涙
From:小川忠洋
大阪のオフィスより、、
昨日、会社でファイルをごそごそあさっていたら
リーミルティアのCDを聞いた山中さんから
とても面白いメッセージをもらったので紹介しようと思う。
ここから―――――――――――――――――
こんなことがありました。
私は小学校の非常勤講師をしています。この前、小学校に入学してから、
超がつくくらいの小学校2年生の問題児
(仮に大山君としておきます)がいます。まだ2年生なのに男の先生であろうが
関係なしにものすごく反抗したり、
「何でそんなことせなあかんの」
などと、体のかわいらしさに似合わない
ような口調で文句を言います。こんな子供もいるのか・・・
とびっくりするくらいです。その子がこの前、クラスの男の子を
思い切り担任の先生の前で突き倒しました。
私もそばにいましたが、倒された子には
なんの非もありませんでした。その大山君が自分の自己中心的な思い込みで
一方的に暴力をふるったのです。かわいそうに
突き飛ばされた子はひざをすりむいて泣いています。担任の先生が怒りました。
そして、私もいっしょに怒ろうか、
説得しようか迷いましたが、説得することにしました。そして、次のように言いました。
「大山君、友達を突き飛ばしたりしたらダメだよ!
きみは本当は友達に優しくて、親切で、勉強もよくできて、
運動も上手なすばらしい男の子なんだよ。(実際には
そんな子ではありませんが)きみは本当はそんなかっこよくて、
最高に素晴らしい男の子なんだよ!
それが本当の大山君なんだよ。それが友達を突き飛ばして泣かすなんて、
それは大山君らしくないよ。本当の素晴らしい
大山君らしくしようよ。きみは本当は優しくって
素晴らしい男の子なんだからね。」私は何度も何度も
「それは大山君らしくないよ。
君は本当はすばらしい男の子なんだからね。」
という言葉を投げかけました。するといつも反抗ばかりしているその大山君が
なんと涙をポロポロと流し始めたのです。今まで「お前は乱暴ものだ、悪い子だ」 と
言われたことはあっても、
そんなことを言われたことがなかったのでしょう。それが涙となって現れたのでしょうか・・・。
そのあと素直に突き飛ばした友達に謝ったのでした。
リー・ミルティアのCDを聞いていたので
それがこんなところで役に立ちました。ありがとうございました。
山中晴夫さんより、
――――――――――――――――――――
山中さん、とても素晴らしい話をありがとう。
この話からあなたは何を学べるだろうか?
僕が学んだ事やポイントだと考えた事をここで
言ってもいいんだけど、それは明日にしよう。
その前にあなたの
考え、あなたの意見を教えてほしい。
この話を聞いて、どんな事にいかせるか?
この話を聞いて、何を学べるか?
あなたがどう感じたかを知りたいので、
ブログにコメントしてほしい。他の人も見る
だろうから、あなたのコメントはたくさんの人の
役に立つはずだ。
ー小川忠洋
小川さん、ありがとうございます。
いま生きている事が、サイコーに幸せです。
人は、皆、物理的な一つの体を与えられていますが、
内面的なものは、不完全なパーツで造られていると思っていました。
それは、人によっては、ほぼ十分であり、人によっては不十分なのです。
心にぽっかり空いた穴のようなものは、自分自身で埋められるものではありません。
気がつけば、自分で防御の壁をつくっていました。
まずは、ブロークンバリケードから、始めようと思っています。
トレーニングで、無くした心のジクソーパズルのピースをイメージすることにより、内面的な強化に繋がると信じています。
「人生で初めて・・・」についてです。
この感想が書きたいけれど、何からどのように書いていいのか分かりません。
というのが今の感想です。
・・・「心の中の開かずの部屋と箱」を「信頼関係が全て」という言葉の矢が貫きました。
そこから、流れ出てきたものは「孤独」というものでした。
私は、この経験によりそれまで自分には乗り越えられない壁があると考えていたことが、今では、壁は自分で作るもの、乗り越えられない壁はない、と思えるようになりました。
この変化が何なのか知りたかったのですが、今日のデイリーインスピレーションを読んで、ほんの少しわかった気がします。
ありがとうございました。
子供を本気で相手にするのは、生易しいことではない。
きれいごとでは済まされないことが多々ある。
今回話題になった「山中さん」は確かにすごいと思う。
でも、この方のような行動をとろうと思ったら・・・
実際、その場にいたら・・・自分ならどうしていたか・・・。
