理解されないのは?
From:小川忠洋
東京のスタバより、、
先週末は、移動続きだった。
大阪から東京に行き、東京から大阪に戻り
もどった足で沖縄に飛び、沖縄から東京に来て
今、赤坂のスタバでこのメルマガを書いている・・・
移動中、面白い事に
気づいたので今日はそれを紹介しよう。
飛行機で沖縄に向かっている時、
となりに子連れの家族が乗っていた。
僕は、となりの席で本を読んでいた。
最初は楽しそうに遊んでいた子供だが、
しばらくすると、グズりだしてきた。
そして、何が起きたか分からないけど
泣き始めて、「ママー、ママー」とか言っている。
想像してみて欲しい。
読書をしている隣で、子供が
泣き出すところを・・・(^^;
「ダダこねてんのかな?かわいいな」
なんて思いながら本の続きを読み始めた。
そして、フと気づいた事がある。
もし、僕に赤ちゃんがいなかったら、
本当に同じような気持ちになれただろうか?
多分、
「うるせー。本読めねぇーじゃねーか」
なんて思っていたと思う・・・
現実は同じなんだけど、
「うるさい」と思う人と
「かわいい」と思う人。
この違いは何なんだろうか?
この違いはその人の状態にある。
その人がどんな状態にいるか?で
その人が現実をどのように解釈するか、
が決まる。
現実には同じものを見ていても
その人の状態によって、全く違う
現実に見えてくる・・・
このような事は、
日常的に起きている事。
つまり我々は現実そのものを
見ているわけではない。
自分が見たいと思った現実、
自分の状態による現実を見ている。
コミュニケーションでは、
この考えがとても大切だ。
同じ事を話あっていても、
自分が見えている現実と、
相手が見えている現実は、
全く違うと言う事を意識しなければいけない。
ちなみに家族で移動していると、
6ヶ月になる僕の娘のくるみちゃんに、
色んな人が声をかけてくれる。
「かわいいねぇー」とか
「何ヶ月になるのー」とか。
どんな人が一番、声をかけてくれると思う?
そう。一番は、子連れ、赤ちゃん連れの家族やママ。
つまり、同じような状態にあり
同じような現実を見ている人。
ね。
次にあなたが誰かと衝突した時、
感情的に対立した時、、他人の行動に
ハラが立った時など、、
一歩下がって考えてみよう。
あの人はどんな現実を見てるのか?
-小川忠洋
PS:
もっとコミュニケーションスキルを高めたいなら、このCDを聞いてみよう。
CDを聞いているうちに、あなたは相手の現実が見える、
優れたコミュニケーターになっていくのを感じる事ができるだろう・・・
http://www.milteer.jp/lmc/lmc_letter.php
(同じ事を話あっていても、
自分が見えている現実と、
相手が見えている現実は、
全く違うと言う事を意識しなければいけない。
あの人はどんな現実を見てるのか?)
大変参考になりました。ありがとうございます。
こんにちは
自分が「見たいように」見る、「聴きたいように」聴く、「願っているように」知ろうとする、目の前の出来事、物事に自分のフィルターをかけているのでしょうが、意識することはなかったですね。
これをヒントにチョッと飛躍して考えると、
相手と会話をしていて、いつも結論は同じだなと感じていても、途中で「違う、解っていない・・・」と言われる、でも、こうして意識してみると、相手の言葉・表現で聴いてあげて、相手のステップ(情報量と手順、これが細かくて神経質な人だと大変だが)で、対話していないからだと気付く、見る以上に聴く方が難しいのかも知れない。
「猫に小判」でしょうといったら「ちがう、豚に真珠だろう」
「・・・・。」な会話のなんと多いことか?
