誰が悪いの?
From:小川忠洋
大阪のオフィスから、、、
『誰が悪いのか?』
何か問題が起きたとき、『誰々が悪い』
『誰々のせいだ』と考えた事はないだろうか?
このように考えた瞬間から、
我々は、現状に対するコントロールを失う。
Aさんが悪い。
だから仕方ない。
自分はAさんの犠牲者だ。
という、犠牲者メンタリティに
なってしまいがち。
仕事をしていれば、誰かのミスだったり、
何かの間違いが必ず起きる。
しかし、それを人の責任にしたら、
自分はその状況に対する責任をまるっきり
放棄することになる・・・
責任を放棄するという事は、
一見、楽な事に思えるかもしれないが、
実際は、現状のコントロールを放棄することになる。
現状のコントロールを放棄する、
ということは、自分の理想の状態を
捨てる事になる。
将来の理想も、現在の理想も、
それが他人のせいで乱されるわけだから、
自分に、コントロールする力はない。
ポイントは、
責任=コントロール
コントロール=責任
だという事。(これはダンケネディの言葉だ)
仕事が出来る人、成功する人、
理想の状態を叶える人はみな、
状況に対する責任をとろうとする。
それが、部下のミスだったとしても、
業者のミスだったとしても、
何らかの外部環境のせいだっとしても、
それのせいにはしない。
自分で最大限の責任をとろうとする。
そして、どうすれば、
その問題が起きなかったか?
どうすれば解決できるか?
に全力でフォーカスする。
だから、こういうタイプの人は
自分の人生をコントロールして
自分の理想をかなえていく。
誰が悪いのか?
あなたの答えは?
-小川忠洋
PS:
今のあなたの現状は100%あなたの責任だ。それを変えるのも、そのままに放置するのも、あなたの責任。さあ、どうする?
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter2.php
自分が関わっているものに関しては、
誰が共に関わろうと自分にも責任はあると
意識すること
成功を意識する人は、
自分本位で責任を感じるのだと
思います
ありがとうございます
「すべては自己責任」の意識、大切ですね。
軽やかに生きていくためにも。
職場での話ではありませんが…。犯人探しはしない!これはうちの家族のルールになっています。今の世の中、誰々が悪いと、すぐに犯人探しを始める気がしますが、これができるようになってきてから、夫婦仲を含め、家庭の雰囲気もだいぶ変わったようです。
自分の場合は会社の上司も「何でも人のせいにする人間」だ。しかし、
「自分に責任がある」というスタンスである自分は会社の職責は低くても人脈でも資金でも会社の上司など問題にならないほどもっているし、上司は会社を辞めたらどこかに今と同じような業務内容の会社に使用人として
雇われる以外に収入を稼ぐ能力がない。会社の上司など眼中にないので
全く気にしていない。自分が成功するためには結果は自分に起因すると思った方が成功するし、失敗からも学んで次につながる。その方が面白いしこのアドバイスには乗った方が自分の人生が開けるキーになっていい。
いますよね~。そういう人。
どんなに美男美女であっても、家柄が良く、お金持ちであっても
そういう人だと分かったら「あまり付き合いたくないな」と思います。
そして、自分もそういう人間にならないように気をつけています。
人の性にする事、よく見かけます!
そう言った人に、限って事態が悪化すると他人の性にする!!
さてこのような性格は?幼児期の体験によって人格と性格が形成される!!『基本的には、これにより人生の行方が決まってしまうとも??
しかし、一つだけ唯一、自分自身を変えることができるのでは??
従って、『人のせいにする』これは、『弱者・・・心弱きもの』
当然、現実社会に於いては、この二つのタイプのどちらかに該当するのでしょう?
私は、距離を置き、その人々とはかかわりたくない!!
自覚した時、次のステップに、移行できるのでしょう。
『仕事が出来る人、成功する人、
理想の状態を叶える人はみな、状況に対する責任をとる・・・』
要するに、現状の把握、良心により心の奥底で善悪の区別、思いやりありの行動か否か!調和する意識感・能力?
改めて再認識致しました。
誰が悪いか考えてるより、対策を考えたほうがはやく解決しますよね。
でもいつも自分でちゃちゃっと解決してしまうところ、
結婚生活では大失敗してしまいました。
でも人のせいにするのは嫌いです。
自分に対するどんな中傷にも
真実が少しでもはいっている、、というますから
自分の治せるところ 正せるところは
ひとつひとつ正していく人生にしたいです。
人のせいにせず、自分の行動に責任を持って
今日も喜んで働きます!
