許すことは、、、
From:リー・ミルティア
おはようございます。
皆さんに自信をつけてもらうこと―
―これがわたしの心からの願いです。
欲しいものを創り出すツールを手に入れ、
目標、志、希望、夢を現実にするための戦略を
分かちあいたいと思います。
幸せにとって大きな妨げとなるのは、
怒りや恨みといった感情です。
わたしの友人タミーの例をあげましょう。
タミーは新居に引っ越してすぐに新しい命を授かりました。
ところが新居の室内は塗り替えが必要。
そこでタミーのお父さんが手伝いに来ることになりました。
お父さんは一生懸命塗り替えの仕事をしてくれましたが、
後日ささいなことから親子は衝突します。
結局お父さんは作業半ばで帰ってしまい、
その後、二人が連絡を取りあうことはありませんでした。
タミーは動揺し、お父さんのことを考えただけで涙が出るほどです。
夫が仲直りを提案しても、父の方こそ連絡してくるべき、と言いはります。
タミー自身、喧嘩の原因はほんのささいな誤解だと認めていました。
それでも、父親はお腹に赤ちゃんがいる娘と
大きな仕事を放り出してしまった、
自分は悪くない、と言って譲りません。
問題は、タミーが家族の平和より自分の正しさを貫こうとしたこと。
家族のいさかいにエネルギーを使ったことが不幸をもたらしたのです。
あなたにも、家庭や仕事場で似たような経験がありませんか?
私たちはたとえ自分が傷ついたり
仕事に支障が出ても自分の筋を通そうとします。
頑固になりすぎて、妥協したり、
自分にも非があることを認めたがらないのです。
幸せで健康な人生、成功する人生のための大切なルールは、
自分が持っているエネルギーの使い方を知ることです。
人は精神的、身体的、感情的、スピリチュアルなエネルギーを持っています。
そのエネルギーを過去の恨みなどの感情に使い、
マイナスの感情に固執するのはエネルギーの無駄使いです。
ネガティブな感情にエネルギーを使うと、新しいアイディアが生まれず、
問題に立ち向かうエネルギーも湧いてきません。
自分を許し、人も許す――これが解決策です。
でも、この考え方がなかなか理解できない人がたくさんいます。
重要なのは、「許す」ことは人の過ちを
大目に見るわけではない、ということ。
「許す」のは人のためではなく自分のためです。
「許す」ことで時間やエネルギーを消耗する
マイナス思考や恨み、怒りが取り除かれます。
マイナスのエネルギーが取り除かれれば、
幸運を引き寄せるパワーはぐんとアップするのです。
がんばりましょう。
リー・ミルティア
PS.
私の新刊本はもう手に入れましたか?
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自分の人生を自分でコントロールするようにしましょう。
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相手を許すのではなく、
自分を許す
なるほどですね
新しい考え方にハッとさせられました
どんなに相手に非があっても
自分のその感情に対して
どのように向き合うか
マイナスに捉えていても
何の解決策にもならないですよね
勉強になります
ありがとうございます
7月12日のコメントの一部訂正です。
「人の過ちを大目に見るわけではない」なら「許す」という気持ちになれないのが普通だと思います。
PS、他の方のコメントを読んで、追記します。
私も許す気になれない 元上司のパワハラがありました。
密室でのパワハラだったので証拠を残そうと仕事中にポケットにレコーダーを入れて、上司の怒鳴り声を録音したこともあります。
でも冷静な時にその上司の声を聴いてみると違って(あまりきつい語調ではなく)聞こえたこともあります。
その時は「パワハラ」と思ったのは自分の感情によるものか?とも思いました。
HEYさんのコメントに打たれました。
仏教でも、キリスト教でも、あらゆるカウンセリング、アドバイス
「許す」ことを求め、それがよいこと、人間として正しいこと、
自分のためになること、と説いています。
でも、本当にそうなのでしょうか。
