比較
From:小川忠洋
大阪のスタバより、、
『他人と比較して、
他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではない。』
誰が言ったかは、忘れたが、
こんな名言がある。
人は常に、他人と比較をしたがる。
研究者によれば、
人は、他人と比較する事によって
自分の居場所を確かめるのだと言う。
例えば、
他人より給料が高ければ、満足して、
他人より給料が低ければ、、、
年収2000万でも3000万でも満足しない。
人は、自分が本当に求めているもの、
自分が本当に満足できるものを
知らずに、比較する事によって平安を得ている。
が、
しかし、他人との比較には終わりがない。
自分の年収が、2000万になったら、
3000万円の人が見えて来て、、、
3000万円になったら、
5000万円の人が見て来る、、、
そして、永遠に満足できない。
実際問題としては、
2000万円も3000万円も5000万円も
ほとんど生活には差がなかったりするんだけど。。。
実際、僕はかなり年収が高いけれど、
全然、今の生活に満足できていない
と言う人に会った事が何度かある。
そういった人たちに共通するのは、
常に、何かに「嫉妬」していると言う事。
常に自分より上の人を見て、
それを見て嫉妬している。
自分と比較をして、嫉妬している。
本当に満足した毎日を
送るためには、この比較を
立ち切る勇気が必要だ。
特に人が比較をするときは、
他人の優れている所と、自分の劣っている所
を比べがちだ。そして、劣等感を感じる。
これは全くもって必要のない事。
それよりもっと大切な事がある。
それは、冒頭に引用した言葉の
続きに書かれている・・・
『他人と比較して、
他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではない。
しかし、去年の自分より
今年の自分が優れていないのは
立派な恥だ。』
-小川忠洋
PS:
このプログラムを実践すれば、来年のあなたはきっと
今のあなたより優れているだろう・・・
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter1.php?mag=Psycho20100429OG
この比較の考え方なのですが、
自分の価値を人の評価で満たそうとしたり、
自分が世間にどれくらい認められているかを知りたがったりします。
他人のことも、自分の考え方で測ってしまい・・
相手様を理解できない分失礼にあたることを
してしまいがちです・・・。
自分の世界感(考え方の幅)に限界も感じ
改善するべき点を考えて、数えたら沢山あります!
しかし、自分の中に自分なりの考え方がある・・と
いうことはすごく良いことだなぁと思いました。
自分の考えというベースがあってこそ間違いを認識して
正すことができますし、気づきと変化を体験できることは
幸せに向かっている行為そのものだと思いました。
反対に、自分が世間の物差しで測られて
批判や中傷に動揺しない穏やかな精神で過ごせたら、
素敵だと思います。そのためにはしっかりとした考え方を
培う必要があると思いますし、なにかの基準に影響を受けない・・
幅広い考え方を求めて改善に改善を重ねていく
結果が幸せであるならいいなぁとおもいます。
比較によって色々な感情がわき上がりますが、
努力できる点を他の対象を通して見つけることができることや
”理想”を人の姿から見つけることができるのですから、
イメージしやすく良い点だとおもいます。
自分の価値を自分で見つけるため、
顕在意識を今日1日考えた事、思ったこと、
行動したことに意識を向けて大切にしていきたいと思います。
こんばんわ。
しかし、なぜ多くの方が
比較をしてしまうのでしょうか・・。
と改めて考えてみたのですが
なぜ? かはわかりませんが、
居場所を確認できる事はとりあえず安心だからかな?と思います。
この比較の考え方がなかなか手放せないのは、
そこに喜びがあり悲しみがあるからだと思いました。
人より優れている点があったら、嬉しぃ!
人より劣っている部分や世間一般・標準スキルがない自分は
悲しぃ!と考えてしまうのですが、
長い間この考え方が根底にあったのですね。
(少し前までは、私個人の場合は、更に自己否定感まで思考が達し、
辛い時がありました。)
この極端な思考から抜け出ればバランスがとれてきて
あまり周りの人に振り回されずに、対処できるかと思うのですが
自分のものさしで(勝手に作ってる)考えることを手放せたら
のびのびと楽に自由になれるのかな思います。
でも、やはりある事に関して一般スキルに至らない自分を認識していますが、それをカバーできるだけの別の長所を伸ばすことで自分を恥だと
思わなくなれたらいいなぁ思います。
「自分の年齢、経歴なら世間の常識では年収1000万円は軽く越えていて当然なのに、
現実は900万に満たない」そういう劣等感がありましたが、
他人と比べても意味ないですね。
「上ばっかりを見ていると首が疲れます」
ながたさんのコメント、本当にそのとおりと思います。
前年の自分と比較すれば、
「2007年より08年は月収が増えた、09年は賞与が上がった」
ということに気づきました。
他人との比較より、自分との比較の方が、気持ちが落ち着きます。
比較 ・・・??