ありがとうございました。
きっとどっかに、一番悪い奴がいる!!
でもそれには深~い理由があるのかも。
でも、その理由がわかる可能性は低い。
だったら、考えててもいいことない。
誰が悪いかわかっても何の得にもならん。
なんにも面白くない。
自分にも、大なり小なり悪い
ところがあったかもしれない。
直接アプローチできる問題は、
自分自身にしかないのは明白。
でも自分のせいにされるのは嫌!!
その前に自分から取りに行くべし。
人のせいにするーーー>よく見かけます・・・!
そう言った人に、限って事態が悪化するとーーー>他人のせいにする・・・!!
『責任転換』・・・その人は、潜在意識の中に一応は認識度はあるかと!!
さてこのような性格は・・・?
フロイトの学説によりますと・・・幼児期の体験によって人格と性格が形成される!!
『三つ子魂・・・百まで・・・』との格言も・・・!!
基本的には、これにより人生の行方が決まってしまうとも・・・??
しかし、一つだけ・・・『自覚・・!!』唯一、自分自身を変えることができるのでは??
如何なる状況下においても・・・
これこそが、人間の本質にかかわる基礎的な原則と・・・思います。
従って、『人のせいにする』・・・・これは、『弱者・・・心弱きものと・・・』
特に、『吸血鬼・・・??』この性格が・・・そしてそれを利用する『黒幕・・・』
当然、現実社会に於いては・・・この二つのタイプのどちらかに該当するのでしょう・・・?
私は、距離を置くようにと・・・直感により・・??その人々とは・・・かかわりたくない!!
自覚した時・・・初めて、次のステップにと、移行できるのでしょう。
『仕事が出来る人、成功する人、
理想の状態を叶える人はみな、状況に対する責任をとろうとする・・・』
ダン・ケネディもーーー>
『言い訳上手な人は、お金儲けが下手!!両者は互いに相容れないスキルである。』 納得!!
要するに、現状の把握ーーー>良心により心の奥底で善悪の区別ーー>思いやりあり行動か否か
--->調和する意識感・能力???
改めて・・・再認識致しまして・・・『今 この歌に・・・ハマッテいます!!』
ー>黒幕さんも、口ずさんでいましたでしょう・・・若かりし頃??頂点目指し・・・
<勇気あるもの>
♫ この道は 長いけど ~ 歩きながら行こう
石ころだらけでも 歌いながら行こう
ごらん ひまわりは 空へ 空へ 太陽へ
友の背中をたたく時 友と友の手を二いる時
この手のひらに 勇気がわいてくる わいてくる ♫ パートナーと・・・共に^^
誰かのせいにした時点で思考停止だ、
常々、そう思ってきました。
現在、それを試す機会が訪れています。
気合や根性そしてイマジネーションを使っても
どうにもらならないレベルの計画の実行を求められています。
誰かのせいにして責めるのは簡単ですが、
できる限りのことをしたいと思います。
このメッセージを読んで、逆のケースを思い出した。他人が不都合な事態が発生した時の責任を、ひとりの人に求めてくるような場合である。しかもそれがトンデモナク勘違いであることが明瞭なのに、先方にはそれがまるでみえておらず、主観に囚われてしまっているような場合、しかも4・5人単位の集団レベルでそれをやられるような場合である。いわゆる集団ヒステリーによる糾弾というやつである。昨今の企業でも学校でも、同様な人間関係の摩擦が少なくないようであるので現代的なケースのひとつと言えると思う。
このような場合、逆説的ではあるかもしれないが、小川さんがおっしゃられる本人自身の本来なすべき責任を冷静に検討し、実践する練習を積むのに、むしろ好都合である場合が少なくないような気もする。なぜならば、身に覚えのない責任の原因を押し付けられる、いわばある意味で冤罪を着せられそうになった場合、自分の名誉を守るためには、誰しも冷静に本来自分が担うべき責任の所在や、果たすべき職務について真剣かつ慎重に考えるようにならざるをえないからだ。感情的になって喧嘩をしてしまえば、それですべてのチャンスはパーだ。あくまでも冷静である必要がでてくる。そしてなによりも、公平であることの大切さを自分自身に強く肝に命じることができる。
このようにして、最終的に問題そのものを克服することに成功できれば合格である。人間関係の揉め事も、むしろ災い転じて新たなスキルを習得したことにできる。諺でいう所の。「以って他山の石となる」を実践できたことになる。人間関係の摩擦そのものも大した意味がないものなのだということに気がつける。このようなことを考えましたが、いかがでしょうか?ご検討御願いしますね。
身近で起きる全ての事象は自己責任!!