「許し、忘れた方が、あなた自身はラクですよ。」
という言いかたが正しいのだと思います。
誰かを思いやるがゆえに、許さず、怒ることが必要な時もあります。
許さず、怒ることには本当にエネルギーを使います。
自分に厳しくないとできないし、差し違えることも覚悟しなくてはなりません。
そこから、逃げる人ばかりが増えて、今の原発の問題などが出てきてしまった。
自分を許さず、猛烈に反省し、行動することも必要です。
欧米や多くの国では、民主主義を実現するには、とことん議論するものという教育も訓練も受けている。
そういう国では「許す」こと「妥協すること」の重要性を説くことも意味がありますが、そうでない日本では、逆に
「本当にいいのか」「自分の頭で考えて正しいと思うのか」「あきらめるな、怒れ」
そういう言葉の方が必要な気がしてなりません。
社会的正義がどんどん失われ、犠牲になっていく人を見ても、怒ることもせず、許してしまう、できるだけ人とかかわらず、自分の小さな幸せしか世界にない
そういう社会、人生はぞっとするほど不気味です。
>重要なのは、「許す」ことは人の過ちを
>大目に見るわけではない、ということ。
>「許す」のは人のためではなく自分のためです
この部分、目から鱗なんですが、通常は、
人の過ちを大目に見る≠許す
ですよね。
だから「許す」というより
「気にしない」
「人は過ちをおかすもの。完璧な人なんていない」
「あいつのせいで酷い目に遭った。しかしビジネスの世界では当たり前に起こることで、自分にスキがあったから。敵は自分にある」
と考えるべきではないかと私は思っています。
LEE氏のオーディオプログラムで
「世の中は、あなたを被害者に陥れようとしています。被害者意識を持っていては成功しません」
という言葉、印象に残っています。
許す というのは難しいですが気にならなくなるというのはどうでしょうか。(たぶんそのものから気持ちが離れるのだと思うのですが)それだけでもよいほうへいかれる感じがするのですが。
『許す事は…』 このタイトル!!
一日中考えながら~~~なんと!!私の精神的面に変化が…!!
つまり…いつの間にか~~??”捉われ無くなっている私の存在…”
気がつきますと…【許す=許さない…】
そうなので~~~す!!今の私は…”許すとか?許さないとか?…”考えなくなっている事に…
その理由として…?ウフフ ^^ 先ず!私自身が”無能だった事”と…今!!思えるのですが ><
さまざまな経験を積んだので…それに対しての対処が出来る様に…
-->気持ちが不思議と…思えるのですから~~~♫
-->やはり、水の合わない人達にいくら討論しても傷をつくのは…私だけ… ><
-->今!目の前にんな事を教えてくれた事に…感謝!!
-->…という気持ちを…【心の中で実相世界=>向けてイメージ・トレーニング…】
-->エクササイズ致しますと…いつの間にか~~~”心の平和”が訪れて来ます…。^^
も~~~~~~う!!相手にこうなるのは?なんで~~~~~と??考える前に…
-->私の方から… ”方向転換”する事が大事…!
-->実相世界にはもうすでに…無い事が起きたのは…?
-->私の『心の影』だと思える様に…ようやくなりました…。
-ー>本当の私は…【円満な世界で、活躍している!!】…イメージトレーニング!!
-->段々”その世界”が、心の映画館のスクリーンに見えて来ます…。
そうなりますともっともっと深く掘り下げていって
人間として成りたくない”性格”・”物事”を見せてくれたのです~~と!『心の鏡』に逆に感謝!!
-->今後はそれに”ブレーキ”を掛けれる事になり一歩進んだ”私”が見えます…。
-->以前の私は『人類は、皆兄弟…』という”スローガン”に、騙されていたのです…。
-->その”スローガン”捉え方が…はき違っていた事に気付き…><
-->だから~~~!!当時の私は【馬鹿だった~~~ワ!お陰様で、利口になりそうです…】と -->一人で、誉め讃えて…もっと~~もっと~~♫ 【性格改造論】したいです~~ネ ^^
-->私は…今後”恐怖・弱小・卑陋”とを、超越して生活します…!
