いつまで待つの?
From:小川忠洋 (ダイレクト出版)
品川のスタバより、、
「自分を助けるのは自分だけだ。」
こないだサイコ・サイバネティクスファウンデーションCEOの
マットフューリーのCDか何かを聞いている時、
こんな言葉がひっかっかった。
よくオーディオ・プログラムなどを
聞いているなら分かると思うけど、
iPodとかでそういったプログラムを聞いていると
ほとんどの言葉は頭に入ってこない。
ほとんどは聞き流しているから
まるで左の耳から入って右の耳に流れていくような
(いかにも漫画で出てきそうなダメなやつのように)
頭には残らない。
ところが、ある一言だけは、
今回のようにひっかかって
強烈に頭に残ったりする。
そんな時は、スグにメモ帳を出して、
メモを取ろう。必ずそれは、今あなたが
必要としている事なのだ。
必要としている事をあなたの脳が
自動的にキャッチしてくれたのだ。
「自分を救うのは自分だけ」
何故、この言葉が頭に引っかかったのか?
理由は簡単だ。
ほとんどの人は待っているからだ。
周りが自分の状況を改善してくれるのを待っている。
誰かが自分の状況を助けてくれるのを待っている。
いつか景気や環境が良くなる事を待っている。
・・・
ところが実際には待っていても何もこない。
待っていた人は待っていた時間だけ損する事になる。
人生で得をする人は、
待つ事を拒否した人だ。
待つ事を拒否して、自分の体で動いて
自分の足で目的地まで行く。
自分の状況が悪ければ、
自分の頭を使って体をつかって
持っているリソースを全て使って、
それを良くする行動をとる。
誰もあなたの人生に興味はない。
自分の人生をより良くするのは、
自分自身しかいない。
ビジネスでもプライベートでも同じ。
「待っていればいつか良くなるだろう。」
という考えが一瞬でも浮かんだら、
自分にこう言い返そう。
「いつかはカレンダーに載ってない。
いつかは来ない。今、動くしかない」
ー小川忠洋
PS.
今すぐ行動して自分自身の人生を切り開こう。
この1ヶ月のお試しについてくるこの無料DVDが
あなたの進むべき道を教えてくれるだろう。
度々質問で失礼します。『父親からの最大の忠告』には「だから何も必要としてはいけません。
あなたに必要なのは願望だけです。」とありますが、こちらには「そんな時は、スグにメモ帳を出して、
メモを取ろう。必ずそれは、今あなたが
必要としている事なのだ。」とあります。必要としてはいけないのか、必要とした方がいいのか、どちらでしょうか?
今日!!「小川さんの文章」を読みまして…ハッ~~としましたが…「自分を助けるのは自分だけだ。」気がつきますと、また!また!同じ繰り返しが…起きてる事に!!「吸血鬼達…は~~~?」と?この様に毎日のイヤガラセ?されますと“精神的”に余裕がなくなりますよ~~ネ?いろいろ“ネガティブな感情”が…!出来るだけ少しでも「イメージ・トレーニング」をしながら“行動”です~~ョ!!本当に!【自分は自分が…一番知っていますから…?】今回!!行動のみと…思っております!
「自助論」著:スマイルズを思い浮かべました。 自ら動くと、周りが動く。動き続け、かつ、受け取る。そんなスパイラルに入りつつあります。
『自らを助ける者が自らを救う』
私が怪我で苦しんでいる時に出会った言葉です。
自分の体を治すために整体・マッサージ・鍼灸・薬
いろいろ試しましたが、2・3日でマッサージの効果は
無くなってしまいました。
お金と時間ばかりが費やされて、体が治らない。
自分の体を治すために『求めよ!さらば与えられん。!』の言葉のように
必死に求めて、あちこちから情報を求め歩き、
出会ったのが『丸太を使ったコリほぐし&指圧』です。
今は、この指導のインストラクターの資格を取ったので、
『身体の不調で苦しんでいる方のお役に立ちたい。』という気持ちで
このヨガを広めるために勉強中です。
この集客の為の勉強の為に、情報を求めていた時に出会ったのが
『サイコサイバネバティクス』でした。
ダイレクト出版さんに出会えたことに感謝しています。
これからも小川さんの為になるメルマガを
楽しみにしています。
小川様の言葉は、小川様の実感から迸っているのでインパクトがあります。どきりとしました。
人は辛いとき、「今は辛いけど、いつか環境が変わって良くなるかも。」
と自分に言い聞かせたりします。
まさに今の自分がそうでした。
周りの環境が変わるのを待っている自分。
もったいない!と今、記事を読んで思いました。
今の環境は、自分ではどうにもできないことだと思っていました。
だから、しょうがないと諦めて、悶々と日々を送っていました。
「自分の人生をより良くするのは、自分自身しかない。」
「いつかはこない。今、動くしかない」
まずは、何か行動を起こしてみます。
もし仮に何かやりたいことが事情によってできない時でも、
他にやれることはいくらでもありますからね。
ただ待っているだけの時間は私を退屈にさせます。
『待つ』という言葉を聞いて、何を連想するでしょうか?そして、その「待つ」という行動をしている人は誰でしょうか?このことは、重要だと私は思っています。私の場合、自分に対しては、日常的な行動は「攻め」がほとんどです。日常的な行動の中でどうしてもできないものだけ待つのだと思います。ですが、自分以外の今まで接してきた人のほとんどには、その人の成長を待つことをしてきたと思います。唯一攻めたのは、家造りのときと…?銀行員の時!…そうか!子育て以外のことをしたとき。なるほど、子育てでは「待つ=見守る」は、指導の中で重要。でも、物事たとえば仕事を達成するには攻めでなければならない。私が、自分以外の人に攻めを使わないのは、その人をつぶさないため。いい言い回しが見つからないけれど、攻めのやり方がうまくないのだと思います。ん~…子育てにおいても攻めるときはあります。それは、ここぞ!というときの注意。これがなければ、その他多くの「待つ」が生きてこないとも思います。大人対象の人材育成の場合、子育てとはまた違ったやり方になるのでしょうか?最近の私は、この人材育成の分野と子育てがよく似ている!と思ってしまいます。~待っていても、何も変わらない。だから、自分は攻めなければならない。でも、このような人を指導する立場になれば、待つことが重要な行動になる。さらに、この中でも、攻めあっての待つ!なのではないか?~これからも、探していきます。そして、私自身は、待ってなどいない。待つ暇があったら攻めます(笑)今ないもは自分で作る!これが私のポリシーだから。さて、今日は、攻めすぎてなんだかギクシャクしてしまった体をほぐしに整体へ行ってきま~す♪