理想は分かっていても、日常の習慣や状況に流されているようでは、このような行動はとれないと思う。
日常において、全てのことで、このような考え方をしていかなければ、勘の鋭い子には見抜かれてしまうはず。
この大人は、この人自身の経験や生き方から発した言葉か、瞬時にして見抜くだろう。
山中さんは、きっと、日頃から、このような生き方を実践されていたからこそ、大山君の心の奥まで届いたのだと思う。
私も日々精進したい。
いい話です。
感動しました。
この話は、日常生活を送る上で
大人でも参考になる事例だと思いました。
僕も人をほめるようにしていますが
どちらかというと、うわべだけをほめがちです。
もっと人の心にひびくほめ方をしないと
相手には伝わらないんだと思いました。
参考にしてこれからの生活に生かして生きたいと
思います。
この大山君は小さいながらも自分のした行為がいけない行動だったという事は充分分かっていたことだと思います。
人なら誰でも自分の中でもどうにもならないジレンマを感じることがあり、押さえようとする気持ちにが逆に外に向かって出てしまった時など、以前にも増して何倍も自分を責めているものです。
子供といっても善悪の区別が分かる年齢になれば、そうした気持ちは心の奥底に封じ込め、他から注意されると認めたくないもの、ただ内心そんな自分を許せないのです。
だからサイコサイコサイバネティクスの中で“自分を許し、他人を許す”事と言った教えは、イソップ物語の北風と太陽の違いとも感じられるものでしょう。
自分の存在を認めてもらったこと、自分は悪いだけの自分ではないと少し自信をもらったことで、心の奥にあった硬い意固地な自分が砕けて、本来の自分が顔を見せたのではないでしょうか。
私自身、今まではこの“許す”という考えは心の“甘え”という見方でいたので、このサイコサイコサイバネティクスを知って驚きと感動の連続です。
今まではどの感想にもコメントを寄せませんでしたが、お蔭様で人にも自分にも優しくありたいと思えるようになり、小川さん方への御礼をこめて今回は送らせていただきます。いつも有難うございます。
今の上司との関係を苦痛に感じています。頭ごなしに私のことを否定してきます。それも口調がきつく暴言です。勝手に悪く解釈し私を叱ります。こんな人が存在すること自体信じられません。上司の問題と思いますが、その上司に振り回されていますのではやく心の安定を得なければと思っていたので、今回のお話に出てくる暴力をふるった子供さんの涙の意味がわかるように思います。
素晴らしい。ドクターモルツの話にも「あなたらしくない。」といういいイメージ作りがありましたがその話が生きている話で普通こういうセリフははけません。私は比較的問題児の扱いはうまい方で学生の頃もひとつ下の学年で一番喧嘩が強くて先輩も立てない者がいましたが私の言うことは聞いてくれました。他の同輩は彼を威圧しようとしたり自分を大きく見せたがったりしていたのですが私は彼の立場でいっしょに考えたり心配したり励ましたりしたからだと思います。しかし、この大山君の例ではぶっ飛ばしてしまったと思う。電車で若い人がぐてんぐてんに酔っ払って倒れそうなとこを支えて座らせるとメガネを落としてしまったので拾ってそいつのカバンに入れた。このままでは終点まで寝過ごしてしまうかもしれないけど倒れて頭を打って大けがをするよりましだと思い声をかけて去りましたが、その人も「こんなにしてもらえるなんて」と泣きました。きっと辛いんだろうなと思った。横道にそれたが、もっと人が社会で気持ちよく生きていける言葉として非常に参考になるいい話でした。
人は他人の行動・普段の言動だけを見て他人のイメージを決めてしまいます
とゆう私自身その傾向が強い人間だと自覚しています
だけど人は理想とする自分と逆の行動をとることも多いような気がします
自分とおきかえて考えてみると仕事に対して真剣に考えていればいるほど動けない
怠けている自分がいます そんな時人から「頑張りたいけど動けないんだね。仕事
に対してまじめなんだ~」なんて言われたら大山君と同じく涙流しちゃうな
人は自分が理想とする自分があってでもそれに近ずけないリアルな自分がいてその距離がと遠ければ遠いほどイライラも大きく自分が目指す行動とは逆の行動をとってしまうのかもしれませんね
大山君はなりたい自分を解ってもらえてきっと嬉しかったんじゃないかな
