判断できない事?
From:小川忠洋
大阪のスタバより、、、
『それは誰も判断できないんだ・・・』
何日か前、社内である打合せをしていた時の話。
僕が最も信頼するSEがこう言った。
それはあるシステム開発の話。
このプロジェクトはかなり壮大な
プロジェクトで、中々いっこうに進まなかった。
なので、その状況を確認するための
ミーティング。彼からいろいろ話を聞いた。
いろいろな問題の話を聞いた。
例えば、注文の受け方でも、
あまりにもたくさんの
ケースが出て来て混乱していた。
なので、
『そんなの必要ない奴はどんどん止めればいい』
と、言うと、
『それが必要かどうか、誰も判断できないんだ。
これが一番やっかいなんだ・・・』
と彼は言った。
誰も判断ができない。
確かにやっかいだし、そんな問題が
解決するんだろうか?
でもよくよく考えてみると、
誰にも判断できないなんて事が
あるはずはない。
いつか、誰かが何らかの
判断をしなければプロジェクトは
進まない。
「判断」とは何だろう?
その日からこの言葉について
少し考えてみた。
会社の中で起きてる事なのに、
会社の中の誰も判断できない。
こんな事があるんだろうか?
もちろん、あり得ない。
そこで思ったのは、
判断ができない
のではなく、
責任を取りたくない.
のではないかと考えた。
誰も判断できない。
と言うのは想像できないが、
誰も責任を取りたがらない。
と言うのは容易に想像できる。
誰かが
『これは止めるべきだ。』
と判断して、決定した場合。
何か問題が起きたら
その判断した人の責任になる。
(決断とでも言うべきか)
つまり、
判断=責任
と言う事になる。
逆に責任を取る意思さえあれば、
どんな事でも判断できる。
それが間違っていようが合っていようが関係ない。
間違っていたら責任を取ればいいだけだ。
ダンケネディは人生のコントロールをしたかったら
責任を引き受けろ。と言う事を言っていた。
仕事場でも、
責任感のある人、
責任を取れる人、
こういう人は、優秀なタイプで、
どんどん仕事ができるようになる。
こういう人は、指示された以上の事をやる事ができる。
自分からプロアクティブに動いて仕事をこなす事ができる。
しかし、責任から逃れようとする人は、
常に言われた事しかできない。
言われた事しかできない人
言われた事もできない人。
この2つのタイプは
ビジネスでは役に立たない。
仕事場でもどんな局面でも、
自分が責任を取る
と言う意思さえあれば、可能性は広がる。
もしあなたが、
より自分の能力を上げたい、
より仕事のパフォーマンスを上げたい
より人として成長したいと言うなら、、
つべこべ言わず、
責任を取るべし。
-小川忠洋
PS:
第一歩を踏み出すかどうかも、あなたの判断。あなたの責任だ。しかし、それをする事であなたの可能性は大幅に広がる・・・
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter2.php?mag=Psycho20100624OG
『判断=責任 ・・・ 引き受けろとのダン・ケネディ―の言葉・・・』
如何なる困難にも屈せず・・・責任を取る事は・・・
今後、起こりうる難しい状況に直面しても、対応する能力がアップし・・・
更に他人に対しても・・・模範と励ましを与える・・・人格形成に繋がると・・・
この自らの行動 『判断=責任』--->人生においても言える事
今回の私の置かれた現状の環境--->『改めて、自己責任・・・!果たして、その時、深く考え、選択したのかしらんと??自問自答!