『 他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではない。 』
比較の前に・・・
人それぞれ、置かれた立場・経験・知識 ・・・ etc
異なっています。
そして、捉え方の、『 個性 』があるのでは、ないのでしょうか?
更に、『 比較する 』
これは、自分の欠点(例えば、金銭的・学力・年齢・容姿・体型・・・etc)
それと、他人とを、比較すると ・・・
むしろ自分自身の欠点(マイナス要素)が、目立つのでは??
ネガティブな感情 ーーー>これは 『 比較する 』と言う、思考から生じるのではないでしょうか!
思考ーーー>ネガティブな感情 また、言える事ですが!
つまり、 その思考が、ネガティブな感情( 嫉妬・憎しみ・を生み出す事となり ・・・・ etc
更に、何らかの行動に・・・!
実に、無駄なエネルギー・・・!そして、時間の無駄・・・!
むしろ、
自分の長所となるもの・・・自分しかできない事・・・
つまり、自分自身を愛する
目標として、『 頑張る!! 私でも、出来る !!』
その様な、想いを・・・!!ポジティブな感情を持つ事・・・!
どのような、環境にも・・・!
それが、むしろ『 幸せ 』なる人生に! そして、人間としての成長に繋がるのではと・・・!
そして ・・・・ 大切な事は ・・・
りー・ミルティアも述べていた言葉の中に ・・・!
『 比較する余分なエネルギーは持たない事!!
それよりもそのエネルギーを、仕事の方面(ポジティブ感情になる事柄・・・)に、
向ける事・・・ (私の場合ですが) (^^) 』
先日の 『リー・テルミアのビデオ』で、
改めて、
耳が聞こえなくても、(片方は、5歳の時の交通事故!!91.2デシベル
片方は、105デシベルの聴力ですが ・・・(突発性難聴)
それで、片方で、補聴器が付けれて音が入るだけでも ・・・そして
30年間同じ聴力なので医者が奇蹟と?? 感謝!!)
そして、仕事仲間のパートナーとの出会いに・・・感謝!!
デイリー・インスプレイションのコメントを、コメントできるだけでも・・・幸せ!!
『 ・・・ で良かったネ! 』 の考えの根本を、そうです・・・ポジティブに! 今・・今・・実行中!!
PS; 小川様へ
今回のリー・ミルティアの無料ビデオ・・・本当にありがとうございました。
少しずつですが、確かに、精神面で強くなりつつある事に・・・気づき
感謝 !!
今年の私は、去年の私より優れている。
なぜ、そういえるのか。
その理由は、今こうしてコメントを書いている、
つまり「デイリーインスピレーション」を、読んでいるからです。
成功している人は他人に嫉妬などしないのではないかな?
嫉妬というネガティブな感情は
成功原則の中の豊かさや幸せの感情と程遠いものと理解しているから。
他人と自分を比較して劣等感に苛まれるという人は
自分をゆるして愛してあげましょう。
そうして自分を解放させてあげましょう。
人それぞれ人生の目的が違うのですから。
人に優っているから安心で
人に劣っているから不安と 感じるのは、不要なように
自分を比較して恥じ入ることも要らないと思います。
あるがままに以上でもなく以下でもなく。
自分を磨くことに一生懸命になれば良いでしょう。
一緒に頑張りましょう♪
上を見たらきりがない。まずは自分の考え方を変えないといけない、上ばっかりを見ていると首が疲れます。
人間がここに生まれてくる以上、一人ひとりが達成するべき使命があるといいます。
みんなそれぞれにここにいる意味がある。
だから、一つのことにおいて人と比較するのは、ナンセンス。それは、みんなそれぞれに進むべき道が違うから。
人との比較をやめると、人に寛容になれ、応援できるようになります。
自分としっかり向き合って、オンリーワンの自分を磨いていくことが、幸せや豊かさにつながるのでしょうね。
去年の私より今年の私がしたことは、「成長をした」という事実。
でも、今年の私より去年の私が優れていないのではありません。
過去の自分から学ぶことも多々あります。
私は、ブログを作成しているので、過去記事を見ることで、過去の自分と出会えます。
たくさんの学びを得ます。
純粋に、ただひたすらに走っている過去の自分に感動します。
もし、私なら
『他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。
しかし、去年の自分より今年の自分が成長していないのは、立派な恥だ。』
と書くでしょう。
親の私が何も言わないのに
同級生と比べて劣等感を抱く子供によく言っているんですが
「昨日の自分より1つでもできるようになったり、同じ事でも昨日より早く出来る様にと 少しでも頑張れたらいいと思うよ、ライバルは自分の中にあるんだよ。大丈夫!!」なんて・・・
しかし、自分のことになると年と共に要領は悪くなるし、新しいものへの切り替えがなんともうまくいかず。40才前にして
「このポンコツ頭!!」と悲しくなってきます。
長寿で元気の良い方なんてやっぱり頭の回転もよくて、会話にひねりが効いているではありませんか。まだまだその方たちからすれば折り返し地点も来ていないのに、仕事を頑張れる年頃のはずなのにと、あせりと怒りと不安を感じていながら毎日います。
脱!劣等感 難しいです。
そう!人とでなく自分ですね。自分に負けたくない!!
