先週の続き
大阪のオフィスより、、、
たくさんのコメントありがとう!
先週土曜のメールは読んでくれたかな?
読んでない場合はここで記事とコメントを見れるよ。
http://www.drmaltz.jp/?p=8330
大山君の話の中から何が学べるだろうか?
という話をしたけど、僕が感じたポイントは2つある。
1)感情の選択
”そして、私もいっしょに怒ろうか、
説得しようか迷いましたが、説得することにしました。”
というコメントを見て分かるように、
山中さんは、自分の感情を意識的に選択している。
これはとても大切な事だ。
僕らは普段、「怒り」とかそういった感情は
自動的に発生するものだと思っている。
出来事の結果、自動的にトリガーが引かれる
ように怒りが発生するのだと。
だから、出来事、あるいは出来事を
起こしたやつが悪い、、と考えがちだ。
しかし、本当は違う。
本当は、出来事が起きた瞬間に、
稲妻のような早さで、感情を自分から選択しているのだ。
そして、何度も何度も同じパターンで選択していると、
選択そのものが反射的になって
いつしか選択していると言う事すら忘れてしまう。
こうなると、自分の人生に起きている事の責任を
環境や他者ー自分以外のものーに求めるようになる。
とても危険だ。
それはつまり、自分から、人生をコントロールする能力を
奪っているのと同じだからだ。
山中さんのケースは子供のしつけだから
ちょっと違うと思うかもしれないが、
子供のしつけの場合は考えて選択することができるのに、
自分自身の事になるとできないわけがない。
ある感情が(特にネガティブな感情が) 発生する前に、
一瞬立ち止まる事ができれば、
簡単にコントロールできるようになるだろう。
2)新しいセルフイメージ
中さんは大山君に新しい「大山君」を与えた。
大山君の新しいセルフイメージを定義してあげた。
子供のころは、特にこういった影響を受けやすいので、
これはとてもいいメッセージとなって
大山君の心に届いたのだろう。
ぶっちゃけ、本当はそんな子じゃないとすれば
大山君は騙されたという感もある。
しかし、何に騙されたのか?
山中さんが持ち出した新しいイメージに
騙されたのか?じゃあ、それ以前に持っていた
大山君のセルフイメージが本当に正しいものなのか?
そんな事はない。
大山君の以前のセルフイメージだって、
周りの影響を強く受けてできあがったものだ。
何が正しくて、何が間違っているとか言う話ではない。
「何を受け入れたか?」
がその人のセルフイメージを決める。
では、あなたの持っていた
今までのセルフイメージは何を元に
作られたものだろうか?
今まで「自分はこういうタイプの人間だ」と
思っていた思い込みは、一番最初はどこから
やってきたのか?ーほとんどの人は覚えてないだろう
正しいもクソもない。
「何を受け入れたか?」 だ。
そして、今のあなたにとって重要なのは
「何を受け入れたいか?」 だ。
あなたが今まで受け入れてきた
セルフイメージはこれからあなたが
どんなセルフイメージを受け入れたいか
という事とは別問題だ。
あなたは選択できる
ー小川忠洋
PS:
みんなからのコメントはこちら
http://www.drmaltz.jp/?p=8330#comments
PPS:
もし、あなたがセルフイメージに関するエピソードが
あるならここからその話を送ってくれるととても嬉しい。
どんな小さな事でもかまわない。ほとんどの人は小さな事を
大きく解釈して悩んでいるのだ。あなたのエピソードが
誰かを救う事になるかもしれない。。
PPPS:
あなたもリー・ミルティアのCDを聴いて自分自身に
新しい「大山くん」を与えて価値ある選択をしよう。
http://www.milteer.jp/lcd/index.php
「感情のコントロ-ル」は……毎日!起きています…。人間って?「自己中心的…」に生きていますから、思う通りになされてない場合とか…?特に!女性の場合は“すごい~~~ですョ!”全て「感情動物…」みたいに見えます。気がつきますと、此方も巻き込まれたりで…><「ネガティブ感情」を起こさない方が、勿論!いいです~~~ョネ!「イヤナ言葉…」を使ったり、目の前の「悪しき現象」を見たりして、心をとり乱したりしますと…全てが「ネガティブな感情」で…“心”が格闘して、更に乱れてきますから…そのような時!やはり【イメ-ジトレ-ニング…】が最高!最高!です~~~ネ。心が平穏になります…。「他人を賛嘆…」更に!「自己自身も…モット!」~賛嘆~~~賛嘆~~~♫ ■現在の私は…「リニュ-アルしました私…」にての【イメ-ジトレ-ニング…】…トライ中です…。
大山君の話。「感情の選択」と「新しいセルフイメージ」なるほどです。
気が付きませんでした。
なにか、考えが固まってしまっていた様に感じます。
そうですよね。ちょっと考えて見ます。
セルフイメージの話に、成ってないかも知れませんが、
ウチの場合は、俺が小学生の頃に兄弟が、耐えていたらしい問題に
耐え切れなくなって、暴れだしました。
その日を境に、今までの平穏だと思っていた生活は、少し様子を変えました。
誰が、怪我をすると言う事ではありません。
ただ、我を張れる場所をなくし、家族に当たるしかない兄弟がいただけです。
ただ、その事に怯えるしかない俺が、暫くの俺でした。
中学に上がり、一冊の本に出会いました。
タイトルは忘れてしまいましたが「國分」さんと言う人の本でした。
俺にとって相性が良かったらしく、
その本を読んで、それまでは考えもしなかったのに、
「兄弟にも、何か言い分があるのではないか?」と、考える様になりました。
単に、話を聞こうと思っただけですが・・。
どっか、分かってやれるかも・・なんて思っていました。
でも、どうかな?