最近の若者につたえたいです。
判断=責任
納得ですね
自分自身にも思い当たる節があります
どんな問題にしろ、
判断し、決断することが
成功・成長の1歩へと
つながるのですね
ありがとうございます
責任・・・
今の仕事でちゃんと取れているだろうか・・・。
考え直すチャンスを頂き有難うございます。
判断=責任
仕事だけじゃなく人生にも言えることですよね。
少し違う点は、人生は自分で進む路を選択しなくても、
常に自分の人生の責任は自分が持たなければいけない
ということでしょうか。
そう考えると、自分のことは人任せにしないほうが、自分自身
も納得した人生を歩めるのかも知れませんね。
追伸;
『判断=責任 ・・・ 引き受けろとのダン・ケネディ―の言葉・・・』
この言葉を拝読した後に、付け加え忘れてしまいましたが・・・^^
如何なる困難にも屈せず・・・責任を取る事は・・・
今後、起こりうる難しい状況に直面しても、対応する能力がアップし・・・
更に他人に対しても・・・模範と励ましを与える・・・人格形成に繋がると・・・
この自らの行動 『判断=責任』--->人生においても言える事
今回の私の置かれた現状の環境--->『吸血鬼・ゾンビ・・・黒幕!!』
改めて、自己責任・・・!果たして、その時、深く考え、選択したのかしらんと??自問自答!
『あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つける事は出来ない・・・!』 エリナ―・ルーズベルト
小川さんのことを少し考えてみました。
> 「判断」とは何だろう? 【問題点・疑問点に気付く】
> つまり、判断=責任 と言う事になる。 【考え・意見・アイデア・結論を出す】
> つべこべ言わず、責任を取るべし。 【みんなに投げかけ、考える機会を与える】
人を動かし、人の人生に変化を与える影響力…
このメルマガを発行されるには、つねに
「判断」=「責任」を取る意思を持って行動されているのですね。
「判断」する時は、「くよくよ考える」ではなく「よくよく考える」。
ちょっとその頭になってみた…(う~ん…)→ 冷静さ・想像力・集中力 を使いますね(´▽`;A
今から意識してみます。
判断=責任
『ダンケネディは人生のコントロールをしたかったら
責任を引き受けろ。と言う事を言っていた・・・』
会社(組織化)<-->個人事業(家内事業的)
判断力を決める要因として、感情のコントロール・・・物事を落ちるいてみる術を・・・
成功している人は、知っていますネ!!
問題が発生した時・・・それに誇示するのでなく、いかに対処すべきなのかと??
『解決策』を・・・考える事が、先決!!
過去の私・・・
20代の頃・・・メーカー勤務の立場?
思い出した言葉ーーー>『あの人・・・要領が悪いのよネ!!』 『適当に・・・!!』
まさに、今日の小川さんのコメント・・・『判断ーーー>責任』 ピッタリ!!
更に、責任を取り・・・過去の経験と手に入れた情報により解決していく社員の存在?
それを、受け入れる会社側のシステム(社員に対しての評価)の充実・・・これが、伸びる要因!!
現在の私・・・
原点に戻り・・・小舟をこぎ出したところ・・・??--->パートナーと・・・未知の世界へ
ーーー>判断=責任 当然私自身の行動にかかって来ます。(全て自己責任・・・)
今までの経験・情報に基づき、どう思い、何をすべきかの判断=責任!!
但し、精神状態をポジティブな感情にて・・・原因を知り、解決策を!!
現状では、小舟をこぎ出したものの・・・停滞状態 (波にチャプ チャプ・・・ゆられてます・・!!^^)??
ポジティブに考えて・・・
段々と精神が安定して来ますと・・・やっと船を、進路方向を判断・・・
波に乗り・・・ス~イ ス~イ !!漕ぐまでいけばいいのでしょうネ!! 面舵・・・!!
これを、イメージトレーニング中・・・! 『気付き』に感謝!!
自分に与えられた責任をよろこんでとっていきたいです。
おはようございます。
綺麗な職場には責任を持って行動する人が必ずいますよね。
処分できずに、増える一方の書類、資料。
判断の先送り、責任逃れがその一因かな?