比較ってそういう事だったんですね。
劣等感の塊だった私は、「あなたは高価で尊い」という神様の言葉で、
比較をしても落ち込まなくなりましたが・・・
ほめられる事も沢山あるのに、なぜ劣等感が強かったのか分かりました。
自分の良いところを沢山みつけてあげると良いですね。
もっともっと自分に自信を持って、夢を実現したいです。
いつもありがとうございます。
ーーお子さん可愛いですねーー
はじめまして。初コメントです。
「人と競うな。昨日の自分に勝て!」
と3年前に言われた言葉が、今だに忘れません。
これからは、昨日の自分に勝てなければ
恥だと思うようにします。
今日の話を聞くと、金メダリストやノーベル賞受賞者はそういう比較の落とし穴に陥る可能性が低いのではないかと感じます。
小川さんいつもありがとうございます。いいお仕事がんばってください、
さて本日のテーマ「他人と比較して他人が自分より優れていても恥ではない」、このフレーズこのままだと少し抵抗を感じました。何をもって優れていると思うのかですよね、人格性格その他目に見えないものは優劣がつけられないかと ですので他人より劣っているー何が? この辺、より数が多いとか量が多いとかで比べやすいのでは、リーさんが言うように
今の環境を受け入れ自分を愛し 内面を磨くことで解決できればすばらしいですね、支離滅裂になってしまいましたがありがとうございました。
『他人と比較して、
他人が自分より優れていたとしても、
それは恥ではない。
しかし、去年の自分より
今年の自分が優れていないのは
立派な恥だ。』
ええ言葉どす。
去年の自分と比べて、何が成長しているのか?
すごい自分自身に突き刺さることばです。
初めてコメントをいたします。
『足るを知る』と言う言葉があります。
今とても心にひかかっている言葉です。
『吾唯足知』
『足るを知れば富を得る』
などと表現される場合もあるようです。
「現状に満足する」という意味なのでしょうが、
もう少し「昇華」させると、「今日のことば」の
意味合いになるのでは思いました。
人生浮き沈みがあり、面白いものです。
その時々において、自分の立ち位置が違う事に気がつきました。
すべての人は常に何かを追い求めて
常に満足のいくことはないように思います。
ただ周りを見渡した時、優越感に浸る自分や、
劣等感にさいなまれる自分が、垣間見えてしまします。
それが追い求める人生かもしれません?
人は死ぬまで自分の死と直面できないことと同じことのように思います。
それが故、そぞろ歩いて時を費やすのだと思います。
わが道を行く なかなか出来ることではないと思いますが、
人生の終わりに行きつく先は何なのでしょうか?
種は、常に生まれ変わるものと思っています。
今日の自分よりも明日の自分。
日々悩んでいることが成長の証
自分の歩んできたことに何ら恥じることがあろうか!
おはようございます。
去年の自分より、、、
「あの人は~~できていいな」という
嫉妬の裏返しの感情が以前より
激しく起こらなくなったように
思います。
これは真面目に小川さんのおかげです。
ホントにありがとうございます。
(上の記事で紹介してるのとは違いますけど・・・)
ふとしたときに、
全く忘れていた昔のこと
(大人の言葉や表情から
自分がネガティブに感じたことなど)
を思い出して、それらのことが
無意識のうちで働いてかなり自分に
影響を及ぼしていたことに
気づいて愕然としたりします・・・。
最近怠りがちですが(^^;)、
今後もセルフイメージを
よりよくすることを続けようと思います。
ありがとうございます。
他人と比較しても嫉妬しか生まれないと分かっていても
ついつい無意識に比較してしまいます。
ただ自分に自信がないだけだとわかっているのですが・・
より自分自身になれるようより一層努力していきたいと、改めて感じました。
私は5年後の自分は今よりも大きく成長している、
というイメージを持っているのですが、
それは現在のところ当たっています。
去年の自分→今の自分→来年の自分
良きライバルでありたいと思います。
僕は、人と比較して…ということはあまりしません。
なぜなら、自分は自分でいたいからです。
しかしながら、比較する対象が無いと、今居る自分の位置も分からなくなる。
ということも事実ではないでしょうか?
なので僕は、自分より高い位置に居る人と比較し、その人の良いところを吸収することを心掛けています。
だから、【比較】ではなく、【目標】ならばいいですよね。
最後の言葉が、本当にすばらしいです。
いつも、ありがとうございます。