また、人がかみ合わない会話を繰り広げているのは、横で聞いてて気付きが多いが、自分がマンツーマンで会話をするときは、横で聞いている時の理解力と「自分ならこう言って上手くやれるのに」というのが発揮できない事が多いのは、いざ当事者になると、一歩引いて聴くという客観性が失われるのと、緊張してしまうのと、相手を論破しよう・説得しよう(聴き終わる前から、自分がやり易い方向へ進めたいと頭が働く、自己都合)としてしまうからだと感じる。
じっくり真っ白に相手の話を聴けて、本当の「相手の望み」を知り、それに対して、「相手の考えを変える(自己都合に寄せる)」から入るのではなく、「それに対し、自分はこれが出来る」「もう少し考えを教えて欲しい」というところから入り、その上で、「それではこういう場合は問題が起こる」「よってこうしたら」と持っていくべきだった。
忙しい中での会話では、ついついいきなり「私はこうした方が良いと思う、こうします。」と一速とびで入り、もう相手に了解させるために頭をフル回転していることが多いのではないか?
作業的にもやり直しの多い人(自分も含め)の理由の大半が、根本の「聴く=相手の望み・思考にフォーカス」に力をいれず、聴いている最中もその後の作業の時間や労力のイメージに気持ちが行ってしまい、益々、聴けてないし、理解も薄いので、結局、相手の望みとどこか違うか、条件が足りないため、互いに満足できず、あげく「自分は一生懸命やっているのに・・・」という さらに「相手と距離が出来る」負のスパイラルに陥るのだろうとも感じる。
相手の話を「本当の意味で聴く」ことに時間をかけないといけないなと、今日、改めて思ったしだいです。
飛躍しすぎましたが、極論、何もしなくても良い、何も言わなくても良い、徹底して聴くが、まず最初の敬意なのかもしれないって思いました。
現実に対して、それまでの経験・感情から
どのように思うのか?
相手の立場に立って相手のことを出来る限り
理解よう考え行動したいと思います。
ありがとうございます。
私は11カ月の娘がいます。
私も良く声をかけられますが、声をかけてくる人は年配の方が多いです。
私自身が同世代からはとっつきにくいからなのかなあ・・と考えたことがありますが・・・
必ずしも皆さんが声をかけてくることはなく、他人と話をすることが苦でない方が話しかけてくるのかなと思いました。
でも、最近驚いたことに子供(小学生)が良く声をかけてくれます。これも皆が皆ではないですが、驚きました。
赤ちゃんの声かけに限ってですが、やはり子供が好きか嫌いかにもよるし、他人と話をすることが苦でない人じゃないと無理と思いました。
今、ある口コミビジネスをしようと決めまて行動していますが、うまく自分の思いを伝えることができません。相手のことを考えているようで自分に返ってくるダメージの事しか考えていないからだと言われるのですが、まだ自分の中で受けたダメージを処理する力が無いのだと思います。
皆が皆、同じ考えではない、同じ状況でも、やりたいことが同じでも相手が受ける思いが違うということを理解して、自分と同じ考えを持っている方を探していきたいと思います。
ありがとうございました。
小川さんの「たとえ」は本当にわかりやすいですね。
わかっていたつもりのことも、改めて心の中に入ってきました。
ありがとうございます。
人は、同じ事実を同じふうには見ていない。その人の状況によって見方が違う。このことを知っているだけで、いかに争いが減ることか。
ある子どものことを考えると、いやでいやで、早く時間がたってほしいと思う毎日、なんで自分だけこんなにえらい仕事をもらわないかんのや、とあくまで引き受けなかった人たちを恨む毎日、こんなにしんどいのに、別に大したことないという、わかってない別の専門職を、素人だと憎む毎日、こうやって書いてみると、ずいぶん心がすさんでいたと気づく今日。
今回のを、読めてよかったです。
どんな現実を見ているのか、そうですね。本当にその通りですね。
相手の現実を見てみます、でも、しんどい現実だと私が思っている限り、ずれがあっても埋められないのかなあ。
なんか、アウトプットになってないと思いますが。心が苦しかったので、書きました。
私はまだ独身なので、同様の状況にあったら残念ながら前者の
立場になる可能性が高そうです。
同じ出来事なのに受け取り方が異なった経験は何度も
あります。1歩下がってみようと考えたことはありませんでしたが、以降
そのようなことがあったらやってみたいと思います。
確かに昔は子供が騒いでいれば、「うるさいなぁ」と思っていたけど、身内に子供が出来たらあまりおもわなくなってきたなぁ
懐かしいなぁ…^^
私も子供が小さい頃は「注意するのが親の責任」と厳しく叱りつけては、自分も辛くてよく泣きました。
でもある時、ふと自分に思いました。
「何で分からないの!」(←お前の教え方が悪いんだろう?)