いつも、目から「ウロコ」のお話、ありがとうございます。
たのしく、読んでます。
ほんとうに!そうですよね。
それを選択(判断)したときに生ずる
結果に責任をとれるか・・
逆に責任をとるという決意がなければ
判断はできないと思います。
その選択に自信があるから選択するわけですが
もしも失敗してしまったら・・と考えた時
それでもやるのか、やらないのかと悩みます。
やるだけのことをやったと思えれば
結果がたとえ不本意に終わったとしても
それは失敗とは言えないのではないでしょうか。
やらないで、「あの時、やっていれば」と
いつまでも後悔する人生よりも
興味のあることに挑戦して経験してみる
という過程はなににも代え難く
価値あるものではないかと思うのです。
何かを選択すれば、それと同時に
代償を払うことになる。
選択しなくても
挑戦してこなかったという
負い目のような感情の代償を
払うことになるのではないでしょうか。
それならば・・
挑戦しつづける道を選びたいです。
判断=責任
責任を取る意思さえあれば、
どんな事でも判断できる。
それが間違っていようが合っていようが関係ない。
間違っていたら責任を取ればいいだけだ。
…そんなのあたりまえのことです。
責任、取りまくりです。ホホホ♥
…はぁ〜。
逆に、
「判断した人は責任を取らなくてもよい」
というルールになれば、
我先にと判断するようになるかも???
先日も述べさせてもらいましたように、
原則どんな立場でもとらさせていただくというのが
私のスタイルなのですが、
不都合が生じたときに誠意をもって対処する、
これが私なりの責任の取り方でしょうか。
今まで逃げてばかりいたような経験がなせる産物
ともいうべきものでしょうか。
なるほど、判断=責任。その因果関係が見えて、興奮しました。
頭がスッキリした気分です。ありがとうございました!
びっくりです!!
まるで昨晩の私たちの様子を見ていらっしゃったような
タイミングでの記事でした。
NPO事業の運営・経営方針に対する
理事者の意見が食い違う中で、
「どのように進めたらよいのか、
もしくは、ストップすればよいのか
その「判断」がつかない」
という会話をしていたところでした。
結局結論は出ずじまい。
端的に言うと、「人」「モノ」「カネ」がないという
ありきたりなチープなレベルの話です。
その判断に対して、それぞれが
心の中で「責任を負わされたくない」との思いが働いていたのは
間違いないと思います。
「責任のなすりつけあい」
これでは事業なんて伸びるはずもない。
これまで曖昧にしたまま、ズルズル引っ張ってきたことに対し、
腹をくくって、判断し責任をとる一歩を踏み出すことにします。
ありがとうございました。
今の状況から抜け出したくても抜け出せないのは、
責任をおう勇気がないからなんです。
何があっても責任を負うことが出来る人は、
本当に充実した人生を送っていると思います。
責任のとり方について、考えています。
①役職(あるいは会社)を辞める。→でも問題は、解決していない。本当に責任をとったといえるのか?
②謝罪する。→自分の判断ミスを認める。1つの責任の取り方と思うが、問題は解決していない。
③問題を解決するために対処する。でも、1人でできないことも少なくない。他の人も巻き込むことになる。→自分の判断ミスが他の人を不幸にするかもしれない。責任をとったといえるのか?
結論 ②→③→①の順で、実施すれば責任をとったといえるのではないかと思いました。
私も以前は指示待ちで動いていましたが、今はそうではなくなってきました。
「頭で考えて動く」ということが実際に仕事の現場にならないとわからないようになってきています。
パートは「いわれたことをやる」のが仕事なんです。
それを従わない人はいらないです。
書いていることを実践している人しか残らないようになってるんです。
それが30代まで広がってきている世の中。
そこが日本が進歩できない理由なのではないでしょうか?
顧客の判断をずっと待っていて、
その間に何もしない、という人が実にたくさんいます。
顧客の判断以外の部分は自分で判断して
どんどん先へ進めることもできるのですが、
100%物事が決まらないと先へ進んではいけない、
という固定観念のようなものが感じられます。
一方で、責任を取りたくないという感情は私もよく起こりますが、
結局、自分で選んで行動する方が後悔はしないので、
どちらにせよ、その感情は振り切るようにしています。