大山君の話は、考えさせられました。子供は大人の愛をいつも求めていると思います。友達を突き倒したのも、大人の注意を引くためだったのかもしれません。先日、早稲田大学名誉教授・加藤諦三氏の講演を聞く機会がありました。その中で、秋葉原の殺傷事件の犯人についての話がありました。この犯人は、世の中では「おとなしい、優しい、成績がよい」という評判で、なぜこのような人物が無差別殺人事件を犯したか? という内容でした。子供が母親のお手伝いをするのにはその背景に理由があります。ひとつは母親が好きだから。またほかには、母親の関心を引くために、ほめてもらいたいためにやっている場合。後者の場合には、ある日、突然母親に対して憎しみになり、爆発する場合があるんだ、ということ。秋葉原の犯人の場合、大人の愛を得るためにしていた行為が「おとなしい、優しい、成績がよい」というイメージを人に与えたかもしれないのですが、必ずしもそのようなセルフイメージを自分ではもてなかったのでしょう。子供が「おとなしい、優しい、成績がよい」というようなプラスのセルフイメージが持てるようにできればいいなと思います。そのための具体的なやり方を山中さんは示されていると思います。そしてその結果は大山君の涙となって成就しているように思います。
みんな、本当の自分(弱い自分、正直な自分、やさしい自分…)をどこまで、回りにだしているのかな??この子は、山中さんに出会えてホントに救われたと思います。
この子にとっての、山中さんのような存在に出会える人って、少ないと思います。今の社会、できるだけ人と深入りせず、表面上で付き合う関係が多いですからね。。
私自身もその一人だと思います。回りからは、よく悩みなさそうだね。明るいね。強そうだね。っていわれるんです。でも、正直過食症だし、円形脱毛症にもなる…。
でも、そんなとき山中さんのように、本当の自分をみつけてもらえたら、すごく心が軽くなると思います。
この子は、一生懸命助けてって…。言葉ではなく、態度で表現していたんでしょうね。
その、助けてって声を、山中さんは聞き取ったんですね。
本当、この子にとって、山中さんとの出会いは大きかったはずです。
自分にあまくなったり、相手を責める言葉を発してしましそうになった時に「それは私らしくないよ」と心の中でつぶやこうと思います。
いつもメールありがとうございます。
人を責めたり、叱りつけるのは簡単にできるけど、
相手を認めて許す行為は、本当に難しいことですね。
大山くんは、自分のことを認めてくれる人に出会えて
心の底から嬉しかったのでしょうね。
読みながら、胸が熱くなりました。
私が子供の頃、先生に怒られて納得いかなかった頃を思いだしました。
小川さんやドクターモルツさんやリーミルティアさんから学んだ今だから
納得いかなかった私は正しかったと思いました。
当時、私は先生にあなたは頭が悪い。でも〇〇さんは頭が良いから見習いなさいと説教されて凄く納得いかなくて悔しい思いで心から謝る事が出来なかったんです。
その時に今日のメールのような山中先生の言葉をかけられたら素直に謝る事が出来たと思います。
駄目だ駄目だと言われ続けると本当にそのようになってしまうんですね。
普段から乱暴な事をしている子供の気持ちを分かってあげる。
そんなことが自分では出来ない。と読んでいて思ってしまいました。
今日も自分の子供に怒鳴ってしまい、感情的になっていた自分が恥しくなりました。
子供は子供なりにがんばっているのに、その事をつい忘れてしまう・・・。
子供のいいところをもっと認めて、信じてあげる。
忘れないで実行します。
人が投げかけた言葉で人は善人にも悪人にもなりうる
ということですかね
人の本質的な部分に、ネガティブ性はないと思う。そう信じたい。
そのことに、いつも目覚めていれば、誰でもが山中さんのような態度で
相手に接することができるのに。
これは大切な問題ですよね。
僕は万引きの子どもを補導したり、相談に乗ることがあります。
今は、不登校の親の会やひきこもりの会にも所属しています。
特に補導される子どもというのは、自分は社会のはみ出し者なんだと、思い込んでいる子が多いんです。
万引きで補導すると、保護者はやがってやって来て、罵声を浴びながら叱り、怒る。平手や拳骨もある。
こういうときは、逆説にとって、万引き行為を責めないで、誉めてあげるくらいでいいのです。
それを指導するようになってからは、万引き、ポン引きをする子は、データとして残っていません。
さて、話しを戻しますが、
このような保護者ではこの子らは救われません。彼等は寂しい気持ちを、「万引き」という行為で晴らしているだけなのです。
最近多いのは、優しい先輩に言われたから、やった!という理由が多い。
つまり優しさに飢えている。親に優しい気持ち(会話)があれば、非行には走りません。
ヤクザと同じような家族会話が毎日だったら、人に優しくできますか?