「人の気持ちも考えなさい!」(←お前は子供の気持ちを考えているのか?)
そして自分の子供の頃の感覚を思いお越し「どう教えてもらえば理解できるか」と考えてみました。
例えば、レストランで子供が走り回っていたら呼び止めてこう質問してみます。
「あのウェイターさんを見てごらん。料理やお皿をいっぱい運んで頑張ってるね。」
「もし走っていて、ドーンとぶつかったらどうなるかなぁ?」
「周りにいるお客さんは、ゆっくり楽しくご飯を食べられるかな?」
真剣に考える子供の姿を見ながら「どんな返事をするかな」と楽しみに待ち、
そしてもう一度聞いてみます。「走ったり騒いだりしたら、みんなはどう思うかな?」。。。
子供はまだ分からないだけなのだ。怒ったり説教したりせず、ゆっくり考えさせてあげよう…
子供目線に変えてからは、お互いのストレスも減り、楽しくなりました。
二人の子供たちは、今では私以上に思いやりのある最高のお姉ちゃん、お兄ちゃんになりました。
そういえば、以前ケガで松葉杖をついていた時やお腹が大きかった時に
席を譲ってくれたり荷物を持ってくれたりした人の思いやりの温かさを思い出しました。
その方たちの多くが10代、20代位の若い方たちだったのが意外で、
「年を取っても電車で椅子取り合戦したりせず、若者に負けないゆとりのある人になろう」と思いました。
去年初めて犬を飼った時も、子育て同様しつけに悩みましたが、
『まずは自分が子供や犬の立場に立ってみる』、そして
『相手を理解していない自分をまず改める』ということを教えてもらいました。
長くなりましたが…小川さん、大切なことを思い出させてくださってありがとうございます。。。
『同じ事を話あっていても、
自分が見えている現実と、
相手が見えている現実は、
全く違うと言う事を意識しなければいけない』
そうですね!
先日のリー・ミルティアのビデオでもありましたが・・・?
友人の話を、思い出しました。それは・・・
ある時、電車に子供(1歳未満児)を、抱いて座っていたそうです。
『かわいい!!』
小川さんと同じ経験を・・・
周囲の人から・・・云われて
ふと、視線を見定めますと・・・
何人かの人がーー>
2席右横の??
『ペットのワン君・・!!』><!
更に・・・隣に『子供(同年齢)』><!
友人は、一人で笑ってしまったとの事でした。
が!!ちょっぴり・・傷ついた心に!!
冷静に考えますと・・・その子供・・・
比べますと、可愛らしかったかしらん??
人と接する時、自分の感情(相手も同じように捉えている)と・・・
押しつけていたのだと・・・(相手の事を、正確に理解していなかった)
その後、友人は、『しつけ!!子供らしいしぐさを!!道徳を!!』
つまり、内面を・・・
認められている 愛されている 必要とされている そして・・・感謝!!
これを把握した上で、相手てに、影響を与え・・・ていく・・・
問題解決に・・・つながるのではと!
今日も、楽しいコメントありがとうございます。
そして、私も子供は、大好~き・・!
くるみちゃんの成長過程・・・楽しみです。
この様な現象は、誰しも感じて居ることだと思います。
もし
同じような境遇に自分自身がいたにも係わらず、相手の気持ちが理解出来
ない人は、その場で素直に感情が表現出来ない人では無いのでしょうか?
非常に難し事ですが、他人への優し心遣いが多くなる社会に成って欲しい
ですね。
ささやかな事ですが、世界中の人たちが戦争のない平和な社会構築の大事
な1歩だと考えます。
その時の状態によって、見えている現実が違ってくる・・
たしかに、その通りですよね。
人それぞれ、育った環境や経験が違うのですから
元々のフィルターが違っているのですもんね・・・
おもしろいですね!
