偽の友人
Posted by admin in 小川忠洋:関連商品 On 3月 29, 2012From:小川忠洋
大阪のスタバより、、、
「友達なんだから助けてくれるのが当然でしょ!」
こんな言葉を聞いたら、その人はもう友達ではない。
これは先日、ラン(妻)が友達に言われた言葉。
彼女の周りにはいろんな友達がいる。話を聞いてると、
びっくりするような事がたくさんある。
そんな色んな友達を観察してきて
気づいたことがある・・・
この言葉を言ってきた彼女のように、
人間、状況がよくないときは、
2つのタイプの行動・考えを持つ。
①1つは、何があっても友達には頼らず
自分で解決しようとするタイプ
この手のタイプは、自分が今、どんなに
苦労してたとしても、どんなに大きな問題を
抱えていたとしても、必ず、自分自身で
解決しようとする。
例えば、お金に困ってたとして、
ちょっと援助しようか・・・?という提案をしても
「いや、自分でやる」と言って安易に
人の手を借りたりはしない。
②しかし一方で、もう1つは、
友達だから助けてよ
と人に頼ろうとするタイプ
こういうタイプは、
自分の問題が最優先で、
人の都合などは関係なし。
助けるのが当たり前だろ!
くらいの勢いで、その要請を断ると
ブチ切れしたりする・・・
困った人たちである。
長い目で見ると「自分でやる」
と言って手助けを断るようなタイプの
人との関係は長続きするが、
「友達でしょ!」タイプは長続きしない。
結局のところ、
これは自立の問題なのだ。
どんな問題でも自分で解決しようとする。
タイプは自立している。自分で自分の人生の
責任をとろうとする。
だから、自立した僕らと関係が続く。
後者のタイプは、自立しているのではなく、
依存する相手を探している。そして、その
依存する相手とは、とても親しい人だったりする。
親だったり、兄弟だったり、、
親しい友達だったり、、、、
しかし、自立と依存が
いい関係を続けることはできない。
本当の関係は、自立した者、
同士でなければ、続かないのだ。
そして、その上でより強い関係が、
相互依存の関係だと言う。
(確か7つの習慣に書いてあった)
夫婦などでも、自立している者同士が
くっついていて、その上でお互いに
依存しているからこそ、強固な関係が作れる
こんな事を考えていたら、
今日は何を言いたいのか
自分でもわからなくなってきた・・・
結局のところ、
自立とは、責任の問題なんだと思う。
自分に起こった事、
自分の今の状況、自分の人生に
自分自身で責任をとるかどうか。
という事なんだろう。
仕事でも何でも、
責任を取ろうとする人は
どんどん成長して成果をあげるが、
責任から逃れようとする人は、
いつまでたっても同じところで、
何かから逃げている・・・
そうしているうちに
どんどん時間が過ぎていく。
だったら、腹をくくって
責任を取りゃーいいのに・・・
その方が人生よくなるのに・・・
と僕は最近、思うが、、
あなたはどう思う?
ー小川忠洋
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2つのタイプだけじゃないでしょ!
依存するのと、必要な時に人に助けを求めるのは根本的に違うことだと思っています。何度言っても問題を自分で抱え込んでしまう人は、最終的にかえって迷惑になることも多いです。早めに頼ってくれた方がいい。どうにもならなくなってから言わないでほしいと思います。
自分でできることをしないで人に依存する人は論外ですが、解決できないと他の人にも迷惑が及ぶような問題は、早めに人に相談して助けを求めることこそ大事だと思います。
また、人脈を持つ、ということは、財産です。人に頼ることは決して悪いことではありません。ただし、人脈という資産を使い果たすようなやり方さえしなければ。必要な時に必要な助けを求めるためには、適切なメインテナンスが必要です。
極論をいえば病気になったり、災害にあったりのそんなときは人に助けてもらっていいと思いますが、私は自分の身にふりかかることに自分が乗り越えられないものはない、をポリシーに生きてきましたのでどんなに難しいと思えることでも苦しみながら自力で乗り越えることで、だいぶ成長できたと思います。そして、強くなれたし年々出来ることが増えるのは将来に自信が湧くものです。そうなれたのはなんでも自分で解決するタイプの自立した強い上司が、当時甘かった私を冷たく突き放し、試練を与えてくれたのもきっかけになっていますので、今はその人に感謝しています。ただ、すぐに弱音を吐いて人を頼るタイプの人から見ると、私みたいなタイプはそっけない、冷たいと感じるようです。要は、自分には厳しく、自分と同じように出来ない人にはそんな人もいるのだな、と考えることが楽な気がします。月並みな言葉で言えば他人には甘く、ですね。私はまだそこまで器が大きくなれませんが・・・