親が手を出すという行為は、言論の敗北を意味します。口でわからないから、平手やコブシでは、軍隊と同じです。
どんなに時間がかかっても、子どもに分かってもらえるまで、趣旨説明するべきなのです。
私は、かなり、長~~い期間「いい子」でした。
ん・・・???20歳くらいまでだったでしょうか。
周りからの視線を気にしすぎて、周囲の人の期待する自分を演じ続けていたのです。
その頃、乗馬クラブへ通っていました。
かわいいものですが、何となく反抗的というか、人と反対のことをしたりしている私に対して、そのクラブの所長さんは
「不良!!(ニヤ)」というのです。
その時私は、とても、居心地の良さを感じたのです。
頑張らなくてもいいんだ。このままだいいんだ。
そんな感情が湧いてきたことを覚えています。
今回のこちらの話題とは、正反対のような気がしますが、ある意味
「そのままの自分を認めてもらえることの安心感、居心地の良さ」は、かたくなに閉ざされていた心を溶かしてしまうものなのかもしれませんね。
人の「心」とは、本当に奥の深い世界です。
子供は、光の中で暮らすべきです。
いじめっこのダークな心が、安心とともに、
きっと解き放たれたのでしょうね・・・。
久しぶりにリー・ミルティアさんのCDを聞いていたところです。
今朝、ちょうど同じ「あなららしくない」のところを聞いていたので、ビックリです。
そしてこのメルマガはこっちも泣けます。。。
大山くんの氷が溶けたような印象ですね。
「あなららしくない」ってステキな言葉なんだな~と改めて思うお話でした。
ありがとうございます。
リー・ミルティアは大山君を救ったんですね。
人をまずは認め肯定する、それがあって初めて人の良さを引き出せるのですね。
他に居合わせた子供達にも、山中さんは感動を与えたと思います。
子どもへ希望を託すには、どうすれば良いのかが見えたような気がします。
ピグマリオン効果という心理学の言葉を教育心理学の時間に教わりましたが、
それを、ふと思い出して、腑に落ちました。
こんな良い事を習っていたにもかかわらず、使える知識になるには、
やはりきっかけが必要なのだと思いました。
今日も為になるメールを届けて下さり、ありがとうございます。
それでは、また。
素敵なお話を聞けたことに感謝致します。
真の心を出せない人達が沢山いる事にも気付かせて戴きました。
そして人は一面だけを見るのではなく、信じてあげる事が大切だと知りました。
この出会いもドクター・モルツ、小川様との繋がりの奇跡と痛感しました。
ありがとうございます。
誰も気づいてくれない本物の彼の心に触れられて、
彼は安堵したのでしょうね。
僕をちゃんと見て!という強いメッセージを感じました。
人に言われた言葉って心に残るんですよね。
何度も否定的な言葉を投げかけられれば、自分でその言葉を反復してしまう。(頭ではわかっていても、感情的にうけいれてしまう。)そして、苦しく悲しくなって、怒りに形を変えてしまう。または、無気力に・・・。
でも、自分でそれを覆そうとすると大変な労力がいると思うのですが、他の人の一言が、本来の自分の理想的な自分をイメージさせて、心の中でよりどころができるのだと思います。よくないイメージとの戦いの…。
小川 様へ
いつも、楽しく読ませていただいています。
暴力を放った子供への行動に対して担任の先生が取られた行動と
山中さんの行動には天と地ほどの違いがあります。
担任の先生の行動には
まず、自分の感情だけを発散しています。
怒りを子供にぶつけて自分の心をすっきりさせているだけです。
叱られただけの子供には怒った先生の顔しか印象には残りませんし、
何一つ、子供の心の中に考えたり、反省したりの感情は芽生えないでしょう・・。
山中さんの行動は立派でした。
ご自分の目の前で起きた怒りの感情は全て抑えて、
子供の立場というか、子供の心の中を覗くことで、
頑固になっている子供の心を解き放したと思いました。
この子供の人生にとても良い影響を与えたと思います。
昔から、子供を育てるときは