・・だから、同じお話しを聞いていても誤解が生じたり
そういうつもりがないのに、誤解を受けてしまったりするんですよね。
誤解を招かないような話し方をすること・書き方をすること
それは、他人への配慮、思いやりであり
「礼儀」「マナー」なのだと思います。
私も子供が小さいときは、そう思えたことを思い出します。
今、子供が大きくなって、昔のことを忘れるようになると、一度は
「うるせーなー」と思ってしまうことがあります。
そんな時、ふと昔はそうは思わなかったよなあ、なんて思います。
自分を取り巻く環境、そのときの自分の精神状態、経過時間などで人間は変わるものだなあ、と思います。
そしてやっぱり、イライラせずに、心優しく考えられるほうが幸せなのだと思います。
私も子どもができたとき同じことに気づきました。
他にも
「ベビーカーを押してエスカレーターには乗れない」
とか、当たり前なのに、子供連れで動くようになって
初めて気づいたこともたくさんあります。^^;
”
同じ事を話あっていても、
自分が見えている現実と、
相手が見えている現実は、
全く違うと言う事を意識しなければいけない。
”
という今日の話は全くそのとおりですね。
以前仕事で、
PCユーザーは携帯Web市場は実際よりかなり
小さいと思っているし、携帯ユーザーはPCのWeb
の世界をほとんど知らない
と感じたことがありますが、これも同じようなことでしょうね。
そうですね、まさにおっしゃるとおりだと思います。
コミュニケーションに限らず、我々の周りで起きていることはすべて何らかの
現象に過ぎません。その現象を 見る人がすべて定義付けしているだけですね。
小川さん、お早うございます。
いつも有難う御座います。
私は、伴侶も子供もいませんが子供としての姿がとても好きです。
これは何も○リコン・・・とかではないですょ^^;
9つ離れている弟がいるもんで、その弟が赤ん坊の頃から世話をしていたので、
その姿をリアルに体験しました。
ただ純粋に子供の姿や何かに没頭している時の視線などに興味関心が有り、その姿を見ているだけで勇気や希望、元気をもらえるんです。
小川さんもお気づきだと思いますが、子供って本当に成長が早い!!
びっくりするくらい早いです。
成功の秘訣は、子供にあるのではないか・・・と最近、特にそう感じます。
この本日の内容のように、私の現実の見方が他人と違うということですね。
有難うございました。
自分が見えている現実と相手が見えている現実は全く違う。
確かに!と思いました。
相手の趣味嗜好や価値観などを意識して
「この人だったらこの場合どう感じるんだろう?」
と考えられる人がコミュニケーションスキルの高い人なのでしょうね。
おはようございます。
「自分が見えている現実」と「相手が見えている現実」
は全く違うという事を ”意識” しなければいけない!
って言うこの ”概念”!!。 わかっていたようで 意外と全然
意識していないですね。特に 腹がたった時(汗)
この場面に遭遇した時には 一歩さがって
「あの人はどんな現実をみているのか?・・・・」
と 早速 実践してみます! いや~この概念・・ 以外や 以外です。ありがとうございました。
おはようございます。
以前、友人とその子ども(4才と1才)と一緒に
デパートに行ったときのこと。
スイーツを食べよう!と入ったコーナーで
(やはり)ちびっ子たちがちょろちょろし始めました。
友人と私は高校からの付き合いで、
「公共の場で迷惑なガキを放置する
大人にはなりたくない」と
共に2人して高言していました。
(若かったな・・・^^;)
そして、わたしは特に子ども嫌いでした。
そのときのウロウロし始めた、ちびっ子たちは
かつての自分にとって「メーワクなガキ」
であるだろうのに、その彼らに友人と一緒に
「おとなしくしなさいね!」と注意しつつも
「かわいいなぁ♪」と思っている自分にオドロいた
ことがありました。
本当に状態によって自分の思うこと、
言動が変わることを実感した体験でした。
相手から見ているものが何なのか
という視点に立つことを心がけたいです。
すぐ忘れてしまいがちですが^^;
小川さん、今日もありがとうございます。
相手の見える現実、というのを考えないと、
大きな誤解を生んでしまいますね。
このことを忘れずにいようと思います。
私は公共の場で子供が騒いでいるとき、
どちらかといえば注意しない親に腹を立てる方です。
子供は好きなんですけどね。