幸福なイメージを心に描く
from 杉本
不幸な状態に長く留まっていて、
何とか、そこから逃れ出たい。
幸福になりたければ、まず心の中から。
でも、それが難しいのですよね。
それがなかなかできなかった人の、
実際にあったお話をご紹介します。
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「ある日、スミス夫人が病院の待合室で順番を待っていると、
小さな男の子と、その母親が入ってきた。
男の子は、片方の目に眼帯をしている。
母親のあとから、椅子の方へと歩いていくその子の姿を、
夫人は驚きをもって眺めた。
少年は、片目を失ったことなど、
まったく気にしていない様子なのである。
その日は、病院がひどく混んでいたため、
スミス夫人はその親子と、おしゃべりをすることができた。
夫人は、1人で黙々と、
おもちゃの兵隊で遊んでいる男の子に、話しかけた。
「その目はどうしたの?」
少年はしばらく考えてから、
眼帯を持ち上げてみせ、こう答えた。
「なんでもないよ。僕は海賊なんだ!」
そして、遊びに戻った。
スミス夫人は、交通事故で片足の膝から下を失ったために、
この病院で、治療を受けていた。
その傷は、そろそろ義足をつけられる状態にまで、
回復しつつあったが、
夫人の心は、打ちのめされたままだった。
頭では、片足の膝から下がなくても、
普通の生活が送れることはわかっていたが、
どうしても、心の痛手から、立ち直ることができなかったのだ。
医師には、健康で幸福な自分のイメージを、
心に描く、イメージ・トレーニングを勧められた。
夫人はそれを試してみたものの、
心から受け入れられるような、自分のイメージを描くことなど、
とうてい不可能だった。
自分を障害者としか、見ることができなかったのである。
ところが、少年の「僕は海賊なんだ!」の一言が、
スミス夫人を変えた。
一瞬のうちに、彼女の心は、時空のかなたへと飛んでいった。
婦人は、『宝島』に出てくる、義足の海賊の装束を身にまとい、
海賊船の上に立つ、自分の姿をはっきりと見た。
彼女は、両足を大きく広げ、そこにたちはだかっていた。
片方の足は義足だ。
両手を腰にあてがい、頭を上げ、肩をいからせ、
嵐に向かって笑っている。
疾風が髪やコートをはためかせ、船体をたたきつける怒涛が、
欄干を越えて、冷たいしぶきとなって、吹き上がる。
すさまじい嵐に、海賊船は揺さぶられ、うめき声をあげる。
それでも彼女は、臆することなく、胸を張り、
しっかりと、足を踏みしめ立っていた。
このとき、障害者のイメージは消え去った。
勇気が戻ってきたのである。
スミス夫人が視線を戻すと、
少年はまだ忙しそうに兵隊で遊んでいた。
数分後、スミス夫人の名前が呼ばれた。
松葉杖をついて、夫人が立ち上がると、
その脚を見て男の子が尋ねた。
「おばさんの脚、どうしたの?」
少年の母親は困った顔をした。
スミス夫人は、短くなった自分の脚に目を落とすと、
すぐに顔を上げ、にっこり笑って答えた。
「なんでもないの。おばさんも海賊なのよ」
(マジョリー・ワレー 、大切な人 大切なこと)
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いかがですか。
「幸福になるには、まず心の中から」を、
ご理解いただけましたでしょうか。
育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−
杉本恵洋(すぎもと しげひろ)
PS.