此の事を『スローガン…』 頑張りま~~す。
本日の『アドバイス』しっかりと『心のスクり-ン』刻み込みます…。 リーミルティア へ
PS: 先日の 【北風…お話】 これは、アメリカの昔話(インディアン)の事です…。
参考は…風(アメリカ)
知的で勇敢な青年シンシビスは、挑戦者北風のどんないやがらせにも負けない。
それもそのはず!!北風は、シンシビスを敵とみなしていたけれど…
大調和…自然との共生…を考えさせられます…。^^
エネルギーの無駄使い、痛いほど感じています。
明日から気持ちをリセットして、職場の平和や自分自身の成長のために
頑張ります。
さらに幸運を引き寄せることが出来たら、またコメントしますね。
初めてコメントします。
「許す」ということについて、考えさせられました。
私はとある犯罪行為の被害者です。
犯罪行為が密室で行われた精神的暴力による被害のため、立証も難しく、結果、かなり重度の精神疾患とこれから先何年続くか分からない後遺症と、かさむ医療費に日々不安を感じています。
毎日、次第に痩せ衰え、顔色が次第に土気色のになっていゆき、食事もままならず、深夜に泣きながら帰ってきて、早朝に朝食もまともに喉に通らない、目付きが次第に正常さを失っていく…
パワハラの事実を毎日愚痴のように聞かされて、0歳の子どもの世話をしていた妻がどういう思いをしていたか…
闘病生活に入ってからも、毎日死んだように寝ている…たまに起きたと思ったら、1歳になったばかりの子供に、意味もわからない内容で怒鳴り、当たり散らしてまた寝る…
そんな私のことを支えてくれた妻が、子供たちがどう思ったか…
「許す」ということは、並大抵ではありません。
「自分のため」と言われても、まるで泣き寝入りするような許し方は、許すではなく諦めるだし、いつまでもわだかまり続ける心は、ずっと心の奥を蝕んで、決してそこに救いもなければ、希望もありません。
「許す」ことは、あるべき怒りをきちんと主張し、怒っていることを正しく伝えて、発散し、怒りをきちんと認識し、自らきちんと理解すること。なぜ自分は怒っているのかを理解するところから始まって、それをしかるべき、納得のできる解決方法で解決し、もし自らが間違っているのであればそこは正し、相手が間違っているのであれば相手に正してもらい…
もしそれが犯罪行為なのであれば、確実な再発防止を、その加害者本人は当然として、組織として、社会として、実現していく…
これが正義のあり方だと思うし、この正義が達成されてこそ初めて「許す」というステップに進むことができる。 ということもあるのではないでしょうか?
私はその加害者から何の謝罪も保証もなく、まったく許すことは出来ません。
むしろこの怒りを、破壊行為に使うのではなく、社会正義を当たり前に実現していくための、当たり前の世の中を主張していくためのエネルギーにしたいと思っています。
決して、悲しみや怒りは、醜いマイナスのエネルギーではない。
このことは是非一度ご考慮頂きたいと思います。
是非、犯罪被害者と呼ばれている人達の事も、実は世の中にいるのだということを、一度考えてみてください。
長文失礼しました。
呪縛から解き放たれる
これは重要なのかも知れない
しかし…
それでいいのかとも思う
人類は滅亡する時期に差し掛かっています
それが一番いいようですね
許すことは人の過ちを大目に見ることではなく、
自分の為。
実感です。
人は変えられない、変えられるのは自分。
自分の非を認めてしまう気がして、
許すことができなかった。
そんな自分の考えをシフトすることで、
気持ちが楽になりました。
そして、感謝ができるようになりました。
過去の自分の記憶で恨みの感情が出てきた時、
今の自分なら許せる、とつぶやき許す気持ちを優先させています。
誰かのためでなく自分の為になるのを実感しています。
なるほどと思います。私も兄との関係がうまく行っていません。参考にさせてもらいます。
いつもためになるメールありがとうございます。メールを読んだあとなるほどと、思うのですがなかなか思いどうりにいきませんしかし、今まで意識しなかったことに意識を向けているだけでも進歩だと思っております、これからもなりたい自分になれるように頑張っていきたいと思います。メール楽しみにしています。