ウルバンの大砲 前編
From:森兼
1453年4月2日。
その日、全ヨーロッパを震撼させる
大事件が発生した。
場所は現在のイスタンブル。
ヨーロッパとアジアにまたがる
人口1000万規模を誇る
トルコ最大の都市だ。
1453年当時、この街は
コンスタンティノープルと呼ばれていた。
コンスタンティノープルは
古代ローマの血を受け継ぎ、
ローマ帝国の東西分裂以降は
東ローマ帝国の首都として栄えていた。
東ローマ帝国は1000年以上も続いたが、
度重なる外敵の攻撃にさらされ、
その国土は今やコンスタンティノープルと
その周辺の僅かな土地を残すのみ。
まさに風前の灯だった。
しかし、首都コンスタンティノープルだけは
難攻不落で知られ、その3重の城壁は
何世紀にもわたって敵の侵入を退けてきた。
トルコの地に興り成長著しいイスラム国家、
オスマン帝国の王・メフメト2世は
帝国をより豊かに強大にするため、
この街を奪取することを決意する。
コンスタンティノープルを攻略することで
オスマン帝国は東西の交易を支配し、
その利益を享受することができるのだった。
しかし、メフメト2世にとって
最もやっかいだったのが街の前に
立ちはだかる3重のテオドシウス城壁。
この城壁をなんとかして突破しないことには
味方の損害ばかりが増えてしまう上に
兵を維持するための食糧の問題が出てくる。
この城壁が建造された413年以降
コンスタンティノープルの攻略が
幾度にもわたって失敗に終ってきたことは
歴史が証明していた。
そんなメフメトの元にウルバンと名乗る
一人のハンガリー人が訪れる。
彼の話ではテオドシウス城壁を
なんとかできるというのだ。
それは一見、荒唐無稽な戯言だった。
前代未聞の大きさを誇る大砲を造り
500kg以上の石弾で
3重の城壁を撃ち抜くという。
メフメトの側近達はすぐに
この痴れ者の首を刎ねるべきだと主張した。
そんな大砲は聞いたこともないし
1000年もの間、幾多の国が挑んでは
諦めざるを得なかった城壁である。
おまけにこのハンガリー人は
イスラムの宿敵でもあるキリスト教徒だ。
側近達にはウルバンの話が
嘘にしか聞こえなかったのだ。
しかしメフメト2世だけは違った。
この得体の知れないハンガリー人に
大砲の研究開発の資金を約束する。
彼はウルバンの話に未来の
繁栄するオスマンの新都
コンスタンティノープルを見たのだ。
1453年4月2日。
大量のウルバン砲を用意してメフメトは
コンスタンティノープルを包囲する。
その兵数は10万以上。
対する東ローマ帝国は僅か7000。
この日、オスマン帝国は
ヨーロッパ諸国に向けて戦いの意志を
明確にしたのだった。
メフメトの固い決意は側近の反対を許さず、
強力なリーダーシップとなり、
歴史を動かす原動力となった。
リーダーシップは
周囲の人を動かし組織を動かす。
その影響力は一人では到底成し得ない
迅速な結果を可能にする。
一人ではできないようなことでも
多くの人の力があると
簡単に解決することもできる。
だから人が社会の中で生きる以上、
リーダーシップは持っていて損のない
強力なスキルの1つだろう。
そして、それを持つことによって
成功するための強力なカードにもなる。
リーダーシップを身に付け
成功を引き寄せましょう。
ーマーケティング・ディレクター 森兼
PS.
これでリーダーシップを学び
人を動かす極意を習得しましょう。
http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090525MO
PPS.
オスマンがコンスタンティノープル攻略後、
その矛先をヨーロッパに向けるのは
明らかだったからだ。
そして、これは西欧諸国にとって
アジアからもたらされる物資が
途絶えることをも意味していた。
東ローマ帝国皇帝・コンスタンティヌスも
ただ、手をこまねいて見ているだけでなく
キリスト教諸国に救援を求める。
コンスタンティノープルに既得権を持つ
ジェノバやヴェネチアのイタリア都市国家は
これに応じて、援軍を送るが
ほとんどの国にとっては対岸の火事。
隣国のハンガリーでさえ、
強国オスマンに恐れをなして
何もできなかった。
ウルバン砲の轟音と共に
完全に外堀を埋められた東ローマ帝国に
攻撃が開始される。
絶望的な戦力差を前にして
紀元前7世紀のローマ建国から
2000年以上続いたローマ帝国最後日が
訪れようとしていた。
(続く)