イメージ・トレーニングができるようになるには、
練習が必要です。
すぐにできるようになります。頑張って下さい。
http://www.0stresslife.com/zrl/
「海賊」、魔法の言葉ですね
【聴力喪失のあの瞬間…】出来事…私の場合は、ちょっと違うかもしれません?聴力が失う前は、音楽聞きながら?眠りに入り?朝!目覚めると…まずいつもの電車の音が~♫~更に!水の音が~♫~聞こえない……次々~次々~押し寄せる“不安”・“恐怖”が……間違いかも?と…かすかな望みで…いろいろな音!音!を探す自分自身が“そこに”……その日は日曜日であいにく病院には行けず、尚の事一人で募りました。…が、きっと!きっと!明日病院に行けば治るから~安心して本でも読んでいればいいと~穏やかに両親が言いますが…やはり両親も、内心は、まさか?と云う感じで気持の高揚ぶりを押さえていたのかもしれません…亡き父は“仏壇”にお祈りしながら(日本人的感覚)で?…三人三様のスタイル“明日までの時間”が長~~~く感じ、重圧感!!とても落ちついた気持ちにはなれませんでした。翌日、近所の病院(耳鼻科)の個人病院に行き…その先生が必ず治ると言いますから、通院!大きな注射を首にしますから、すごく痛いのです…。その後、瞼が下がり目が開けられなくなる症状が…“不安・恐怖”が再び…個人病院通院3日目で、次の“大手の製鉄病院”に…そこも“注射治療”…
但し、そこは腕に注射…が?症状の改善が見られないまま…更に“年金病院”に行きますと、全てを検査して通されたのが“内科”そこの先生が“労災病院”を紹介!そうしますと“即入院”…「ショック・不安」…治療法は大きなタンクに入れられて一時間位だったでしょうか?それは、“高山に上る時の気圧を利用して神経を起こす”のです…現在では、設備としては何処にでも有りますが…!一週間入りタンクの中では、先生と一緒に入って会話をします。そう!タンクの中では聞こえるのです…不思議!聞き取りが出来る状態ですから…先生は、治るという判断にて、更に入院延長治療!結果は再発して一週間が確実に治るとの事!…が…私の場合は神経が起きない?休止状態なのか…?結果は“聴力不能との診断”… 後!後!1日…1日…だけの時間の誤差…早期治療していますと…確実に治癒!!偶然同じ症状の人が(楽器店の奥さん)御主人との喧嘩で頭部を叩かれ…半年後…耳の聴力がおかしくなり~~一瞬で“音のない世界”へ~~この奥さんは、すぐ“労災病院”へ…「時間」が間にあったのです。…ほんの“一瞬の時間差”…運命のいたずらと?言いきかせて…しかも、“タタキ男”は叩いた責任は全くないのですから“自覚無し”…これはやはりTYOの先生が教えて下さり、やはり“医学”もやはり中心が一番“安全”…です~ネ!
ふと!走馬灯のように…過去の聴力喪失状況を思い出し…「自覚」は、耳が悪くなった分だけでも…「二倍~三倍~頑張る!!全てに!!
一般の人以上に自立・その自覚=仕事」その様な認識感でしたが…。これが“一生の仕事=服飾”になるとは?今思いますと…若い時は、ひたむきな~真っ直ぐな強さが~あった事!しかも健常者に負けないぐらいのパワ-で!今でも一見!見えないので…いつも当惑気味(頬笑み)
「重度難聴」と云う抵抗感…。そして「中途失聴者」と云う自負感から?生まれながらの人と違うという自負…?要約!自然体でありのままの姿を受け入れる様に~!さて私も持っておりますが23歳の時からの「身体障害者手帳」を所持…此処から~今の私は「夢にひたすら走り続け」…此間の「☆の王子様」に出会った事が“最高”…更なる旅へ…Step me up!!PS:「聴覚の障害者手帳…??」私よりもデシベル…軽いのですかしら~~ン?