「誉め育て」という言葉がありますが、
その言葉がずばり!と思えました。
山中先生のような方にこそ子供を預けたい気がしました。
きっと、素晴らしい教育者になられます。
おはようございます。
いつも小川さんのメルマガにはエネルギーをもらっています。感謝します。
この山中さんの話はとても共感できます。
私は医療従事者で糖尿病などの生活習慣病の管理や教育などをしています。
患者様は自分の食習慣、運動習慣の管理ができなく、すぐに誘惑に負け、生活が乱れてきます。何度指導しても、結果は同じでまた再入院を繰り返しています。
そんな患者様は家族からも「仕方がない」「無駄だ」などと自分を自分でコントロールできていないレッテルを貼られていました。
私も以前までは、この患者様に接するときは心の中では「また同じことだな」と思っている自分がいました。
しかし、ある日、言い訳をする患者様に「最近、食事管理しているようですね」「運動も少しずつですが増えているんですね」など肯定的な会話を心がけていました。(嘘はダメですからよかったことを過剰にほめました」
すると、本当に自己管理が少しずつできるようになり、以前は呼びにいかなければ運動室に来なかった患者様が自分からきて椅子で待っているではないですか!
さすがに他のスタッフも驚いていました。病棟ではいつも看護師とトラブルになっている患者様が・・・・。
医療の現場でも使える技術がたくさんあります。すべてがそのやり方うまくいくとは思いませんが10人中1人でも私の言葉で気持ちが変わったならばそれはすばらしいことです。
人は周囲の悪い情報や悲観的情報(テレビやその他マスメディア)に振り回されて生きていることを強く痛感しています。
私もその一人でした。仕事に追いまくられ、不安なことにいつも焦点をあててしまいます。他に幸せを感じられることがたくさんあるのに・・・。
学生のとき臨床心理学で習ったことなど、全く忘れており、使える技術などは習ったかどうかなど全く覚えていません。
小川さんの推奨するドクター・モルツやマット、ジャームス・スキナーの考え方を今後、医療の世界に伝えることが私の使命です。
長くなりましたが、私の素性はブログで公開していますので、よかったらまた訪問してください。
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田中 秀和
E-mail:tanapon1108@gmail.com
マイブログ(自己紹介)
http://tanapon1208.blog6.fc2.com/
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「ほめる」ことは 大事なことです。
こどもはもちろんですが、おとなだってほめられて悪い気持ちをもつひとはいません。
ビジネスが進まない時ほど「ダメダ ダメダ」と思ってしまう自分がいます。
そこに ひとこと「がんばっているじゃないの」と言われただけで
上手くいっていない自分に 「またガンバルぞ」という気分がみなぎってきたり
「やるべきこと やっているじゃあないの」といわれて、
ほんとうはきちんと出来ていない自分を 「やるべきことを やらなくちゃ」という自分に素直に修正したりもできるんです。
ほめじょうずになること=前を向く意欲を 引き出せること なんでしょうね。
言葉に寄ってつくられるのだから
よいイメージの言葉をつかいつズ蹴ることにしするね。
リーの話を聞いて出た言葉なのでしょうが、とても考えさせられる話でした。
人は皆自分の立場でものを考えて行動や発言をします。
今回の自分の立場とは、正しいと思う方の立場、すなわち、先生であったり、非常勤講師の立場であったり、突き飛ばされた子供であったり、突き飛ばした子供の立場では、ものを考えないということです。
突き飛ばした子供の立場で、自分は悪いことをしたと感じながら、自分を肯定してくれる、自分の良さを指摘してくれる人を、誰もが求めているのだと感じました。
伊藤恒夫