「7番目の孫」
from 杉本
これは7番目の孫であるエレナが、
お姉ちゃんの花に、
抱っこされている写真です。
先日スカイプで、
エレナとお話をしました。
(エレナは「ばぶばぶ」と言うだけですが。)
エレナは、お父さんや、お母さんが、
自分のベッドの近くで、
動くのを感じると、
頭を激しく左右に振って、
少しでも早く、彼らを見つけようとします。
そして、彼らを見つけると、
手を猛烈に、ばたばたさせて、
喜びを爆発させます。
お父さんと、お母さんを、
心から愛していると、
言っているようです。
そんなとき、両親は、
「エレナは、自分たちがいなければ育たない。
育つかも知れないが、幸せにはなれない。
私たち両親は、つまらない存在かもしれないが、
エレナにとっては、
なくてはならない存在だな」
と感じるのだそうです。
「自分を頼ってくれる存在がある」
ということが、
生き甲斐につながります。
この世の中に、「あなたがいてくれるから」
と言ってくれる人が、
一人でもいることは、
私たちの生き甲斐に、
つながるのではないでしょうか。
家庭においても、社会においても、
職場においても、
自分の存在に、価値観を持ってくれる人が、
多ければ多いほど、
生き甲斐が大きくなるのだと思います。
自分のためにではなく、
他人のために、何かをしてあげる
ということが、
真の生き甲斐につながると、
私は、確信しています。
あなたは「心訓」というものをご存知ですか?
その中の一節に、
「世の中で一番尊いことは、
人のために奉仕して恩に着せないことである」
とあります。
またモルツ博士は、
「人生に、生き甲斐がないという人は、
それに向かって努力する、
甲斐のある目的を、
持っていないものです。
何か目的があると、
もっと良い人生になります。
取り組む甲斐のある、
楽しみな何かを、
常に持つようにしましょう」
と言っています。
あなたの生き甲斐は何ですか?
あなたにとって、
取り組み甲斐のある何かとは
何ですか?
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS. 生き甲斐をもつには、良い目標を持つことも必要です。
モルツ博士は、生き甲斐と目標の関係を、しっかり教えてくれます。
http://www.drmaltz.jp/zrl/mc/zrl_mc_letter2.php
私の生きがいは、大切な人、家族、友達と
楽しく生きていく事です。
その為に、会社を起こして、みんなで働いて、
自由になるため、頑張っています。
それが私の、今の生きがいです。
【人のため】 って、自分にはあまり関係のないものでした。
何故か?
それまで自分の内側しか見ていなかったから。
でも、今は 【人のため】 が、一番かは分かりませんが、
尊いものであると理解できます。
視野が内側だけではなく、外側に向かって広がりつつあるからです。
けど、【人のため】 に行動することは、まだまだ少ないのが現実。
きっと 【人のため】 って、他人を受け入れることだと思います。
それには、まず自分を受け入れるだけの器量がないと、
そこにはたどり着けない気がします。
そして、受け入れることは結構難しい…
すべてを許容するには、切磋琢磨して鋭く光ることも大切だけど、
一番自然で無理がない状態は、やはり丸しかないと…
最近思う訳です。
で、最大公約数的な王道を進みたい、と考えるのですが、
私は普段から奇をてらって、
突飛な言動(好い意味で)をとってしまいます。
(でも、それは周囲の人がしていないだけ、とちょっと勘違い…)
まだまだレベルアップ中です。
誰かの笑顔を作ること
です。
その人の、心の底から湧き出た笑い。
それが、私への最高のプレゼント♪
このプレゼントで、私も最高に幸せになれます。
「世の中で一番尊いことは、人のために奉仕して恩に着せないことである」
私の伯母は恩に着せることしかせず、恐らく一生上記は出来ないでしょう
私は、人類社会には役割がないことを2009年2月7日に証明し、私と人類社会との共存共栄はあり得ないことも証明しました
よって、私は、この世の中が続く限り、世に出ることはありません
人類が滅亡すれば話は別ですが…
それはともかく、このお孫さん、可愛いですね
生まれたときは、みんなこうなんですが、犯罪者になったり、人殺しになったりする
悲しいことですね
私の生き甲斐は、
常に笑ってエキサイティングな
毎日を送ることですね
そして周りの人たちも
自分と接していると
笑顔でエキサイティングな気持ちに
なれることです
そんな人生を目指しています
ありがとうございます
あまり知られていない貴重なもの(サイコ・サイバネティクスも含め)を
見つけ出し、それを人へと伝えていくことが
今の私にとって取り組み甲斐のあることです。
人のために何かができた時生きがいを感じ、人のために何かをしようと頑張っているとき、やりがいを感じます。
でも、自分が人のために、と思っても、相手には相手の人格があり、人生がある。。たとえ小さな子供でもです。
誰かのために何かができる、というのは本当に幸せですが、本当にその人のためになる何かができるというのは、簡単なことではないと思います。
自分が愛する相手に自分の存在を受け入れてもらえないのはとてもつらく、惨めなものです。でも、そういう時にこそ、自分は自分の友達であることを忘れず、ありのままの自分を受け入れ、励ますことを繰り返していくことでもまた、自信はついてくるのだと思います。
僕にとっては、やっぱり家族ですかね。
地球上の男性の中で、僕を選んでくれた妻。
そして、僕と妻との間にこの世に生まれてきてくれた娘たち。
彼女たちの人生をよりよくするために
僕の人生があるのかもしれません。