本当の友達とは?の思考法
本当の友達とは?
もしあなたが友達から
“本当の友達”じゃない
って言われたらどうする?
最悪だよね。
まあ普通は誰の元にも
そんな事は起きない。
だって、そう思ったとしても
口に出すひとはほとんどいないから…
それじゃあ、
「コイツは本当の友達じゃないな」
って思うときある?
最近、僕の友人の話を聞いてて、
そんな事を感じる時がある。
彼女には友達がたくさんいて、
いろんな人から相談や
頼みごとをされるみたいなんだけど、
やっかいな事を頼まれることも多いみたいだ。
そのやっかいな頼みごとをしてくる時に
『友達でしょ!?だからお願い!』
って言ってくる人がいるようだ。
僕はその言葉を聞いて、
なんだか卑怯な言い方だなー
と思ってしまった。
『友達でしょ!?』って言われたら、
誰だって、『いや、違うよ』
なんて言うことはできない。
そして、頼みごとを聞いてくれなかったら、
“もう友達じゃない”というメッセージを
暗に含んでるような感じがしてならない。
それは僕にはこう聞こえる
『これお願いね!
やらなかったらもうあんたの
友達やってやんないからね!』
これは友達というよりも
使用人というイメージが強い。
なんだかそいつの奴隷みたいな感じだ。
僕の考える友達とは、
対等な関係だ。
主人と使用人の関係ではない。
お願い事があったら、
普通にお願いできる関係だ。
何も相手から望まないし、
相手に何も提供する必要はない。
お互いに独立した精神を
持っている人同士が本当に
友達になれると思う。
僕は彼女にこう言った。
『友達関係は続けなきゃいけない
という義務なんてないよ。
人間は成長して変わるものだから、
変わったら、付き合う人も
変わるのが普通だよ。』
これは彼女に
「そんな奴との友達なんてやめちゃえ」
って言う意味で言ったわけではない。
いつでも自分は
そのテーブルから離れることができるし、
離れたとしても、
自分が悪い人間になるわけじゃない。
と言うことを言ったのだ。
友達はいつでも作ることができるし
いつでも止めることだってできる。
ただ、たった一人。
絶対に
友達でい続けなければいけない人がいる。
それは誰だと思う?
それは、自分自身だ。
自分のセルフイメージだ。
セルフイメージを
もう一人の自分に例えると、
そのもう一人の自分とは
友達関係を一生続ける義務がある。
ドクターモルツも言うように、
自分自身と友達になれば、
2度と孤独を味わう必要はなくなる。
‐小川忠洋
PS:
たくさんの人がドクターモルツの思考法を学んでいる。
あなたはもう体験したかな?
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<縁を切るか、もしくは逆奴隷がいいでしょう!>
まったくそのとおりだと思います!
対人関係で悩んでいる僕にとっては、改めて自分に言い聞かせたいことです!
小川社長のまったくそのとおりです!
卑怯と「思う」というより、
それは僕は確実に犯罪だと確信しています!
ぼくはもっと強気で、
クソくだらない友だちというかゴミとは、
バッサリ縁を切るよう、強気なセルフイメージをもって、
切り捨ててあげたいですね!
僕が彼女にアドバイスするなら
「絶対やめておけ!絶対に友だちやめろ!」
と言いたいですね!
ソフトな小川社長の言った、まさに、
「そんな奴との友達なんてやめちゃえ」ですね。
友達やめるか、でなかったら、
「あ?」といった後、「もういちど言ってみろてめえ!」と叫び倒して脅し、
最悪、そいつの鼻面にパンチをかますして、
逆奴隷にするしかないでしょうねw
奴隷はけっこうオススメです、
奴隷であれば、バッサリ切らなくとも、まだ使えますので。
使いこなせれば非常に便利だとおもいます!
【小川さんの言葉】おっしゃつている方は?きっと”お人よし”ではと…思いましたが?しかも「あなた!友達で~~ショ!」とのいい方をする人は、多分!その人をある面”バカ”にした部分もあるのではと思いますが…?更に!決めつけているその人に対しての「イメ-ジ」でしょうかしら~~~ン!まぁ~~分かってされている方は”大物”なのでしょうかしら~~~ン???私も”若い時?”は良く言われていました~~ネ!特に…!!
「吸血鬼・ゾンビ達…」は此の言葉が多い様でしたが……??今振り返りますと、これも【友達の危険信号!!】です~ネ!更に”10代の終わりの頃”…「ベスト・フレンドの本」を読みまして、此の頃からでしょう、そういった【友人は疑問詞?】でも、まだ私自信は人が云いようで”バカ”でしたが…今日では【友人は心との結びつき】でしょうか?【類の仲間】で…更に!【私のベストフレンドは?それは”私”です!】私自身が、自分自身を好きにならなくては~><更に【意識を持つ事…イメ-ジトレ-ニング】なのです。オプション?として…【夢の中で?”最高の友人”は~~~「星の王子様」ですが?~☆~】
親友の定義がもしあるとするならば、それは相手の存在を「認めてあげる」人となるのではないのでしょうか?
だとしたら、小川さんがおっしゃられたように自分の存在を自分自身が「認めてあげる」これがまさしく「セルフ・イメージ」だと思います。
皆さんはどう思いますか?
友に対する愛。最近の私は、このような人としかお付き合いしていません。夢のゴールをきるためには、時間が必要なのです。だから、大切な、大切な、大切な人だけ心に住んでいます。現実的に会話をするのはごく限られた人になってしまいますが、ありがたいことに心の空間は広いし、鍛えればたくさんの人と会話できます。その会話が相手へ届いていなかったとしても、私はいつもお話をしています。悩んだ時、迷った時、嬉しい時、悲しい時、楽しい時、苦しい時、・・・・・・。『友』、日本語の中でも美しい文字の中の一つですよね!
私にとっての友人とは遊んだり、語ったりするだけではなく、ただその活躍を見守る形もありじゃないかなと思います。
人に頼み事をする方が「友達でしょう?」と言うのは卑劣だと私も思う。頼まれた方が頼まれた側から「悪いわね。有難う」と言われ時に「友達だもの。当たり前よ」とサラリと言うのが大人かな。人に甘える事を当たり前だと思っている人程見返りを期待し、ズーズーしい。幼い感覚だと思う。自分自身の友達は決して裏切らない。私も小川社長と同じ意見です。