私も聴覚の障害者手帳を持っていますが、自分が障害者だというイメージはありません。「海賊」を名乗る機会が、私も同じようにあるどうかわかりませんが、なにがしかの、自分に対する心強いイメージは持っていきたいです。
続き~この二つの作品は、私にとって意味のあるものだったのだと、いまならよくわかります。
後ろ向いたり、下を向いてうずくまっていた私の姿がウサギだったのです。
このお二人には、心底心を許せるので、潜在意識がイメージさせたものなのだと思います。
何かのちょとしたきっかけが、それまでどんなに頑張っても届かなかったことにたどり着けたりします。
不思議です。
「海賊」…心に何かを灯したイメージ…
アトリエ創作室の産みの親は、私以外にお二人いらっしゃいます。
いえ、お一人は産みの親であり、もうお一人は産みの親ではないけれど育ての親のお一人です。
このお二人に、アトリエ創作室での作品をプレゼントしました。
手提げ袋に、その方の夢や、出逢いのエピソードを私がデザインして、それを刺繍したのです。
この刺繍は、一つは後ろを振り向いた悲しそうなウサギが歩いているもの。その反対に、前を向いて、大きく腕をふり、
笑いながら歩いているもの。
もう一つは、夜空にまたたく希望の星の下で、それに気づかずにうずくまって泣いているウサギ。反対側に、夜空から流れてきた希望の星のが手のひらに乗っていて、ウサギが笑っている。
最後の婦人の台詞は、読まずとも見えていました。でも、読みました。そして、読むや目頭が熱くなり、顔がくしゃくしゃになりました。
いい話ですね。
海賊だと思ったらかっこいい。
ぼくも頭が薄くなってきたので、ショーンコネリーだと思うようにしています。
なにも劣等感に思うことはないですね。
身体的なことだけでなく、失敗談や過去の経歴や、環境も。
それだからこそ今がある、と考えたいですですね。
今の所、自分自身を「お殿様」と見なしています!!!
変な話、工場で働いていた時に「いきなり何の切っ掛けも無く」
自分は「高貴な身分…貴族なんだ!!!此処に居てはいけない!!!」
と云う強烈な想いが沸き仕事を辞めて実家に戻りました。
長崎県の平戸市が実家なんですが(*隠れキリシタン三代目)
地元の御城の管理運営をされている方から
「君ねぇ…肥前平戸藩城主の脉属だよ!」
「君の御先祖様の居城跡、発掘されてるよ!」
と教えられ驚いてしまい、詳しい系図も地元の
歴史研究の方に見せて頂きました。
「完全に狐につつまれてる><」感じでしたが、色々な
方面から調べた結果、自分が「お殿様」の子孫である事が
判明…。
今は、肥前平戸藩第九代藩主 松浦静山著「甲子夜話」*かっしやわ
を万画化させて頂く立場になっています∧∧
(NIB 長崎国際放送や長崎新聞でも特集して頂きました\^0^/)
…あの時の声と云うか想いは「御先祖様」の御陰なのかも
と思っております。
創作活動とは、もしかしたら「とてもスピリチュアル」な
メッセージなのかもと想います。
「海賊」のイメージも「守護霊や先祖霊」の
有り難い「気付き」なのかも…。
参考記事
http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji/20110904/06.shtml
これは面白い
創作落語にしたら結構いいかも
でも、皆、そう考えればいいのかも
空想できる想像力には感服しますね
子供は実に発想が豊かですね
私もそうだったなと感じますが
しかも、現実的にも可能なものが多かったかも
空想の世界、2011年に私も試しており、文書にまで仕立て上げたくらいです
すごく参考になる話で元気をもらいました。
幸福になるにはまず心のなかから、という言葉は常日頃感じています。
とても心にジーンと入ってくるお話でした。
元気が出てきます。
いつも、ありがとうございます。
いつもすばらしいお話をありがとうございます。
「海賊」とイメージするなんて、思いつきませんでした。
きっとどんな困難も、良くイメージする方法があるんだな、と改めて気付かされました。
私も海賊になります。
あぁ、内側からでしたね。今朝の文で思い出しました。
ふと胸に浮かぶビジョンがあります。幸せな気分になります。
でもすぐに「そんなわけないよね」と自分で打ち消したり、そのビジョンを疑ったり…。ビジョンから得る気分を大切に味わおうと思いました。
私もこの少年のように障害者です、手帳は持っていませんが・・・。
障害者になった時点では何の不安もなかったのですが、人の持つ潜在意識が何を考えているのか分からないと知ってからは、他人の目から抜け出るのにとてつもない時間がかかりました。しかし現在は、何の不安もなく暮らしています。そして、私が何を考えどんな行動をとり、どう自分を変えていったのかを人に話せるようになりました。これも知りたいと思った人に対してだけですが・・・・・。私の経験が少しでも役に立てれば・・・・との思いからです。これが私の経験であり財産です。