ウルバンの大砲 後編
From:森兼
1453年4月2日。
1000年続いた東ローマ帝国の首都
コンスタンティノープルは
10万を超える兵士に完全に包囲されていた。
コンスタンティノープルは
現在トルコのイスタンブルと言われている街。
ヨーロッパとアジアにまたがり
ヨーロッパ文化とイスラム文化が交わる稀有な街として
今も1000万規模の人口を誇っている。
10万の兵で包囲陣を構築したのは
トルコの地に興った発展著しい新興国
オスマン帝国の王・メフメト2世。
しかし、コンスタンティノープルは難攻不落で知られ、
前は3重の城壁、後ろは海という天然の要塞だった。
メフメトはこの3重のテオドシウス城壁を
攻略するため戦いの臨むにあたって、
ハンガリー人の技術者・ウルバンに
大砲の開発を依頼していた。
開発は成功し、重さ500kgを超える石弾を打ち出す
前代未聞の巨砲は完成する。
完成したウルバンの巨砲は
難攻不落のテオドシウス城壁の前に並べられ、
大砲の轟音と共に戦いの火蓋は切って落とされるのだった。
この巨砲の轟音と威力は凄まじく
テオドシウス城壁に今までにない
ダメージを与えることに成功する。
しかし、この強力な大砲にも弱点はあった。
ウルバンの大砲はテオドシウス城壁に
大きなダメージを与えてくれるものの
大砲が大きすぎて連射ができない。
一旦発射すると砲身が熱くなりすぎて
次の弾を発射するのに3時間近くの時を
要してしまうのだった。
そして、その間に東ローマ帝国側は
城壁を修復してしまう。
ウルバンの巨砲が与えた衝撃は大きく
守備側を修復作業でじりじりと
消耗させることはできるものの
戦いの決定打にはならなかったのだ。
メフメト2世は焦りを感じ始めていた。
4月2日にコンスタンティノープルを
包囲して2か月ほどが経過していた。
何せ10万を超える大部隊だ。
兵に食べさせる食糧にも限りがある。
東ローマ帝国側に何度か降伏勧告を
出してみたものの全て不調に終わっていた。
5月28日。
ついにメフメトはオスマン最強の親衛隊
イェニチェリ軍団の投入を決意する。
イェニチェリは幼い頃から奴隷を買い上げ
オスマンの王に絶対の忠誠を誓い
兵士としての英才教育をたたきこまれた戦闘のプロだ。
彼らは奴隷出身で親族がいない。
だから他の兵士たちのように
戦いに際して臆することがない。
そして29日の未明、総攻撃は開始される。
東ローマの守備隊はイェニチェリの猛攻にも
なんとか持ちこたえていたものの
隊長が負傷し前線は混乱する。
さらに施錠されていない通用門の1つが
オスマン兵によって発見され、
城内に敵の侵入を許してしまう。
この結果、守備隊は潰走し
1000年の間、難攻不落を誇った
テオドシウス城壁はついに突破される。
頼みの城壁がひとたび突破されると
10倍以上の戦力差はいかんともしがたく
守備側に抵抗する術は残されていなかった。
1453年5月29日。
この日コンスタンティノープルは制圧され
紀元前の古代より続いたローマ帝国は
最後の日を迎えることになるのだった。
メフメトはコンスタンティノープルを
新しいオスマン帝国の首都にして
街の復興と発展に努める。
オスマンの新しい血によって
コンスタンティノープルの復興は達成され、
その後オスマン帝国は全盛期を迎える。
地中海一の強国となったオスマン帝国は
ヨーロッパ諸国に強い影響力を与えることになるのだった。
この街はその後も発展し、
オスマン帝国が第一次世界大戦に敗北し
トルコ革命で滅亡するまで500年間も
イスラム文化の中心として栄えることになる。
停滞し衰退の道を歩んでいたコンスタンティノープルの街が
もう一度復活し栄えることができたのは
オスマンという新しい血のおかげだ。
衰退した既存のものでも新しい血を入れると
見違えるように発展を遂げることができるのだ。
メフメト2世は街を再興するにあたって
既存のものを修復・改築するだけに止める。
街の外見をきれいに整備するだけで
新しいものを作ろうとはしなかった。
そして、新しいシステムを入れることで
街に人を呼び込み発展の基礎としたのだ。
僕たちも既存の観念にとらわれず
今までの経験をそのままに活かして
新しい考えや知識を得ることで
同じような進歩を掴めるのだ。そしてそれには常に新しい考えを知識を
学び吸収する姿勢が大事だ。
生涯学習者でなくてはいけないのだ。 既存の知識の上にあぐらをかいていては
いずれ気付かぬうちに変化の波に取り残され
衰退の道を歩むことになる。たくさん学んで、常に新しい血を
自分の中に入れていきましょうーマーケティング・ディレクター 森兼PS.
この無料のCDを聞いて
新しい考え、新しい知恵を学びましょう。
http://www.milteer.jp/msc/letter.php?mag=Psycho20090601MO
PPS.
コンスタンティノープルの陥落により
フランスやイギリスを初めとする西洋諸国は
アジアとの交易にオスマン帝国を通さざるを
得なくなるのだった。
オスマンが課す高い関税は
イタリア商人が牛耳る地中海貿易を
急速に衰退させトルコを経由しない
交易ルートが望まれるようになる。
ポルトガルとスペインによる
大航海時代が全盛期を迎えるのだった。
なるほど!
既存の知識の上にあぐら・・う~ん、知らず知らずに
かいてしまっているかもしれませんね。
気をつけます。
でも、新しい血というのも、良い血なのか?悪い血なのか?
見極めるのも大切になってきますね。
悪い血を入れてしまったら致命的ですもんね・・^^;
ありがとうございました。