雨が降ったから出来なかった・・・・雨が降ることを予想し対応策を決めていなかった自分の責任。
いくら説明してもお客が納得しない・・・説明のポイントを間違っている或いはレベルが低い自分の責任
お金がない。政治が悪いから・・・だったら、みんなお金がないはず。努力が足りない。物事の考え方が悪い・・・自分の責任
まずは、再発防止に努める!!
誰かのせいではなく、
「自分で最大限の責任をとろうとする。」
この事を忘れずに脳にインプットしておきたいと思います。
人のせいにしたらそこまでだと思います。
問題はそこらじゅうに転がっていますから、自分のコントロール次第なんだと
つくづく思います
聖書の創世記というところの記事に、イブが蛇にそそのかされて、禁断の木の実を食べますよね、一緒にいたアダムも食べちゃうんですが、、、。神に問われたとき、アダムは、「木の実を自分に与えたイブが悪い」と言い、イブは「この蛇が、私を騙した」と言い、、、。結局、アダムもイブもエデンの園から追い出されます。現代の人間の根本原因は、人生に起った数々の失敗と思えるような出来事や、判断を誤ってしまったことを、簡単に他者のせいしてしまうのではないだろうか?。そうしてしまうと、豊かな人生を歩めない、と創造者が言っているように感じています。私自身が今までの人生の中で経験してきた、多くの物事は、私が判断してきました。ですから誰かの責任ではない。と言えます。
小川忠洋さんに反論があります。
小川さんは、「今のあなたの現状は100%あなたの責任だ。それを変えるのも、そのままに放置するのも、あなたの責任。さあ、どうする?」と申しましたが、それに対しての反論です。
かつてヨーロッパの哲学者であるニーチェは「誰かが責めを負うべきであるという考え方はキリスト教が、人間に過度の罪悪感をもたせて、支配するために始めた思考であり、そもそも責任論を振りかざすこと自体が無意味である」と断じています。
私もこの考えに同調しています。
「自分に責任がある」「アイツに責任がある」という考え、責任論を何でもかんでもあてはめていては、到底成功などできません。
成功を第一義として目指すのであれば、「責任という精神論の観念自体を捨てる」ことが大事だと私は考えています。
この考えに異論があるのであれば、小川さんの方から、メールやサイトにて反論していただいても構いません。
お待ちしております。
以前に、カウンセリングで「全部があなたのせいだという馬鹿なことはない」と言われたことがありました。その言葉を真に受けていると、いつしか状況を分析し、これは誰々のせいだ!これはあのせいだ!と犯人探しをする癖がついてしまいました。でも、自分に降りかかったことは、とにかく全部自分の責任だと思うなければいけないのですね。そうすることで、自分自身のリーダーシップが発揮されるのですね。
私の知り合いの女性に居ます、今の自分の状態は周りが悪いと思って居る人が…
現在、難病を患って生活保護を受けていますが、そもそも病気になったのも「神の思し召し」なので何か意味があるはずで、それを自分は受け止めていると言っています。
生活保護を受けて病気で働けないのに毎日、朝から翌朝までPCでチャットして遊んでいます。
病気になった原因は彼女自身にあります。不規則な生活、偏った食生活、そういう怠慢な事を30年以上続けているので体がボロボロになったのでしょう…
そんなことにも気付かない彼女は一生生活保護生活から抜け出せないと思います。自分自身で生活を立て直す気もないし、何か問題が起これば他人のせい、政治のせい、世の中のせいにして生きているのですから。
仕事やプライベートで、小さいものまで含めると問題はほぼ毎日起こっていると思います。昨日はプライベートで些細なことから家族間の問題が起こってしまいました。家族外の人の不親切な行為から嫌な思いをしたのですが、それを解決する方法を巡って家族間で食い違いがあり、いわゆる内輪もめになってしまいました。
どうすればその問題を解決できるか?にフォーカスすれば、内輪もめは起こらなかったでしょう。自分をコントロールすることで自分たちに起こったことを解決するべきでした。
問題が起こることは必然。そこからは自分のコントロールですね。
辛いことがあり、それをつい、人のせいにしていた自分に気がつきました。
そして、まさに、自分自身が引き起こしたことでもあったのに、人のせいにして、言い訳をして、自分を正当化しようとして、むしろ逆に苦しんでいた自分にも気がつきました。
でも、そんな自分に気がついて、急にスッキリしました。
もう、過去のことに関して、責任のなすりつけはやめよう。
今、何をしなければならないのか、ということに目を向けるようにしよう、と思いました。
今日は、朝から良い気分になれました。