開拓者 1
From:森兼
1497年7月8日。
ポルトガル王国の都・リスボンには
4隻の帆船からなる船団が
今まさに出航せんとしていた。
当時、ポルトガルは
イスラムの支配から独立を果たし
新興国として発展の途上にあった。
そんな中、ポルトガルはなんとか
自国を豊かにするため交易品に目を付ける。
当時のヨーロッパではアラビアを経由して
もたらされる香辛料などのアジアからの交易品に
莫大な価値が認められていた。
しかし、交易品はヨーロッパに至るまでに
原産地から何人もの商人の手を介し、
その価格は大変に高騰していた。
アジアの原産地で買い付けられた交易品は
アラビアの商人の手によって
オスマン・トルコ帝国にもたらされる。
そして、それを買い付けたイタリア商人が、
地中海を渡ってヨーロッパへ運んでくる。
オスマン帝国やイタリア商人は
この交易によって莫大な利益をあげていた。
そこでポルトガルはイタリア商人を介さない
アラビアから地中海へ至るルートを経由しない
交易方法を模索していた。
1497年7月8日。
ポルトガル王国の首都・リスボンを発った
その船団は国の期待を一身に浴びていた。
船団のリーダーの名はヴァスコ・ダ・ガマ。
彼に与えられた使命は
アフリカの南端を回り、
インドへ至る航路を開拓すること。
航海は10か月以上に及んだ。
途中、壊血病などにより死者を出しながらも
(長期のビタミンC不足で起こるそうだ)
長く辛い航海を続ける。
そして、ついにガマは
1498年5月20日、
インドへ到達するのだった。
このインド航路発見によって
後にポルトガルが海上帝国となるための
基礎が築かれたのだった。
そして、海上帝国となった
ポルトガルによって戦国時代の日本へも
鉄砲やカトリックがもたらされる。
ポルトガルが海上帝国と呼べるほどの
大交易圏を作り上げることができたのは
世界に先駆けて航海を推し進めたからだ。
当初は航海技術1つとっても
決して優れているわけではなかった。
しかし、早く行動したからこそ
どんどんと世界の海を勢力下に収め、
序々に航海技術も発達し結果を出すことになった。
そしてそれは現代でも変わらない。
成功は行動した者だけに訪れるのだ。
待っていても好機が訪れることは
ありえないのだ。
そして、その可能性を高めるには
スピードを意識して早く行動することだ。
早く行動することで、
間違いも早く把握でき
より多くの経験を積むことができる。
さらに臨機応変に対応すること。
偏見や固定観念に囚われて
自分の行動を制限してしまってはいけない。
自分なりにスピード感を持って行動しよう。
そうすれば成功は一気に
あなたの元へ引き寄せることができるでしょう。
ーマーケティング・ディレクター 森兼
PS.
ヴァスコ・ダ・ガマが航海に乗り出したとき、
アフリカの南端・喜望峰への海路は
既に開拓されていた。
ガマは喜望峰までは安心して
旅を続けることができたのだ。
アフリカの南端・喜望峰を発見した
ポルトガル人の名はバルトロメウ・ディアス。
(続く)
PPS.
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http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090511