ただ、今日のトラブルが治まればそれで良いと、思って来た様にも思います。
どうして良いか、俺も親も分からなかったです。
どうして良いか分かりません。
当時信じたかった事がありました。
「家族仲良く暮らしたいと、皆が願っているんだ」と言う事です。
その想いを、外の人にも適用しました。
「皆は仲良く、幸せに暮らしたいと願っているはずだ」
勝手な話だったかも知れません。
今では、あまり思って無さそうだと感じています。
「立場を簡単に敵・味方に分けすぎだ」
「人のせいにして、言いたい事を言う奴が許せない」
「無駄に人を羨んで、文句を言う奴が鬱陶しい」
「自分の弱さを笠に着る奴は、嫌いだ」
「身勝手な見解を、人に押し付ける奴も嫌いだ」
正直に言うとこんな事を、考えています。
なんか、偉そうな事言ってますが、
最近になって、今度は自分が人と上手く行かなくなって
昔は見えなかった、兄弟の想いが少しだけ分かった様な気分です。
結構、駄目出し貰ってます。
色々、課題があるようです。
何が悪いか探して来ましたが良く分かりません。
見識自体が狭いのも原因だと思います。
俺が、俺のまま動くと反感を買うらしい事は、分かってきました。
色々考えて、おかしな話ですが
いっそ自分の思う事をしてみようと、思っています。
前回のコメントは「何でもいいから、穏やかに暮らしたい」
と言う気持ちと、何とかしようとしていた昔の名残りが言わせているものです。
選択の自由。
事の大きさを改めて確認させて貰えました。
何を受け入れ、何を与えるのか考え、行動あるのみ!
まずは愛読書のスラムダンクを読んで気持ちを盛り上げようと思います。
感情が起こるので相手が悪いかのように考えますが、
実際は感情を起こさせている部分がありますね。
セルフイメージの書き換えはその部分にアプローチするものなので、
本当に強力だと実感します。
『だから、出来事、あるいは出来事を
起こしたやつが悪い、、と考えがちだ。』
以前、付き合っていた人に
「おまえはいつもそうやって他のもの(者・物事)のせいにして生きてきたん?」
… と言われた事があります。
その時は「自分以外のものに責任を押し付けると凄く楽だししょうがない」って
心の中で反発していましたが、
『それはつまり、自分から、人生をコントロールする能力を
奪っているのと同じだからだ。』
の言葉に、今更ながら彼が伝えたかった意味がわかったような気がします。
小川さん新しい気付きをありがとうございます。
セルフイメージかどうか分かりませんが、次男の病気で私は自殺を考える程悩んでいた時がありました。どこの病院でも「この子はこのままだと死にます」「一生、健康になれるかわかりません」等産まれてから何年も言われてきました。私は幼稚園にも行けないのかと悲嘆していました。「この子は何のために産まれてきたのだろう」と自問自答の毎日でしたが、ある日台所で夕食の支度をしていた時でした、突然頭の上からハツとする考えが浮かびました。「そうだ。この子は私を強くするために産まれて来てくれたんだ。我がままで気だけが強くて根が弱い私が今ではこんなに強くなっている。お兄ちゃんもすっかりお兄ちゃんらしく逞しく育っている」と。それからの私は全てを受け入れ、有り難い事なのだと感謝の気持ちさえ感じられる様になりました。これもセルフイメージ次第という事なのでしょうか?私には分かりませんがイメージは大切だとドクターモルツから学んでいます。
感情のコントロール、末の娘が連日課題をくれます。昨日、大型ショッピングセンターで彼女が迷子になり(本人は自分一人でいろいろ品物を見て、駐車場に車を探しに行っただけ)、母は心配と勝手に行動することにやきもきし、無事発見した後、怒り爆発。
3歳ながら確固たる意志と行動力を持つ彼女を、母はコントロールしたいと思いパワーゲームを繰り返しています。
私自身の感情を選択し、自分の思い通りにならない怒りでなく、彼女の存在がとても大切に思っていることを伝えたいと、いつもいつも反省します。
我が家の子供達は、セルフイメージの書き換えができるように育てている。これにより、ハプニングに遭遇しても、周囲の人に流されることは少ない。中一の息子はかなりてきる。小一娘はまだ訓練中。自分のの求めるセルフイメージを取り入れているかを確認する作業も、時々するよう指導している。外部からの影響をセルフイメージに取り入れるべきかも判断するよう、その時々の出来事を一緒に解決することにより習得させている。もちろん、全てできるわけではない。だから、お互いで注意をし合う。この日々の訓練により、かなり、今の時代では変わった子となった。子供達と話をして感動してくださる方もおられる。特に、お年の方は、不思議そうにされるときもある。我が家では当たり前!が、外の世界では違うようだ。子供達は、先生や友達、その保護者と関わる。そして、その人達も誰かと関わっている。だから、もし、少数派になったとき、自分とは違うセルフイメージを取り入れてしまうときも多いのだ。もちろん、和を保つことも大切なときもある。でも、その時でさえ、セルフイメージとして定着させるべきものか自らが選択しなければならない。その他、状況によりやり方が変化するので、その都度説明する必要もある。これらの訓練を幼いときからしていると、小学校3年生にもなれば、かなり高度な選択ができるようになる。その後は、さらに高度な選択行動を指導していくだけになる。こうして、中一ともなれば、ほとんどのことは習得できるようだ。ともあれ、これらとテストで点をとることは別物のようだが(笑)小一娘も、無意識のレベルでなら、よりよい選択ができるようになっている。これらの子供達に、私も日々鍛えられる。これに、真面目に取り組んでいると、教材なくして成長できる。子供達は、基礎原則が大好きだから(笑)さて、今日も、頑張りますか!