頑張って生きられたら良いなと感じました。
だんだんと年齢を重ねてくると失敗が恥ずかしくなってきます。それが実は人間の成長を妨げていることも判っているのですが。
なので、私はある程度考えたらあとは実行してみることにしています。やってみないと判らないことがたくさんありますからね。
「誰にでも間違いはあるのだから」
とても美しく、真実の言葉だと感じました。
もしかしたら人間は間違えることを許された、
唯一の存在なのかもしれませんね。
誰にでも間違いはある。
みんな分かっているけど、これほど深く
この言葉がしみいったのは初めてです。
私は、両親ともに死に目には会いませんでした。母は私が中1の時に交通事故で他界し、父も介護ホームに居て、いつも元気だったのに、朝からチョット頭が痛いから病院に行って来ると行って、そのまま他界しました。今でも、優しい母と厳格な父のもとに産まれた事を感謝しています。私もサラリーマンを辞め、新規事業を立ち上げ、2年で倒産し、莫大な借金を背負い、ここまで色々な仕事をして来ました。時には自動販売機の下やつり銭のところを探し回った事もあります。でも、人は一期一会ですよね、ある方との出会いで今は、小さいですが4つの会社を経営しています。母の一言が、いつも「人には親切が一番だよ」と言っていました。人の出会いと一期一会、これからも守って行きます。
よしくんです。
13年前、父の葬儀の折のお坊さんの説教で、
「人は命を懸けて何かを教えてくれる・・」というお話がありました。
葬儀には、遠方の親戚が多数出席してくれましたが、
会ったことはあるが名前が分からない人や、
なんと初めて会う人もいたのです。
父は、この人たちに支えられながら今日まで生きてこれたのだ。
そして私は、父同様にこの人たちに支えられて今日まで生きてこれた、
そしてこれからも、ささえられながら生きていくのだ。
ということを父が教えてくれたのだ と思いました。
杉本さんの場合は、お父さんの「紛らわしい説明」あたりから、
段取りが組まれ、
『誰にでも間違いはあるのだから』という言葉が、
お母さんの死によって、杉本さんの心に完全に刻みこまれたのだと思います。
親は、本人の意識するしないに係わらず、
命を懸けて色んなことを教えてくれている。
ということを私も再認識し、改めて感謝の気持ちが湧いております。
涙があふれます。。
そんなご経験があったんですね。
誰にでも間違いはあるという言葉、こんなに心に深く感じたことはありません。
ありがとうございます。
無意識のさりげない一瞬、一瞬、
(物質的豊さとは関係ない次元で、)
立派なお母さんが立派な息子さんを
残されたのだと感じました。
目頭が熱いです。
人生は一瞬です。
今まで失敗していて、辞めていたサイドビジネスがあります。
会社に縛られない、時間に拘束されないようにと思って始めたビジネス。
しかし、なかなか上手くいかないことで挫折していたビジネス。
結局、会社給料でそこそこの生活で、自分自身に妥協して満足していた自分がいました。
しかし、会社・社会はあまくないです。世界同時不況から事業業績の低下で、拠点を統廃合する。つまり今までの家族5人での生活は離散崩壊。
大企業という会社に縛られた生活は、生活の安定はあるけど、会社のさじ加減で個人の生活は意図も簡単に、潰されるという現実。マジマジと突きつけられました。
杉本さんのような家族を失うことに比べたら小さいことですが、家族離散は自分にとっては、精神的な病気を抱えているものにとっては、家族は一つの救いでしたから。軽いうつ状態になっています。
現状を悲観しても仕方ないので、今出来ることを精一杯やろうと思っています。
『お母さんの最期のひとこと』に比べたら、ちっぽけなことですが、人生は前向きに捉える必要がありますことを痛切に感じました。
肉親特に母親との死別はつらいでしょうが、言葉は道しるべとなって、母の思い出と伴にあり良い後支えでしょう。努めて大人は誰かに生きる勇気を与えられる存在でありたいと思います。人に優しく出来る強い自分にもなりたいです。感謝
一日一日を大切に生きて生きたいです。
お母様が亡くなられ「最後の言葉」は私にも勇気をいただきました。
65歳の会社定年を迎え、自分はこれから先どの様に生きるかという
時に「間違っても、失敗してもいい」という言葉はずいぶん気が楽になり、自分の経験にさらに磨きをかけ「社会の役に立てれば」と思いました。ありがとうございました。