小川くんの言うとおり
義務と権利は
自立と責任は
自由と責任は
便利さとリスク
プラスとマイナス
相対性理論にも近い
相反する作動をもたらす場合が多い
最近 キーボード で文字を打ち続けていると
便利さに慣れすぎて 簡単な漢字が書けない自分に気付き
大学ノートに 万年筆でエッセイを下記始めることにした
手紙や葉書も 作為的に書くように努めている
便利さと不自由さとは表裏一体なもので
デジタルとアナログを双方使い分けて
得られるものが ある
全体の評価と部分の評価は分けてしなければ成らない
グローバルと地産池地消は対立するものではない
時代はグローバルを求めはするが日本固有の文化や伝統を見逃しては成らない
人間に必要な 幸福感は物質的な価値観から 精神的な価値観の転換も必要な事を
ブータン国王があの3.11の大震災から絆と言う言葉を添えて教えてくれた
【お金を貸す…】その時は貸します。状況判断です…。私は借りた時の苦い経験でしょうか?その時苦い経験でも…本当に助かったのです。
そう“仕事道具”ですが…更に!私の「亡き母」は、いつも云っていましたが【お金を貸す時は、もうお金が戻ってこない】と思える様な心境になれば、人に貸してあげてもいいけれど?それが出来ない人は貸しても…借りても「人間関係は甘え」になると言っていましたが…?
私も人に貸した時に、苦い経験が多々あります。その時、お金は返してくれると思い込んでいましたが、さすがに返却が来ないので…
相手の家まで行った事があります。今思いますと「亡き母の言葉」が浮かび、あの時私も“これ位?”と云う気持ちが出来なかった事は、私自身も当時「お金に執着」していたのでしょうか?【お金は天下の回りもの】云いますから、【貸す貸さないは、その人の判断と器…】になるのではと思います。以前紹介して頂きましたの【バビロンの大富豪】書物にも…でした~ョネ!「師!小川さん」へ…
海外で暮らしていた時、「友達なんだから助けてくれて当然でしょ。」を連発してました。もっと過激に「You have to help me!」を使ってました(笑)。その前に「あなたはここで唯一信用できる友達」をつけたら、まんざらでもなかったような・・・。もちろん半分冗談です。私もできることを相手にしていましたし、本当にかけがえのない友達です。憎まれ口をお互いに言える友達ってとても大切。私もできることを相手にしていました。でも、日本語でマジで言われたら確かに怖いですね。
その手の友人がいなくてよかったです(笑)
依存する人は赤ん坊のように周りに助けを求めるものだと解釈しています。
一方で、専門家に聞けばすぐに解決する問題をいつまでも抱えるのはムダなこともあるかと思います。
何事もバランスが大切ですね。
「自立とは責任の問題」という言葉、胸に深く突き刺さりました。
今の私は人生の手綱を自分で握っていなかったと思ったからです。
私がプログラムの中で一番感銘を受けたのは、人生は自分の選択で造り上げていくものだということ、またそれは自分の選択次第で可能だということです。そのことを学んだ結果、現実の問題に対する自分の感情をコントロールすることができるようになりました。しかし、毎日の労働から心がからっぽになり、空虚感や虚無感を感じることが最近多かったのも事実です。
そんな私にムチを打ってくれたのが「自立とは責任の問題」という言葉でした。
私はまだまだ自立出来ていなかったということなので、自立できるように今日も頑張りたいと思います。小川さん、いつもありがとうございます!!
「友達なんだから助けてくれるのが当然でしょ!」
↑
そう言われているのを想像しただけでも頭を抱えたくなってしまう言葉ですね(^o^;問題は出来ないことは目の前には現れない、その人に見合った実力の問題が表れると思ってます。それを人任せにするか自力でやり遂げるかでその後の人生も結構変わると思います。
それに…「うわぁ~んどうしようもない問題が現われたよ~誰か責任とってよ~!!」って喚くより「やってみる!」って言ってみた方が格好良いじゃないですか(^-^)それで「皆さんのおかげで乗り越えられました」って言えたらもっと格好良いと思います。
責任とか問題っていうとイメージ的に重くなるのかもしれないですね。宿題とかテーマってぐらいに捉えると面白おかしく乗り越える方法も見つかるかもしれないですよね(^-^)
さあ今日も張り切っていこう\(^O^)/
その通りだと思います。責任取るから自分が責任取れない様な事をしない。工夫する。考える。だから成長する。自立している人には何故か困った時には援助の手が差し延べられます。そんな気がします。